崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

添削の人生

2009年12月16日 05時28分32秒 | エッセイ
 今、20年ほどの前に出版した著作を増補・再版するために作業している。写真を入れ、900ページくらいになるとと思われる。分量が多く、なかなか校正が進まず半分にもなっていない。自分の文章を読みなおすことで反省するところも多い。基本的な考え方は変わっていないが「添削」するところが多い。主に文章の表現では削り、内容においては添加する。「次に説明する」などのような蛇足の文と重複の文を削る。文の行と行のつながりが内容として繋がっていないので理解しにくいところを書き加える。このような作業はコンピュータがあって楽にできる。
 今までは過去を振り返らず、主に新しいことを目指していたが、自分の「人生を添削」しているような気分である。しかし人生の過去を添削することはできない。特に自分史の中にある過ちを削ることはできない。もし自分の過去をやり直すことができるなら多くの人が教科書的な立派な人生になるかもしれない。しかし、個性の少ない味気ない人間社会になるだろう。国家の歴史にも恥の歴史が含まれている。それをなくして新しく入れ替えてもそれは別のものに過ぎない。負の遺産とは言ってもそれを削ることができない。ただ「赦される」ことしかない。今からも自分の負の遺産を貯えながら「添削の人生」を生きるしかないだろう。

「噂が人を殺す」

2009年12月15日 05時18分09秒 | エッセイ
 東京のあるテレビ局から電話インタビューがあった。韓国のあるものに関するうわさを確認する番組だと言う。「焼き肉のカルビの語源とは何か」などの質問であった。カルビとは肋骨であり、人の肋骨もカルビという。焼き肉のカルビは「牛のカルビ肉」の意味であるというと聞き手は笑った。人の肋骨を食べるイメージがわいたからだという。私は早速反論した。なぜ日本人は脳味噌と言うのかと。脳の中を食品の味噌というのは不思議と思ったからである。その類のうわさについて多く質問された。
 事実ではないうわさが多い。「うわさが人を殺す」(소문이 사람 잡는다)という韓国のことわざがある。魯迅の「阿Q伝」で中国の村落社会でうわさが人を殺すのをテーマにした。私は小さい農村で噂とデマで朝鮮人27名が虐殺された事例を出した。今の時代にはマスコミなどが事実を報道するのでうわさや黒色の宣伝などは少なくなった。しかしマスコミが噂を広げ、「人を殺す」ようなことを平気でしている。
 今天皇に会う前の予約受け付は1カ月前になっているのにそれを守らなかったということで騒ぎになっている。古代ユダヤ人が律法を持って人を攻撃したり非難したりした。それにイエスキリストは律法主義("反対" と "法" )から解放さるように叫んだ。今まで多くの人が妄言などでマスコミの集中非難でやめなければならなかった。正義と戦うことは必要であるが大衆と民衆の世論政治という名目でマス(大衆)で人を追いコミしないようマスコミが注意すべきであろう。

日野原重明氏の講演

2009年12月14日 05時45分34秒 | エッセイ
 東亜大学35周年創立記念に日野原重明氏が講演をした。1300人席という海峡メッセが超満員であった。彼は1911年、山口県生まれ。京都大卒。内科医となり、98歳の現在も聖路加国際病院理事長であり、「生活習慣病」など画期的な医療改革に貢献し、有名な方である。家内がその病院で70年代に5年間務めたことがあり、櫛田理事長の好意で講演の前に控室で家内と一緒に挨拶することができた。
 98歳の彼がボクシング選手のように両手を挙げて登壇して教壇もなく、立ったまま1時間半ユーモアーを交えながら「長寿の生きかた」について語った。彼は最初に韓国の医学への関心の強さとレベルの高さから語り始めた。世界の小学生に命の大切さを教えるために聴診器をもって児童に左胸に当てて心臓が命と考えられがちだがそれはポンプや道具に過ぎない、心臓そのものが命ではないということを含め、命の根源を教えているという。命や時間は目に見えないが、目に見えないものに大切なものがあることを悟るように、。「シャボン玉」の歌詩は命の大事さをテーマにしていることも語った。彼がクリスチャンであることは知られている事実であるが、どんな牧師よりもキリスト教的内容の講演であった。講演が終わって、人波に押しだされて出る時、下関西教会の鈴木牧師が声をかけてくれて嬉しい再会であった。その後、教会の信者たちや看護師たちとの談話では日野原先生のお話に勇気づけられたということで盛り上がり、大満足の笑顔で別れた。(右端理事長の櫛田先生、左端は学長の中沢先生)

