崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

国分直一先生

2008年12月16日 05時50分11秒 | エッセイ
 昨日,梅光大学博物館で開かれている国分直一先生の生誕100周年記念展示会と記念講演会に参加した。先生の肉筆の生原稿と図面などと一緒にキリスト教の宣教師たちによる学院創立者の資料も展示されている。国分先生とは昔韓国の雲堂旅館で会ったことがあり、それ以来学習院大学主催の研究会などで何度かお会いしたことがあった。先生は戦前から台湾研究で著名な考古学者として朝鮮文化に関する論文も書いた方である。学習院大学で行われた88歳の誕生日のお祝い会に参加した時、ある方は先生を真面目過ぎな学者で乞食に誤解された方であると披露していたのを思い出す。
 当時、私は先生の肩書を見て梅光大学がどこにあるか知らなかった。私が下関に来ることになって、またお会いできると思ったが2005年に96歳で永眠されたとのこと本当に残念である。下関の海岸の綾羅木で工業用の砂を掘る時発見された土笛や先生が彼の恩師の金関丈先生と発掘したものが綾羅木弥生遺跡として発掘保存されるようになった。その業績が報われて梅光学院大学の終身教授になられたのである。梅光大学は大学経営が難しい時でも研究と縁を大事にする温かい人情のある大学だと感じた。

クリスマス イルミネーション

2008年12月15日 05時26分41秒 | エッセイ
 我が教会の右横の鍵屋はきれいなイルミネーションをしており、左側のちゃん麺屋は明るいネオンで美しくしている。真ん中の教会はイルミネーションやネオンもなく、暗い建物にスタンドグラスが静かに光を出していて世俗と対照的である。駅前や百貨店などは大型のイルミネーションが美しく飾ってあり、年末の寒い冬の夜に光り輝いている。本来クリスマスはイエスの降誕を記念するキリスト教における宗教的な行事である。 イエスが生誕したことは、この暗い世を光で照らしたという意味がある。イエスの生誕と関連するクリスマスツリーやロウソク/ライトを立てる風習がある。
 キリスト教文化圏では教会の行事として、信者たちが祝うのであるが日本では宗教的な意味はなく、イルミネーション、オーナメントなどだけが盛んに飾っている。それも商売人のクリスマスになっているようである。あるいは飾りなどの文化的なクリスマスに過ぎない。おれおれ詐欺、犯罪、嫉妬、喧嘩、戦争、死、闇などが溢れている世相に信、望、愛の光と平和を持って生まれたイエスキリストの誕生を少しでも考えてほしい。

遅刻と守刻

2008年12月14日 05時47分59秒 | エッセイ
 昨日大阪「民博」の研究会にギリギリの時間、開始5分前にたどり着いた。新大阪から地下鉄を乗り変え、またモノレールへ乗り換えて万博公園の前に来た時は残り時間僅かであったが、熱いうどんに氷水を入れて30秒くらいで飲み込むように食べて早足で研究会場に着いて、メンバーたちには平穏な表情をした。しかし私は時間を守れたので、内心、万歳を叫んだ。少なくとも1時間ほどは「遅刻か守刻か」の緊張状態であった。東京などから帰宅する時もエスカレーターの階段を2段ずつ飛び上り走ってやっと飛行機に搭乗したことも少なくない。いつしか「遅刻」の不安から、人の視線を意識して、時間を守るために「守刻」するようになった。しかし今の私は人からの視線というよりは自分自身への視線からであろう。
 学生たちは遅刻しても慌てる様子も感じられず、朝寝坊したという人も多い。それは表面的であり、実は緊張して急いで来たのかも知れない。そのような学生は居眠りも多い。講義や研究会などでも居眠りした人が「さっぱりわからない」、「面白くない」と否定的なコメントをする。「守刻」は他人の視線より自己管理の基本であろうと思う。

