崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「先生の日」

2016年05月16日 05時56分46秒 | 旅行
一昨日は日本では「ストッキングの日」と聞かされたが、韓国では5月15日は「先生の日」であった。日本や韓国の教え子から感謝の音信があった。中国、韓国、台湾、香港などでは「教師の歌」があるがなぜ日本にはないのだろうか。アメリカでは教師という職業は特別なものではなく、清掃業の一つ上のランクに位置すると言う。戦前は教師を聖職と考えて、教育勅語、二宮金次郎銅像を校庭に立てたり軍国主義教育をした負の歴史があるからではないかとも考えられる。しかし韓国では医師、牧師、教師の3師は尊敬される職種という伝統がある。1963年恩師の日、それを師匠の日'스승의 날'に改名し現在に至っている。先生を尊敬するという行事なども多く行われている。
 私は1965年から50年以上教鞭をとっている。決して良い先生と言えないかも知れないが師範大学ではさまざまな教育学や教育哲学などの講義と実習をして教員になった。それらが教育の基礎となっているのはもちろんであるが、それより私の先生たちによる人格的な影響が大きい。恩師の一人尹泰林先生は京城帝大出身者、日本時代に郡守をし、弁護士、そして教授、総長の経歴の方であった。先生が総長の時はすでに80歳でも私的に公用車を利用しない、公私の区別をはっきりされていた。今、東京都知事のことが報道されているがそんなことを聞くにつけても恩師への尊敬感が湧いてくる。その先生が尊敬している先生は帝国大学の日本人の先生であった。、

日本への宣教の難しさ

2016年05月15日 06時14分22秒 | 旅行
日本では韓国からの牧師や宣教師が多く活躍している。在日教会の3分の2ほどがそうであるという。韓国がキリスト教化に成功したという自信から日本への宣教意欲が表れたといえる。これは日本では神学を専攻とする人が少ないが韓国では有り余るほどいるという現象を指すものでもある。韓国からの宣教師たちは韓国の成功例によって強く押しつけるような立場をとり、失敗が多い。中には日本文化を知り尽くして成功している牧師もいる。『日本宣教の秘訣(일본선교의 비밀을 벗긴다)』(베다니출판사1995)の著者故寺田祐一牧師がその一人の成功者であろう。彼は一級建築士として活躍されていたが、韓国系アメリカ人女性と結婚をして神学校に行き、キリスト教の牧師になった。しかし日本人と韓国人の違いから夫婦大げんか、家庭生活を通して、日韓問題を日本宣教へと希望を持ち、考え宣教に尽くした。今日日本に韓国人の牧師が多く、日韓における宣教協力も行われている。
 韓国人宣教師たちは日本宣教は敵国である日本を福音で征服しようと思ってきて失敗(261ページ)、結局在日教会において愛国主義を訴えるようになったといい、激しい祈祷、下手な日本語、一貫していない説教などによって日本人から避けられている。彼はいう。日本文化や日本社会を理解して謙遜に宣教をしてほしいと。数年前彼は召天された。まだ在日教会にはその困難さがある。韓国は日本だけではなく、世界各国で宣教をしている。その多くは海外韓国人のための宣教であるが少数の現地人もいる。私はサハリンとアフリカで現地人に宣教するのを見て感動したこともある。これから在日宣教の枠を越えて日本社会へ挑戦すべきであろう。80年以上の歴史を持っている教会の牧師が辞めることは心痛いことである。
 일본에서는 한국에서 온 목사나 선교사가 많이 활약하고 있다. 재일 교회에 3분의 2 정도가 그렇다고 한다. 한국이 그리스도교화에 성공했다고 하는 자신으로부터 일본에의 선교 의욕이라 할 수 있다. 이것은 일본에서는 신학을 전공으로 하는 사람이 적지만 한국에서는 남아 돌 만큼 있다고 하는 현상을 가리키는 것이기도 한다. 한국에서의 선교사들은 한국에서처럼 강렬한 설교로 실패가 많다. 그 중에는 일본문화를 잘 이해해서 성공하고 있는 목사도 있다. 『일본 선교의 비밀을 벗긴다 』의 저자 데라다 유우이치 목사가 그 한사람의 성공자일 것이다. 그는 1급건축사로서 활약되고 있었지만, 한국계 미국인여성과 결혼을 한 다음 신학을 전공하고, 목사가 되었다. 부부 싸움 등 가정생활을 통해서, 한일 문제를 생각하여 선교에 최선을 다했다. 지금 일본에는 한국인 목사가 많고, 일한 선교 협력도 행하여지고 있다.
 한국인선교사들은 일본 선교는 적국인 일본을 복음으로 정복한다고 생각해 실패(261페이지), 결국 재일 교회에 안에서 애국주의를 부르짖는다. 격렬한 기도,서투른 일본어, 일관하지 않는 설교 등에 의해 일본인들로부터 도외시되어 있다. 그는 말한다. 일본문화나 일본 사회를 이해한 다음 겸손하게 선교를 하면 좋겠다면서,몇 년전에 그는 소천하였다. 아직 재일 교회에는 그런 곤란이 있다. 한국은 일본뿐만 아니라, 세계 각국에서 선교를 하고 있다. 그 대부분은 해외 한국인을 위한 선교이지만 소수의 현지인도 있다. 나는 사할린과 아프리카에서 현지인에게 선교하는 것을 보고 그야 말로 해외선교라고 감동한 적이 있다. 이제부터 재일 교회의 테두리를 넘어서 일본 사회에 도전해야 할 것이다. 80년이상의 역사를 가지고 있는 교회의 목사가 밀려나 그만두는 것은 마음 아픈 일이다