姜顕秀氏「韓国の観光と文化」発表

2009年12月13日 04時03分03秒 | エッセイ
 昨日、韓国文化体育観光部の優秀職員として選ばれて海外研修者として東亜大学の客員研究員になっている姜顕秀氏が「韓国の観光と文化」という題で発表し、礒永、鵜沢氏によるコメントのセミ・シンポ形式の講演会が行なわれた。朝日、読売、山口新聞には予告記事が出たが集まった聴衆は30人ほどしかいなかった。小人数のシンポではあったが、私が前日下関市中尾市長、国際課長などに姜顕秀氏を紹介したこともあって、中川課長、釜山市から派遣職員の郭氏などが参加した。韓国関係の発表でありながら民団や教育院の関係者、在日の方が参加していなかった。李永松院長が作ったチャンネルが人事交替で全く機能していない。ただ一人の在日の青木氏がビデオ撮影をし、関心を示していた。
 姜顕秀氏の大変な努力によって日本語で発表ができたことには驚いたが、その内容も良かった。特に日本人の観光がソウル明洞、ショッピング、食、レトロ、軍事、などの観光が中心であることが明らかになった。食文化の交流の話には理事長の櫛田先生にもマイクが回った。
 文化コースに学生募集の低調に、コース挙げての主催なのに学生や教員の参加もよくなかったのは残念なことであったが、セミ・シンポとしては全国レベルでも決して低くないと私は朝日の崔記者と山口の佐々木編集長に強調した。発表者、コメンテーター、参加者に感謝し、大満足だった。

鳩山兄弟の政治家

2009年12月12日 05時59分53秒 | エッセイ
 鳩山兄弟の政治家を持っている母親は如何に幸せであろうか。子供たちは母親から愛とお金をもらえることはどんなに幸せであろうか。しかしそれが困惑に変わり、親子や兄弟にも不幸せな状況になっている。このことは金額の多少を問わず家族と国民の倫理を反映することとして注目したい。国民は主に脱税という不法性や政治的に非難する。法とは倫理や慣習に基づいているという有名なウィリアム・グラハム・サムナーのホークウェイ(Folkways)という著書があるが、今、この話題を日本の家族愛や倫理を反映する法や政治が全く考慮されないことは悲しい。
 二人の鳩山兄弟の政治家が政治的理念や政党が違って政治を論ずることに私は好感を持っていたが、弟の方が兄の首相に対して「兄の偽装記録とは違って自分は一点の曇りもない」というのは政治問題以前の兄弟友愛を否定する発言であると感じた。韓国ではどうだろうか。あんなことを言った弟が非難されるはずである。有名な古典小説の中でよく知られている「興甫伝」がある。心やさしい弟といじ悪い兄を物語る。今度の鳩山家の場合は「逆興甫伝」的ともいえる。鳩山家はお金はあっても兄弟愛が育っていなかったような気がする。

戦争と平和

2009年12月11日 04時58分57秒 | エッセイ
 オスローのノーベル賞の授与式でオバマ大統領が「戦争と平和」を語り、アフガン戦争をテロと過激派から守るために行うというように戦争を正当化した(写真はニューヨークタイムズ)。日本の天皇や総理がこのような演説をしたらどうであろうか。大変な騒ぎことになるだろう。アメリカではウォザーの正しい戦争論が横行することはすでに本欄で触れたが、まさか平和賞をもらう人が戦争を正当化するということは皮肉なことであり、矛盾極まるといえる。この論理であればあらゆる戦争や侵略、喧嘩も認めざるを得ない。平和を守るために戦うことは(to protect the world from terrorism and extremism)賛成であるが「戦争」という手段はいけない。武器を持って平和を実現しようとする人に平和賞は相応しくない。テロの内側を理解して平和な外交に努力すべきである。トルストイの「戦争と平和」とマーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」を再吟味する。