師走のロングストデー

2008年12月13日 06時56分59秒 | エッセイ
 12月を年中でもっとも忙しい月「師走の月」という。昨日私には師走の師走ロングストデーであった。打ち合わせ、会議、数十年前の私の恩師へのインタビュー映像を私の教え子が撮ったものが沖縄から送られてきて補強するためのコピー、映像編集法の学び、ニュースレターの発送、そして午後6時半から9時半まで教育を考える会(堀内)の集まりで「サハリン朝鮮人:戦争と民族」について講演した。サハリンにおける戦時交戦中の人間の本性、24時間営業の花産業と朝鮮人などについて語った。
 懇親会での自己紹介では定年退職した後も忙しく暮らしているという人、大小の集まりに出席している人、定年して再婚した人、新聞配達を始めた人、植民地研究をしている人、歌で子供に日韓文化交流をさせている人など様々である。また定年を前に定年後の設計などを披露する人もた。中にはテレビ局を退職した人でがカンボジアのポルポト政権の残虐性のドミュメンタリーを作成するために4,5回、撮影するために行って来た人もいた。実に下関には人材がそろっていると感じた。ロングストデーとは苦しい日を指す場合が多いが、私にとっては彼らといろいろと協力しながら老後を楽しんでいるロングストデーであった。

匂い

2008年12月12日 05時21分32秒 | エッセイ
 同僚である教員から匂いを研究していることを聞いた。匂いは目には見えないけれど揮発性の化学物質で、鼻の粘膜にある嗅細胞を刺激すると、感じるのだという。私は音や光のような波状ではないかと思い、テレビなどの料理番組でも匂いを出せるようになるのではないかと期待していた。光や音より嫌な臭いや良い香りがより実態に近いものである。
 物体が変化する時臭いや香りが強く出ることがある。焼香は広く宗教儀礼に使われている。命は死んでもその物質は匂いのように揮発して、存在するという意味がある。そのにおいや香りは神の世界で用いられるものであると言う。私は韓国の祖先祭祀で祖先が供え物の匂いに「応感」するという言葉をそのように解釈したことがある。今、人は自分の匂いを強い人工香水で消している人が多い。それは私に言わせると自己否定のようにも感じる。ほなかな香りは良いが、強い香水の乱用は控えるべきであると思う。

挨拶

2008年12月11日 06時01分29秒 | エッセイ
 挨拶する人が少ないことが時々話題になっている。私も子供の時「韓国は東方礼儀の国だ」「挨拶をしなさい」など耳が痛いほど聞かされ、特に親から頻繁にいわれて嫌な気分であった。挨拶とは上下関係、距離、出会い、別れ、感謝などによって行われる生活文化であり、国家においては外交行為までさまざまな挨拶など複雑なものまである。煩わしい形式的なものから非常に簡単ものもある。
 アジアの国々では日本人は礼儀が正しく、人に迷惑をかけないと肯定的に言われている。しかし今の日本では挨拶がなさすぎる感じがする。他人に対してはさておいて知っている範囲の中でも挨拶は少ない。その方が煩わしさがなくて良いかもしれない。一方結婚式、葬式、いろいろな行事においては演説的な「ご挨拶」は非常に多い。挨拶は人間関係を「縮める」か「遠ざける」かの機能がある。形式的な挨拶だけでは遠ざかるのではないだろうか。人に関心をもって人間関係に潤滑油の「挨拶」を注ぐのはいかがであろうか。

自家理髪

2008年12月10日 06時07分51秒 | エッセイ
 わが夫婦は結婚して以来、数十年間理髪や美容院に行くことはない。私は家内の髪をカットし、家内は私の髪をカットしてくれる。いろいろと便利である。家内は私の腕前に全面的に信頼してくれる。私が失敗したような時でも「すぐのびるから大丈夫」という。私の好みによって髪型を変える。
 しかし私は家内へ不信感はなかなか消えない。まず家内の鋏の持ち方が不安定で耳が切れらそうに感ずる。昔、調査中のシャーマンが交通事故で耳を失い、悲しんでいたことを思い出す。私は被害妄想的であることに気づく。JCOMチャネルで放映中の自分の髪型をみて不満で家内に文句を言った。家内も自分の好みの髪型にカットするので、私の好みの注文をしてもなかなか受け入れてくれない。おそらく私の家内への髪型にも不満があるはずであるが、信頼と不信の差がある。不信者より信頼者が幸せであるから私は家内に負けている。