階級闘争

2016年05月14日 05時36分08秒 | 旅行
日本人の真面目さに対して留学生からはそのイメージは日本に来て日本人の行動にはスピードがなく、怠けもの、人間関係の消極性など否定的なことを知るようになったという意見が出た。メディアが中国の不正問題にはよくクローズアップしているが、最近日本の不正も中国に勝るほど報じられている。昨日は東京都舛添知事の海外出張の際のファーストクラス、スイートルームでの宿泊、空港建設の虚偽報告、オリンピック誘致金など列挙されていた、日本人の正直さは崩れたという印象を受けた。また、スイートルームは天皇と庶民しか泊まれないもの(?)と思ったりした。
 スイートルームはどんなものだろうか。泊まったことのない私には無縁のものである。飛行機搭乗時にファーストクラスは優先席順になっている。その席は広さなどの便宜さの優先性か普通の席や普通人と異なるという差異の楽しみであろうか。おそらく格差の楽しみに優先の意味が大きいのだろう。ニュースでは聞き手は特別の格差の楽しさで違法性を追求しているのに、知事はスイートルームを機能的に使うことを力説している。現代版の階級闘争を見ている感がある。今我々は文明の3器といわれる洗濯機、冷蔵庫、掃除機だけ揃っているだけでも、また食生活を見ても昔の王様より豪華な生活をしているのである。格差よりは生活を楽しむことを自覚すべきであろう。