ホームセンター

2009年12月10日 05時04分46秒 | エッセイ
 日本にはいたるところにホームセンターがある。日常品や道具、雑貨などが多く揃っている。スイスやイギリスなどでもこのようなマーケットに行ったことがある。最近韓国でもできたという話は聞いているがまだ日本のようにはポピュラーにはなっていないようである。私はこれも日本特独の文化的長所と言いたい。それはただあるからではない。その細かさである。昨日車の傷に塗るペイントを買いに行った。色分けばかりではなく車の製造会社別の種類、色などによって商品が並んでいるのに感動した。この商品だけではない。この心配りを商業精神だとか金儲けの技術だとか言われるかもしれないが、私は人への細かい関心と思いやりと感ずる。去年アイルランドで本を郵送しようとした時、郵便封筒はあっても紐などは揃っておらず、商品が細かいものまでは揃っていないことを知った。
 マックスヴェーバーは資本主義の精神において商業精神と企業精神と区別した。金儲けばかり追いかけることとは違って倫理とか価値観を持っていることが企業家であり、彼らによって社会は健全に発展すると述べている。いま中国やインドなど発展途上国家においては黄金万能主義が流行っている。本当の近代化や発展は精神的な心配りから始まることを悟ってくれることを望んでいる。
 

喪中につき…

2009年12月09日 05時39分11秒 | エッセイ
 このころ(12月)になると喪中につき年末年始のご挨拶はご遠慮申し上げますという葉書をいただく。私が知っている限り日本特独の習慣であろうと思う。伝統的には死を知らせる訃報を送る習慣であったが、それが新聞などで知らせるようになった。私の広島大学時代の学生であった上水流久彦氏が台湾のそれを分析して親族関係などを明らかにした。日本の喪中の知らせは死を知らせるより死後つまり喪中を知らせるいわば事後報知である。
 民俗学的には死と出産は不浄を発生させるという。特に死の不浄を「黒不浄」といって喪の期間を設定している。私は数十年前韓国の不浄に関する論文を韓国語、日本語、英語などで書いてフランス語で訳されたものもある。目下韓国語で祖先崇拝の原稿を校正しており、日本のこの喪中の知らせについて考えている。大部分は高齢の方の死についての知らせであり、致し方のないものとして受け止める。しかし今度は違う。孝本貢氏が亡くなったということで奥さんから送られたものである。彼は在日の墓や家族関係の論著などを書いた日本家族史の権威者であり、私とはソウル大会、学会、そして個人的には東京から広島までおいでになって話をした友人ともいえる方である。年下の彼が66歳で永眠したということには悲しいし本当にさびしい。喪は家族や知人にとっては不浄ではなく悲しむ期間である。

米軍駐屯

2009年12月08日 05時11分13秒 | エッセイ
世界的に米軍が散在、駐屯しているが今日本では沖縄の米軍普天間飛行場の移設問題が政治的な問題になっている。沖縄には空軍、海軍、海兵隊があり特に飛行機の騒音が問題になっている。韓国の我が故郷の東豆川には戦後最大の米軍基地が設けられいて、未だに大部隊が駐屯している。私は時々朝鮮戦争後米軍によって「売春村」になる過程について書いたように、それは戦争の産物である。東豆川は38度線南側の地点であり、対北戦略地の米軍は平和の象徴として存在している。主に陸軍の軍人は独身者であるので売春、性暴行などがたびたび発生して社会的問題になっている。しかしその部隊の移動には住民は反対する。それはすでに古くから定着していることと経済効果が大きいからである。
 日本にもそれと似ている米軍駐屯の理由がある。日本はアメリカ真珠湾攻撃によってアメリカへも大きい被害を与えて敗戦した。それでもアメリカはその日本に38度線のような悲劇的分断を設けず天皇制を認め、戦災から再建させ、そして民主主義国家作りに主力を注いていた。それは戦前日本が戦争や侵略などで占領して植民地としたのとは全く違うものであった。戦後日本人はその恩を知らず、あってはならなかった原爆ではあるが、それに対する怨念ばかりのような態度をとっている。憲法9条にも感謝すべきある。日本が軍隊を持たず米軍を駐屯させ経費の一部を負担するのは当然と言えば当然であろう。沖縄の住民に言わせると戦争に多く犠牲になり、さらに米軍による騒音に耐えらられないという。戦争の罪は大きく、深く、長い。まだ戦争賠償も完全に終わっていない。日本国民は敗戦を痛感すべき、本当の敗北主義によって平和な民主国民として生まれ変わるべきであろう。
 

