崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

遅刻と守刻

2008年12月14日 05時47分59秒 | エッセイ
 昨日大阪「民博」の研究会にギリギリの時間、開始5分前にたどり着いた。新大阪から地下鉄を乗り変え、またモノレールへ乗り換えて万博公園の前に来た時は残り時間僅かであったが、熱いうどんに氷水を入れて30秒くらいで飲み込むように食べて早足で研究会場に着いて、メンバーたちには平穏な表情をした。しかし私は時間を守れたので、内心、万歳を叫んだ。少なくとも1時間ほどは「遅刻か守刻か」の緊張状態であった。東京などから帰宅する時もエスカレーターの階段を2段ずつ飛び上り走ってやっと飛行機に搭乗したことも少なくない。いつしか「遅刻」の不安から、人の視線を意識して、時間を守るために「守刻」するようになった。しかし今の私は人からの視線というよりは自分自身への視線からであろう。
 学生たちは遅刻しても慌てる様子も感じられず、朝寝坊したという人も多い。それは表面的であり、実は緊張して急いで来たのかも知れない。そのような学生は居眠りも多い。講義や研究会などでも居眠りした人が「さっぱりわからない」、「面白くない」と否定的なコメントをする。「守刻」は他人の視線より自己管理の基本であろうと思う。