「狗肉」

2008年12月09日 05時43分34秒 | エッセイ
中国は北京五輪の前に北京市周辺のレストランに対し犬食「狗肉」を禁止した。オリンピックが終わり、今では犬肉は完全に市民の食卓に戻った。この話はソウルオリンピックの再販のようである。中国では冬が犬肉を食べるシーズンだというが、韓国の犬肉「補身湯」の季節は夏である。中国料理はメニュや食材が多様である。犬肉もその一つである。犬を食べる食文化は中国文化圏をはじめ朝鮮、ベトナム、東南アジア、ポリネシア、アフリカのエチオピアなどである。日本も江戸時代までは食べたようである。今民族的に代表的な食文化として選好する民族は中国の朝鮮族である。「狗肉」食堂がずらり並んでいる中国延辺の食堂街で私は脱出するように逃げたことがある。私と家内は犬食文化の中で愛犬を飼っていて大変苦労した体験を持っている。いま小泉という人が34年前に処分された愛犬の仇討ちをしたと供述している。
 犬肉に関する相反する理論がある。一つは食材論であり、何を食べようがそれはその民族が決めることであって他民族からとやかく言われる筋はないという。もう一つは愛情の論理である。この愛情は犬に対するもののようであるが、実は犬を愛する人のため、つまり人権を守ることである。イギリスや日本などのように愛犬人口の多い国から犬肉文化は異様なものに感じられる。日本の捕鯨も再考すべきである。

胡麻

2008年12月08日 06時01分17秒 | エッセイ
 韓国人たちが日本から買っていく食料にゴマや胡麻油が人気がある。関釜フェリー港の売店には業務用のごま油が多く陳列されている。日本製が「安く質が良い」という。それより日韓ではゴマについての味覚が異なっているようである。日本の料理に比べて韓国ではゴマやごま油が多く使われている。日本料理では油は天ぷらなどで熱を利用して揚物にするのが主であるが、胡麻油は高温では焼けてしまう。韓国ではゴマ油は熱を利用せずその香りや味をもって味付けをする薬味になっている。つまり日本では主に油の熱を利用するが、韓国では主にそのまま油を食べるということである。
 胡麻は子供教育用の人気番組として有名な「セサミ・ストリートSesame Street」やラスキンの評論集「ゴマとユリ」などを通しても世界的に知られている。韓国人にとってゴマはとても馴染みの深い食料である。味付けだではなく、ごまを餅のあんこと同じように使用したりごま油を餅の表面に塗ったりする。その味が香ばしい「コソハダ」という。また新婚生活などもっとも楽しいことを「ケーガソダジンダ」(ごまが溢れ出る)と表現する。いま韓国人が日本からその香ばしい楽しさを持ち帰る。しかし、日本が幸せの国と感じるのは今ではオーバーセンスではなかろうかと思われる。

生ピーナッツ

2008年12月07日 05時32分47秒 | エッセイ
 ソウルの姉から生のピーナッツが届いた。姉が家の周りの畑で栽培したものである。私が子供の時から生のピーナツが好きであることを知っているからである。
 ピーナツは世界的に好まていれる。食べ方は多様であるが、大体はお菓子やつまみなどのように食べるが料理で使うところも多い。日本では食べ方が単純であり、私には焼き過ぎのものが多く、料理したものは少ない。日本では生のピーナツを求めてもなかなか手には入らない。ピーナツ商社のホームページに焼きすぎであると書きこんだこともある。
 数年前サン・ペテルブルグのホテルで朝食に生のピーナツが出て感動した。ロシアでは生で食べる食習慣があることを知って嬉しかった。アメリカのピーナツにはあまり焼きすぎのものはなく、製造方法も多様である。元大統領であるカーター氏は南部地域の畑から出たピーナツに「ピーナツ大統領」というキャッチフレーズを使った。
 今年も寒さとともにすでに師走に入ってしまった。ピーナツ、メロン、リンゴなどのお歳暮を食べながら誠意に感謝する季節になってきたと感じている。

シャーマン鼓など数十点寄贈

2008年12月06日 06時01分15秒 | エッセイ
 昨日韓国国立国樂院から三人が来られて、シャーマン鼓、鈴、太鼓、鉦、鐘、巫神図、符籍版、占い書、録音テープ、フィルムなど数十点の寄贈品を包装して持ち帰った。個人で保管するより良いと思い1960年代以来収集した物を寄贈したのである。その中には人間文化財の故金石出氏が4代続きで使用してたものを私に記念にくれたものもある。ほとんどシャーマンから譲り受けて、謝礼をした物、購入したもので、愛好して室内に飾っていたものである。1960年代から映像で撮ったもの、録音したものを包装しているのをみて自分の人生の一部を切られるような痛みと虚しさを感じた。一方、公的に国家が管理するという安堵感もあった。二人の研究者が一緒に来たが何一つ記録などしない。博物館に私の寄贈品として展示するというが、解説などはどうするつもりなのだろうか、疑問である。しかし、それはもう私のものではないので干渉するつもりはしない。全財産や大金を社会に寄付する人の気持ちが若干わかったような気分である。

