愛する弟子が失敗してやり直そうとしている。彼は失敗した原因を考え、その対策をいろいろと模索するようである。失敗していることを最初からみてきた私として彼が最後まで立ち直ることを待ち望んでいる。しかし私は彼の対策や方法の改善には期待しない。もっと根本的なところからやり直しを期待している。つまり方策ではなく、深い反省から「生き方のやり直し」を期待している。悲鳴に近い彼の音信に私は悔い改めを勧めるような言葉を返した。その言葉を送るには私も心が痛かった。私が成功したという立場ではなく、失敗や罪を犯したという誰でも「罪人である」という聖書から借りたことばである。彼が立ち直ることを祈っている。