崔吉城との対話

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「日本人が美しく見た韓国」東洋経済日報への寄稿、2017.9,8

2017年09月10日 05時26分02秒 | エッセイ
日本人が美しく見た韓国
崔吉城
 
 それほど古い歴史ではない。支配、開拓、出稼ぎなどのために多くの日本人が植民地に夢をもって移住した。彼らのアルバムにはその夢の時代を物語る写真が多い。引揚の苦労話とは対照的に日本人の植民地での生活の痕跡として観光や旅行の時に撮った写真が多い。
 植民地時代に日本帝国全体の台湾、満洲、樺太、南洋、東南アジア、日本などの絵葉書が三十数万枚ある。その中から朝鮮半島に限って『絵葉書から見る近代朝鮮』(全7巻)が韓国民俗苑から出版された。実は出版社が7年ほど前から企画し、浦川和也氏の解説、小生が監修したものである。日本文、韓国文と英語のキャプション付きで出版した。韓日のフォント調整、地名表記など細かい作業が大変だったが、日本では大手書店の紀伊國屋書店から販売されることになった。
 大部分は写真ハガキであるが、「絵葉書」といったのはなぜであろうか。版画印刷から色分解式印刷への発展過程を意味するが、白黒の写真に着色した葉書を絵葉書と考えたら分かりやすい。カーラー写真のない時代に白黒写真に色付けした、いわば「着色写真」が多く混ざっている。朝鮮総督府の青銅ドームは青に塗られたり赤に塗られたりしている。着色写真はリアルな写真とはいえない。証明力が低下する反面、美格が上昇し、商品価値が高い写真である。白黒写真は美化され(?)絵ハガキに変身する。リアルとは言っても日本人が見た朝鮮のリアルと絵にされたものはどう異なるのか。さらに偏見やバイアスもあり宣伝PR、プロパガンダ的なものも多い。白黒写真はリアルなものを見、着色写真は美しさを見るというように、その見方も変えなければならない。
 情報が少ない時代に先んじて画像媒体としての役割を果たしてきた絵ハガキを私たちは今どのように見るのだろうか。絵はがきは他の媒体とは違った特性がある。絵ハガキには単純な画報や写真以上の意味がある。今のように映像が優先されるメディア時代を先行した媒体が絵ハガキである。関東大震災を伝えるものも多い。葉書きの余白に個人的な通信が入る点が特徴であり、特に魅力的だといえる。当時の生活文化をリアルに見せているからである。
 当時日本人たちは植民地朝鮮で何を見て何を感じたのだろうか。ヘアースタイル、屋根、道路などへの日本人の視線が分かる。私が絵葉書から受けた強い印象は日本人が朝鮮を美しく見たことであり、絵葉書によって観光名所が開発され、今まで継承されていることを知ることができる。観光政策の以前に見て撮られた絵葉書から現在の金剛山、閑麗水道など多くの観光名所が生まれたといえる。私はこれからも続けて絵葉書の共同研究を進め、新たに分析、議論して出版していきたい。それは単なる写真集ではなく、深く考察するものにしたい。

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