少年漫画

2016年05月13日 05時16分05秒 | 旅行
 一昨夜のプライムニュースで桜井よしこ氏の北朝鮮は今年中にも崩壊するかもしれないという発言には驚いた。しかも彼女の広い識見、明確な論理などの説得力は高い。昨日の観光人類学の時間では北朝鮮観光をテーマにした。冒頭に延世大学韓国語堂に2年間留学した柴田君を登場させ、韓国留学の体験と板門店観光について話をしてもらい、学生たちと質疑を行い、私の板門店観光や2002年北朝鮮旅行の話に繋がり、私が撮影したアリラン祝祭の映像を見せた。板門店を危険な場所として緊張感を売り物としている韓国側の観光ガイドについて柴田君は印象的な話をした。ミニスカートやジーンズなどの服装は禁止、カメラ写真規制とは対照的に北朝鮮側からは服装や写真について自由であったことについて意見を求めた。次の時間で議論をしたい。
 蓮日北朝鮮の少年漫画のような指導者への偶像化、英雄化が報じられている。ヒトラーの再演のような禁じられた国、ニュース源としてメディアが喜んでいるように感ずる。経済制裁で苦しい状況下でも楽園と叫ぶ国民たちが可哀想である。以前私は高麗ホテルで滞在しながら2万人が操るカードセクションのアリラン祝祭、壮快な創出演芸を楽しんできた。戦前の戦況下の日本の「聖戦」を想像し、李承晩大統領の聖人化、朴正熙大統領の開発独裁化の歴史の流れを考え、北朝鮮の3代続きの王国化に戸惑っている。桜井氏の発言の意味は何だろう。

『中国の古橋』

2016年05月12日 05時33分13秒 | 旅行
数多くの中国の橋を渡り、潜り通った美しい橋を思い出させる『中国の古橋』が届いた。福岡の出版社の花乱社(別府大悟)の力作である。岩国のアーチ円形橋の美しさに讃嘆するが、この本をめくりながら、それに数的にも規模的にも圧倒する中国の古橋165カ所・240点の美しさに驚く。最近行った浙江省嘉興市や烏鎮の橋を思い出す。毎日美しい関門大橋の景観を楽しみながら橋の新旧の対照を満喫するような気持ちである。写真作家の榊晃弘氏は古橋を求めて中国各地の古橋を稀に見る芸術作品として見ている。古橋の魅力は何であろうか。古いものから読み取れる歴史であろうか。新しいものより古いものが美しく感ずるのはなぜだろう。伝統の懐かしさにあるのだろうか。私は日中戦争の発祥地に立って盧構橋を眺めながら悲惨な戦争を想像した。古いものには悲しい歴史もある。
 アメリカのオバマ大統領の広島訪問がメディアでも騒ぎになっている。謝罪すべきか、などともいわれている。稚拙な話題と感ずる。私は無辜な人の犠牲について思考している。一人を死刑にして多くの人や社会を生かす論理とは異なる。広島の被爆者は戦争を起こした罪人の代わりに無辜な人が犠牲になったことである。謝罪すべき人は当初戦争を起こした人々、そして原爆を投下した人々であろう。それは当時戦争に生きた人すべて、否、原罪を持つ人間であろう。今は慰霊だけで十分である。

「名誉」

2016年05月11日 05時54分16秒 | 旅行
昨日韓国で出版される本『植民地歴史を正しくみる』の三校と索引をしている時に、飛び込んできた原稿請託、すぐ送ってくださいというメール。「東洋経済日報」への連載のコラム、1時間ほどで送信することができた。このような作業は労働であろうか。出版社や新聞社が職場ではないので労働とは言えないだろう。休息ではないことは事実であるが、遊びではないのも事実である。世の中にはこのような仕事をする人が多い。遊びか労働の範疇に含まれない仕事がある。自由職という職種もある。作家や作曲家などの職種も多く存在している。単純な原始社会では職種も少なく、失業率はもともと高い。社会が発展するにしたがって職種が増えて、労働は資本とされて職場に結ばれて営まれていく。そのなかで職が生まれ自由職が成り立つ。場合によってはこのような質の高い自由職によって作品が創造され、人類に広く影響を及ぼしてきた。
 昨日本欄で紹介させていただいた2人の一人の佐々木氏が連休が嫌だといった。短い連休は楽しい。今度の連休は長すぎであった。長い連休、休職を恐れる人もいる。韓国では職場から「家で子守りをしなさい」といわれるのが怖いという。それは労働の場や質を変えるのではなく、労働から解放、労働の場を失う悲劇の話である。多くの人が「名誉退職」と言われて退職する。不名誉か名誉か不分明なことばが「名誉」である。先日下関の韓国の「名誉総領事」の任命式があった。多くの人が参加した。これは実行を期待する称号の「名誉」であろう。
*写真はアメリカ・サンフランシスコで活躍する建国系アメリカ人作曲家Hyo-shin Na氏

