入院4週目、食前と食後に薬を飲むたびに名前(チェキルソン)と生年月日(昭和)を言うのが病院の規則である。本人確認のために必要とはいえ看護師らとは親しくなってもこれは例外なく続く。私は軍人時代になれた習慣のように応じている。任務引継ぎには必ず挙手敬礼をしながら「官等声明」(陸軍大尉チェキルソン)を声を出して言う。入院生活は軍隊時代を連想することもある。大部分の在日の方は日本式の通名や日本式読み方で通用するので日本人に違和感がないが、私は韓国式の発音で表記されていて、病院関係者は外国人扱いで、日本語が通じるか否かが問題になったようである。最初のICU担当者の看護師は言語コミュニケーションが心配であったと言ってくれた。昨日山口市からお見舞いに来てくださった川村博忠先生は私がどこの病院にいるのかを知らずに下関市内の大きな病院へ行き、私の名前を確認しようとして困り、この病院に辿り着いたがチェキルソンを知らず戸惑ったという話をして下さった。
昨日は韓国の教え子から電話、二人の留学生もお見舞いに来てくれた。私は患者意識も忘れ楽しい時間であったが、疲れてしまい患者に戻ったような状況であった。教え子の韓国慶南大学校の張教授に会うたびに彼が生きているのが不思議な感を持つ。彼は大阪大学留学時、心臓ショック療法で生き返り、心臓手術をしたが私や家族も彼は死ぬと思ったことがある。しかし、彼は不死鳥のように生きて、母校の教授として活躍している。彼は私の病気の先輩(?)として注意事項を言ってくれる。
昨日は韓国の教え子から電話、二人の留学生もお見舞いに来てくれた。私は患者意識も忘れ楽しい時間であったが、疲れてしまい患者に戻ったような状況であった。教え子の韓国慶南大学校の張教授に会うたびに彼が生きているのが不思議な感を持つ。彼は大阪大学留学時、心臓ショック療法で生き返り、心臓手術をしたが私や家族も彼は死ぬと思ったことがある。しかし、彼は不死鳥のように生きて、母校の教授として活躍している。彼は私の病気の先輩(?)として注意事項を言ってくれる。