水田に水が溜まってくれない。晴天続きで土が乾ききっており、田植え前の大事な春耕のために雨を期待していた。数日前からは本日の雨天が予報されていたのに、目覚めの床の中でも雨音を聞き取れない。早くも、雨でぬれたご近所の瓦屋が乾き始めている。なぁんだ、曇天である。お昼にむけて霧雨のような小ぬか雨が断続するだけで、稲作への恵みの雨とならない。トラクター作業するために給水路分配の奪い合いになるなぁ、面倒だなぁ と落ち込む。
肺炎症状が酷くなりつつあり、明年からの農作業の目途がつかない。体力的にも無理かな と更なる下降線思考に落ち込む。

鍬を振るうに一休み二休みするような残念な身体でも、農機に乗れば作業らしきものはこなせる。最近の2日間、妻の実家の畑にトラクターを乗り入れ草抑えのつもりで軽耕耘をかけた。妻や娘には難儀な作業ゆえ、今後の事が脳裏を騒がせるが、ケセラセラしかない。ただ、タバコと大根で妻を育ててくれた畑に感謝しながら土と戯れる。自宅の田畑、山林のこともケセラセラ放置ののんびりオヂさんである。


気分転換に、いつものBS画面から。彩色白黒フィルムから、20世紀初頭のイギリス。紡績工場の織機の画にシャットルが映り込んであり、現職時代の職場改編で無用となった繊維研究G.(ありようは今治にも圧されていた県内タオル工業向けonlyね)の廃棄物から拾い上げたものソックリ。しょもない、マッスなものに弱いのです。