三羽烏

2016年05月10日 06時03分42秒 | 旅行
下関の三羽烏と自称している3人の昼食会をした。野村忠司氏は文化協会の会長、佐々木正一氏は山口新聞の特任編集委員である。私が下関に住み始めてからの付き合い、友人としても、いろいろな行事にも同参することが多い。昨日は何の用事もなく、ただ久しぶりに会ってランチを共にしただけであった。野村氏は私より若干年配であり、また学習プラザの理事長に延任、佐々木氏はコラムニストなどで活躍以外新聞社のイベントや海峡映画祭などに関わった文化活動の現役の方である。私が手術を受けて以来、初めてだった。まず私に対する慰労の言葉から言論界や文化界の話に広がった。
 私は公開講座を行う際の講師に関することを話題にしたが、まず政治家は対象外にした方がいいのではないかというのが彼らの意見であり、意外であった。特に地元の関係の政治と複雑なかかわりを知っているからであろう。下関の学生や市民に関わる全国的なネームバリューの方は誰か見つからなかった。去年日韓関係でもっとも話題になった朴裕河氏の招待講演の時、下関のマスメディアは全く冷淡であったことも話題にした。そして佐々木氏が若い記者を連れて拙著『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』の出版に関する取材が無効になった背景、地域言論の安易さと偏狭さなどが指摘された。地方はまだ田舎の風潮があり、それに屈しないで広げていく、グローバル化に努力しようと三人の決議のような話になった。最後は私の「競争はいろいろあるが長生きが一番難しい、頑張ろう」で締めくくりになった。

「血と骨」

2016年05月09日 06時20分58秒 | 日記
昨日母の日の説教は「子供に聖書を読ませ」よという内容であった。牧師は10余年、神に従う服従の信仰の内容を一日も欠かさず説教をしてきたが、母の日にあった内容の説教はこの日にふさわしいものであった。昨日本欄で私の母のことに触れたが朴正人氏のよいコメントが投稿された。「信念の強さとともに母はとても優しい女性であった。夫婦喧嘩は一度もなかった。」ということについて彼は

在日の1世は無知、無学な人が多くて大体、夫婦喧嘩が多かったんですが(全部が全部そうではないが)その時代にしては温厚な両親の下に育ってうらやましいというかめずらしいというか不思議ですね。国でも民主主義が必要なように家庭でも民主主義というものがなければいけないと思います。父親が独裁者だとその家庭は不幸です。国家も同じ。


 私が在日の方々から聞いたり小説や映画、たとえば「血と骨」などで見る父親の暴力のイメージは強い。それは無知からだけの現象であろうか、独裁者本人の幸せな生き方によるものではないだろうか。その幸せは家族や周りの人たちの不幸、犠牲によるものである。いま北朝鮮の若者が独裁者になってとても幸せな生き方が映像を通して伝わっている。人は一人でいる時、独裁者になりやすい。キリスト教では常に神様と一緒に生きるという信仰がある。
 私が出席している教会は80年以上の教会史を持っているが初めて牧師が辞任するという出来事が起こった。それは人口減少、世俗化により信者が減って当然なことかもしれない。しかし牧会者と信者たちの責任は大きい。韓国から派遣されてきた牧会者の宣教の限界とも言えるかもしれない。これからは信者たちが長い教会史に責任を持って再生に努力すべきであろう。