カバン持ち

2009年12月07日 05時29分01秒 | エッセイ
 最近カバンを背負って歩くのが負担に感じて旅行用のキャスター付きカバンを引っ張って歩くようになった。「またお出がけですか」と聞かれることもある。先日は同僚の上原教授が私の「カバン持ち」(?)になってくれたが一昨日は東亜大学の櫛田理事長が私の「カバン持ち」(?)になってくれた。大変恐縮で不安な気持ちと感謝の気持ちでいっぱいであった。理事長とは数回韓国へ同行したことがあるが、何回もそのようになったことを覚えている。ある大学で総長と理事長の二人がローヤルボックスに座るケースがあったが私に勧められた時は驚いた。もちろん私は極力遠慮した。
 日本では「カバン持ち」という言葉がある。それは偉い「上の人」(?)のカバンを意味するようであるが、私の場合は単に高齢であるからであり、ご厚意に甘えさせていただいた。人への思いやりと謙遜の本音は逆に尊敬されるようになる。私は恩師のカバン持ちをしたことは忘れているが、病弱であった慶南大学の張教授のカバンを持って歩いたことは覚えている。今外は寒い風が吹いているが、隣人愛の暖かい風を吹かせたい。

日韓海底トンネル

2009年12月06日 06時28分48秒 | エッセイ
 去年韓国の友人の記者から佐賀県唐津で行われた日韓海底トンネルのための会議に参加したということを小さい集まりで聞いて話題にしたことがある。韓国のある企業の発案で計画中でありその案に日本側が関心を見せた会議であったという。しかし数日前韓国政府が2020年までにそれを完成する計画を立てたと共同通信から伝えられたので具体化が感じられる。日本が植民地時代から計画したことを実現するようであり、韓国の民族主義団体からは反対が予想されるともいう。
 鉄道は直線の地上線路が必要であり工事より線路の土地を確保することに巨額の予算が必要である。場合によって不可能になる。たとえばある個人が所有地を譲らなければできないことであり、民主主義国家では高速鉄道を作ることが無理であろう。したがって地下や空中がよく利用されるようになり、地下街の文化とは民主主義のシンボルともいえる。
 日韓海底計画も技術だけの課題ではなく、日韓において政治的な問題も解決しなければならない。戦前の日本帝国は戦争と植民地、征服などによって北緯50度線から赤道まで版図を広げていった。再来週私は台湾で戦前海軍省が制作した映像を見せることになっている。画像とともに高音のナレーションで「我が日本帝国のが台湾を開発した」と叫ぶ41分の映像をみせながらが台湾研究者の植野氏、笠原氏と鼎談をする予定である。海底トンネルのような「新帝国主義」的な現象をどう語れるだろうか。

