担当医の阪田先生が来られた。命の恩人である。大分市からお見舞いに来てくださった毎日新聞の西嶋氏が先生と一緒に写真を撮ってくれた。西嶋氏と転勤以来はじめて久しぶりの再会であった。阪田先生は12月3日に退院を許可してくださった。韓国が好きでよく旅行するというある看護師は「寂しい」と言ってくれた。吸入、水吹き、食前後の服薬、レントゲンと心電図、採血の検査、リハビリなどで忙しい日であった。中に気になるというある患者から聞いた看護師が丁度私の当番であって気にしていたがベテランの看護師が採血してくれて安心した。
午後は萩出身山口在住の英文学の山本孝夫氏親子、安岡病院の吉岡氏、西嶋氏、前田氏と林氏などと談話を楽しんだ。吉岡氏とはキリスト教を基に人生論を長く披露しあった。私は肺結核で精神病患者と隔離静養するとき現れたキリスト教伝道師に伝道されたところには私も涙汲んでしまい、彼女は一人では聞くには到底もったいない話であり、多くの人に聞かせたいと言っていた。彼女はほぼ失敗のない、そしてアフリカのニジェールで20余年看護師と宣教師として奉仕し、交通事故でくも膜下出血で意識不明の状態から神秘的に治り、帰国した話があった。彼女の失敗のない成功もの語りに比べると私の人生は失敗ばかりのようである。
午後は萩出身山口在住の英文学の山本孝夫氏親子、安岡病院の吉岡氏、西嶋氏、前田氏と林氏などと談話を楽しんだ。吉岡氏とはキリスト教を基に人生論を長く披露しあった。私は肺結核で精神病患者と隔離静養するとき現れたキリスト教伝道師に伝道されたところには私も涙汲んでしまい、彼女は一人では聞くには到底もったいない話であり、多くの人に聞かせたいと言っていた。彼女はほぼ失敗のない、そしてアフリカのニジェールで20余年看護師と宣教師として奉仕し、交通事故でくも膜下出血で意識不明の状態から神秘的に治り、帰国した話があった。彼女の失敗のない成功もの語りに比べると私の人生は失敗ばかりのようである。