母の日

2016年05月08日 05時40分00秒 | 旅行
 今日が母の日である。すでに亡くして半世紀になってもいつも心に残っている人が母である。母は70歳すぎまで戦前と戦後を半分づつ生きていた。私は11番目の末息子として母の愛情の中で育った。母は無学、文盲であったが勤勉、正直、真面目であった。一瞬でも休んいることがなかったような印象の女性で知恵の持ち主であった。なによりやさしく人とのトラブルのない、温和な女性、私はその愛情の中で育ったといえる。しかし強いところがあった。私の教育には堅い信念を持っていた。田舎で暮らしていた私に小学校入学前にソウル見物させ、結局ソウルへ転校させてくれた。父が亡くなってから親族たちが私を呼び戻して農家を守るようにさせようとしたとき堅く断り私を勉学させた。今考えると当時田舎からソウルへの転学などは想像もつかないことであった。教育ママ一号のような存在であった。
 信念の強さとともに母はとても優しい女性であった。夫婦喧嘩は一度もなかった。食事は主に菜食であった。肉料理はスープであった。私の子供の時の好物はゴマ、ピーナツ、ノリ、飴、果物などであって、つねに用意してくれたことを思い出す。いま姉が私の誕生日に好物を持ってくる。私の嗜好はかなり変わっている。今家内が母の役割を代わってやってくれる。母の愛情は妻に伝わったのか。それは私の嗜好を通して伝わっているのであろう。母は偉大。千昌夫の母の味の歌が耳に響くような朝である。

美女淑女の訪問受け

2016年05月07日 05時52分36秒 | 旅行
忙しくても折角の招請を断ることは心痛い。10月に行われる中国からのシンポへの招待を断らざるを得ない。去年は地元からの講演依頼に応じられず心に残っている。私は人に頼んで断られたら二度と頼むことがないという欠点を持っているからである。映画などでは恋愛の相手から断られても無理に愛を求めることなどは理解ができない。私は断られたら永遠に終わりと思う。周りの反対とは異なって愛とは愛好の恋、純粋な合意によるものであろう。最近ニュースでは愛情関係による犯罪が多い。それらは愛、そのものではなく、他の人間関係つまり裏切りなどにより、こじれた感情によるものであろうと思う。
 研究室に訪ねて来たお客さん。数年前留学生であったが、途中帰国して転校し、卒業して韓国大財閥企業LGに勤めているビョルビンナ氏である。学生時代には美女で親分のような存在、よく適応していると思ったがいつのまにか成熟した淑女として現れて嬉しかった。彼女に会って素敵に変わったことが新鮮である。学生は変わる。成長する。その変化を前提にしているのが教育である。彼女の変化に教育はどのくらい、どう影響したか聞きたかった。同席した人が多く、それはできなかった。これからさらに成熟していくだろう。

嘘の検証

2016年05月06日 04時59分58秒 | 旅行
昨日は長い連休の最後の日、読書会は欠かさず行った。倉光氏から下関で慰安婦募集をしたという吉田清治の検証について報告があった。主に病院で健康診断に関する記録と証言を倉光氏自身が新たな目て検証しているという。それは下関人の医師として使命のようなものであった。結局秦郁彦氏の検証を再検証することになる。そして嘘、フィクション、事実など様々な問題に逢着して、『歴史とはなにかWhat is History』by Carrを手にしたという。彼はランケLankeの実証史学の事実と歴史に対面して考えているようである。吉田氏のいわば嘘と事実は嘘からの真実の研究課題は無理がないだろう。吉田は当時下関に在住したのは嘘ではない。
 慰安婦=挺身隊は間違いで、嘘である。しかし、それが通用している。赤色が女性、青色が男性のトイレ、赤丸が国旗にもなる記号論的に考えると異様なことではない。そこで私は記号論の基礎用語のイコン、シグナル、信号、シンボル(icon,signal,sign,symbol)などの概念を紹介した。特に事実か嘘に始まり象徴が出来上がり、権威が付与されて、権力によって行政化される。このようなことは宗教組織だけではなく、あらゆる社会の現象ともいえる。天皇制もその一つであろう。問題はその中に正義、自由、平和、博愛などの真理が作用いるかを考えたい。
 