最後の葉

2008年12月05日 06時52分08秒 | エッセイ
 四季のある日本でいま紅葉が見事である。桜花とは対照的に葉が落ちる前兆でもある。植物には周期がある。種から花、紅葉、落ち葉のプロセスがある。それを人生に例えることがある。オーヘンリーの短編「最後の葉The Last Leaf」は肺炎の女性が窓から葉が落ちていくの数えながら自分の命の最後までカウントダウンする。最後の葉が落ちる時自分の死と思いこんだ。しかし最後の葉は落ちなかった。自分の生きる意欲を戻せる。
 葉は落ちて栄養になり、春には生き返る。人にもそのような周期があるはずである。ただ科学的合理化によって人が死ぬことで「亡くなる」というのだ。一年草のように種によって命が続く人がいれば木のように成長したまま花や紅葉を繰り返す人もいるはずである。生きる意欲、よい生き方を考えている。

クリスマス礼拝の説教案内

2008年12月04日 04時51分14秒 | エッセイ
 2008年12月21日に下関バプテスト教会でクリスマス礼拝の説教をすることになった。1950年朝鮮戦争の時に破壊された瓦礫の上でアメリカ人の宣教師の説教を聞いてクリスチャンになって以来教会生活をしている。家内と出会ったのも教会であり、教会で結婚式を挙げて信仰を共にしている。1960年代には牧師やキリスト教研究者たちと研究会をした。クリスチャン教授会の代表も勤めた。韓国のキリスト教は植民地への抵抗、民主化運動へ大きく影響した。そのせいか、津津浦浦まで教会ができた。
 日本のキリスト教会の勢いは弱い。しかも高齢化しており、活力をほぼ失っている。オーム真理教など宗教事件などで教会に対する恐怖感を持っている人が多い。私が教会でメッセージを語るので、ある親しい人を誘ったら教会は怖いという。しかし、すでに街にはクリスマスのイルミネーションやクリスマスキャロルが流れている。クリスマスをただ年末行事のように思っている。クリスマスの意味を知らない世間へクリスマスの喜びを力説したい。ぜひ来て聞いてくれるよう願う。

「結婚したか」

2008年12月03日 05時46分55秒 | エッセイ
 先日下関韓国教育院主催の韓国語教師たちの研修会の懇親会で体験日韓親善の話で盛り上がった。韓国に数年間留学して現在下関で韓国語を教えている若い女性から韓国での体験談が語られた。韓国人からよく頻繁に聞かれるのが「何歳か」「結婚したか」「いい男を紹介してあげようか」などプライベートなことであるという。同席した家内はそれに加えた。「子供がいない理由」「代理母による方法」「養子をとる」など非常にプライベートなことまで深く関与してくれるので大変だったといった。韓国や中国からの留学生たちも平気で女性にそのような質問をする。私はアメリカから来られた学者に日本では招聘するのに年齢の制限があるので年齢を聞いたが、彼は不快な表情をして知らせてくれなかったことを思い出した。
 一般的に韓国人は人のプライベートを知っていることが親しさのバロメーターのように思っている。個人情報を出さない日本人からすると不快になるが、韓国人からは日本人は冷たくドライな人間と感じられる。プライベートを共有することによって親しくなるのは当然であろう。夫婦は恥も共有するからこそ関係の強さがあるようにである。

民主化は簡単に授かるものではない

2008年12月02日 05時18分06秒 | エッセイ
 私は数年前、数回東南アジアでは植民地にされていないタイに調査旅行をした。植民地された国での卑屈さのない純粋さと平和な社会を想像しながら見回った。しかしそれは感じ得なかった。国王、仏僧、首相の三本柱で支配されるという。地方行きの飛行機を待機していたが、坊さんが優先されているので仏教が国教であることを実感した。またいたるところに国王の写真が貼ってあった。アジア諸国が近代化に鈍感な時、タイ国王は自らイギリスに行って積極的に近代化政策を成し遂げながら外交をして植民地を逃れたのである。国王は尊敬され、軍を統制する。以来タイ政治には国王が安定の軸になり、民主化の弊害にもなる。植民地されなかった分、民主化の先進の国になっていない。今、反政府勢力がバンコク近郊の新旧2つの国際空港を占拠している。国際空港の長期閉鎖という異常事態になっている。民主化は簡単に授かるものではない。多くの犠牲を要するものなのではないだろうか。