下関に住んで十数年、私は余所者か、地元の者かと自問することがある。文化人類学者として私は下関は研究調査のフィールドでもある。すでに日中戦争とシベリア抑留などに関してはインタビューしたものもあり、出版されたものもある。昨朝は古い遊郭だったところが食堂居酒屋となっていると聞いた「まんなおし」を見て写真を撮った。そして東アジア文化研究所主催の研究会のために準備した。読書会のメンバーが中心、地元の知性人の西原、藤川夫婦、孫山夫婦、中村、磯部、田中、広島から中国新聞の編集委員の伊東氏ら20人弱の参加で元下関図書館長の安冨静夫氏(1940)が「下関・遊郭のうつろい」という演題で講演をされた。下関の廓、市の発展と共に駅を向かって東から西へと港町の繁栄と共に移ってきたこと、遊女たちと舞踊協会の会員たちによって歌舞伎や先帝祭が引き継がれ、戦争時にも絶えることなく華麗にして今になった経緯を語ってくださった。
終了後記念写真、私の研究室で長い笑談が続いた。私が慰安婦に関する本で韓国からバッシングを受けた話、それについて韓国の今の政権は問題、変わると良くなるのであろう、在日の人たちは日本が好きで日本に住んでいるという冗談か真談か力強い発言もあった。伊東氏の提案、次は在日の発表を聞きたいと提案が出た。私は大賛成であり、近い内に実行しようと応対した。