Chie Kiruson

2016年05月05日 05時58分22秒 | 旅行
カンボジアのプノンペン大学から招請状がきた。8月初旬暑いと思うがアンコールワート観光を兼ねて行くことにした。招請状に私の英語の名前がChoe Kilsungになっている。この名前はChoi Kilsungと同様韓国式のローマ字化したものである。私のホームページなどにも英語論文にも使っているものである。また日本では漢字の崔吉城の日本式の読み方でChie Kirusonとなっている。最近ホテルなどでは英語表記が多く、私のローマ字の名前が混同して困ったこともある。ここでローマ字の名前を宣言する次第である。日本では名前を読めないことが多く、本人に確認することさえ一般的である。したがって私の名前の宣言もおかしくない。
 韓国の姓名式は中国から伝来したもの名字は少なく、金が全国民の4分の1になる。日本は日本式であり、苗字が十数万になる。漢字で表すが表意文字の漢字ではなく表音文字であるので意味では異様な感があるものも多い。最初日本語を知らず、名刺を頂き笑ってしまって失礼したことがあった。名字に塚、巫、穴見、鍋、尾、角、桶、雷、鬼などの意味から異様な感を受けた。韓国や中国からの留学生たちには話題にしたことがある。名前だけではなく、日本人とは漢字のつかう方法が異なることを知った。最近西洋系の外国人がコメディに「Why Japanese People」がテレビに出るほどである。切手、有難、鉄火巻などの意味も異様に感ずる。しかし名前の習慣は民族ごとに異なる。韓国やモンゴルでは子供の幼名には雑鬼が付かないように犬の糞など汚い意味の名前を付けることがある。以前日本では自分の娘に悪魔とつけて話題になったことを思い出す。

「命令と服従」

2016年05月04日 05時30分48秒 | 旅行
先帝祭は暴雨で残念であった。その分、韓国ドラマ「太陽の後裔」の鑑賞を終えることができた。中央アジアウロック(仮名)に派遣された特殊部隊と医療奉仕団の活動、戦争と地震など極限の環境の中で軍人と医師のヒューマンラブストーリーである。中国と同時放映したということも気になったが、女軍尹中尉の話は中国朝鮮族の朝鮮語のような話し方が視聴率をあげたのかもしれない。冬のソナタでも男性主人公が人気があったように今度も中国で男性主人公のユ大尉のソン・ジュンギのイケメンが話題になっているようである。それは視聴率を上げた女性ファンが多いことを意味するだろう。普通美貌といえば美女を思い出すが、映画やドラマでは男性美が注目されるのも現代メディア中心社会を表す。私は韓国軍の大尉出身であり、ユ大尉が陸軍士官学校を卒業してアメリカのウェストポイントを終了したことは軍のエリートコースといわれた人物像、同階級の将校として共鳴するところが多かった。軍隊と軍人は一般社会とは異なる。階級主義、「命令と服従」の世界、そこには人脈、権力関係によって出世もできる。軍人の出世は将軍になることである。政治には中立的であり、死を覚悟している。一般人からは不思議、異様な世界への関心を引く。その面白さを映像が映している。
 質問と答えの対話は一般の話し方とは異なる。それは滑稽な感があり、ユーモアを持たせる効果がある。会話だけではなく、韓国ドラマはマンネリズム、結婚反対、川で自殺を図る、交通事故など安易な設定でも視聴率の高さを自慢する風土がある。映画を見て、一緒に食事をするなどしてゴールインへの恋愛コースが決まっている。そんなドラマを毎日楽しむのはなぜであろう。このドラマでは「愛国心とは何か」を語る。訓示などの形式をはるかに超えた高次元の話である。女医のソン・ヘギョはユ大尉と恋愛コースから外れた離合を繰り返しながら愛情を深め再会するハッピエンディングである。中国では人民軍との投影により人気があったのではないだろうか。6月から日本でも放映が決まったようであるが、このドラマに日本人はどんな反応をするのだろうか。