テールスープ

2009年12月05日 05時15分27秒 | エッセイ
 帰宅の途中本屋によって偶然会った下関の中尾市長に話をかけて旧友のように立ち話をした。駅前で迎えにきた家内の車に乗ろうとした時、後ろから着物姿の美しい中年女性から声をかけられた。教会の亀松氏。わが家より少し遠いところまで家内の車で送って上げ、帰りに彼女からいただいたチョコレートやリンゴはとても美味しかった。
 冷蔵庫にはある人からもらった馬肉がある。それを食べる気にはなれない。自分では何でもよく食べると思っていたが実はそうではないことに気がつた。若い時はハムなども好きだったが今はほぼ口にすることがない。次第に韓国食に戻ったようになった。それは家内が私の好みに合わせて作ってくれるからであろう。帰宅して家内の手の込んだテールスープで夕食をとった。昔日本人がテール料理ができなかったころテールは安かった。しかし今は日本人も好む人が増えて安くはない。ミミチャン(愛犬)も大好き、スープも飲む。幸せな時間であった。

ニューカマーNew Commers

2009年12月04日 05時55分21秒 | エッセイ
 韓国での一番古い私の弟子ともいえる慶南大学校の張竜傑教授が研究教授として渡来して一年間になる。彼とはしばしば電話をしたり会ったりしている。彼は日本の漫画やアニメーション、ポップカルチャーが韓国へ影響することを研究し、面白い論文がある。今度の日本での研究テーマは「在日」であった。長い間日本に留学した彼が改めて「在日」に関心を持って、新大久保などの韓国人集居地を回りながら調査をして、昨日は帰国の前にその感想をまとめて言ってくれた。
 在日の調査からより浮かびあったのがニューカマーであるという。つまり植民地と無縁な新来韓国人と旧来の「在日朝鮮人」との不調和の関係に注目したようである。私も李光奎氏との共著の『差別を生きる在日朝鮮人』で指摘したテーマである。彼は新来韓国人のナショナリズムが問題が大きいという。韓国人の意識構造は李朝社会の連続のようなもの。彼がそのような研究で「親日的」といわれたという。私の遺伝子が彼に移ったような気持である。信念をもってもっと大きい声で韓国人の意識改造に貢献してほしいと励ました。

権力と権威

2009年12月03日 05時12分26秒 | エッセイ
韓国の大学教員たちは学内の役職に関心が高い。もちろん政界への関心はより高い。私の恩師の中では文部大臣や次官などを歴任した先生もいる。また一切その方面の関心が全くなく(?)教育に一貫した先生もいる。前者は権力志向型であり、後者は権威志向型と言える。
 昨日ある若い教員にその例の両者をもって校内の役職は権力志向のもの、いわばパワーでありそれは正門の外側では意味のないことで関心を持つべきではなく、教員であれば権威を志向すべきだと説教調で言った。左官やコックなどがその技術と人格などが総合的に成長し、尊敬されるのが権威authorityである。
 社会組織にはパワーとオーソリティが尊重されるべきであるが、日本の伝統的な徒弟教育ではオーソリティが尊重されたようである。私はいまだに教育は権力志向の人間像ではなく、オーソリティ教育に力を注ぐべきだと強く思っている。私の説教(?)に相手は納得したようであった。

「政権交代」

2009年12月02日 05時41分08秒 | エッセイ
 「政権交代」という言葉が今年の「流行語」として選ばれたという。長期政権においてマンネリズムになった行政、無駄使いなどが明らかになっていく。国民の税金を大事に使う意識も高まらず決まったお金を適度に配分し、名目を立てて使ってきたことが感じられる。今、自民党時代が韓国の12年間続いた李承晩大統領の古い独裁時代を思い出させる。世代交代や世襲制の北朝鮮で「政権交代」が流行する日を待っている。
 自民党の谷垣氏が与党の時は比較的に客観的で理知的な人だと思ったが話の調子が高くなり、口の砲門が野党へ向かっている姿に失望している。すぐに自民党に政権交代にはならないように民主党が政治、行政を斬新的にしてくれるよう願っている。
 脱官僚の流行語も人気があるという。日本の官僚主義は政治にとどまらず人の意識構造にも高まっているようである。私は今、大学で役職の肩書が一つもないのに行政に提案したりすると教員の中には「何の地位(資格?)で言うのか」という反応をする人がいる。大学さえ「指示」「命令」が因習となっている。私は若い時軍隊の中でそれが一番嫌で除隊を希望し、研究者になったが、結局それを逃れることは難しい。本当の自由がほしい。