閑散な安徳帝正装参拝

2016年05月03日 05時36分17秒 | 旅行
昨日は連休の間の平日、出勤して3人の留学生を連れて昼食と赤間神宮で先帝祭の前日の行事の安徳天皇の参拝を観覧した。下関市長や留学生たちも参拝した。しかし驚いたのは観覧者が激減していることである。以前の入口から混雑な盛会とは異なっていた。なぜだろう。市の集客活動の失敗か、観光傾向の変化であろうか。おそらく熊本地震による謹慎のせいではないだろうか。その分析の投稿を待つことにしたい。それはさておき今日は雨という予報の中、華麗な行事はどうなるか心配。昨年も雨の中での観覧で、花魁の参拝は見られなかった、今朝今の時間でも雨が降っている。今日3日には、安徳天皇や平家一門をしのぶ「先帝祭」や、海上パレード「源平船合戦」、勇壮な「武者行列」などが行われる。その華麗さを留学生たちに見てもらおうとしているので雨が心配である。
 3人の留学生と昼食をしながら中国で会った広島大学時代の5人の教え子の話をした。二組の夫婦と内モンゴル大学の温都日娜氏の話が話題になった。温都日娜は内モンゴルからの留学生で大病、緊急だったので私が親代わりになって手術を受けた。手術室に入る前、彼女は不安で私の胸に抱き付いて泣いた。その時私は祈ってあげた。家内と多くの留学生が集まって見守って手術、回復して元気になった。一方中国新聞に報道してもらい、彼女のために募金も行った。大連民族大学の朴氏は私が気にしていなかったことを憶えていて当時のエピソードを語った。ある日真っ黒のスーツで正装して講義に出席した時、私から「お葬式に参列したのか」といわれ、恥ずかしくそれ以来その黒のスーツは着たことがないという。今、目の前にいる留学生たちとはどのようなエピソードや思い出を共有できるのだろうか。
 

「太陽の子孫たち(태양의 후예、太阳的后裔)」

2016年05月02日 05時07分46秒 | 旅行
 大連で聞いた話によると、韓中合作のドラマが大ヒットしたという。終映したばかりなのに既に海賊版が溢れれ、また無料ダウンロードもできるという。その話をする側も聞く側も違法という意識はゼロであった。考えて見たい。著作権を通して売り上げを利益とすることとドラマによる文化宣伝による政治的、経済的宣伝効果が大きいことを。韓国のKBSとSBSの視聴率競争は激しい。同時期に放映されたSBSの「叔父よ帰れ」が4%、このKBSドラマ「太陽の子孫たち(태양의 후예、太阳的后裔 )」は38,8%。韓中同時放映、ネット上3回目に中国で再生回数1億回となった。特にこの韓中合作ドラマは中国人にも好まれるだろう。中国のメディアから投資を得て韓国を超えた広い視野をもって製作することができたのだろう。ドラマは「シルミ島」の後続編のような印象、韓国軍人とアメリカ軍人の血紛れの戦い、反米主義のような感動的な場面、特殊部隊の大尉と女医の愛、日常会話のユーモアが面白い。
 日本から見ると中国はネットや不法複写など不正大国のイメージがあるが、それが現実であること認めざるを得ない。世界一大国の不正文化、隣国にも影響する。習近平氏が不正を正すというがその効果が出ているとは思えない。ただ権力者は強いというだけである。世界に中国製品が溢れているが、中国産は質が悪いという逆宣伝効果も大きい。このイメージが定着してしまったら直すのにはどのくらい時間と努力必要だろうか。今からでもハイクオリティ製品、クリーンなイメージを作っていくべきであろう。中国の支配者、政治家は意識を改革してほしい。