崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

花嵐忌

2013年03月21日 05時37分42秒 | エッセイ
今日は女優田中絹代の「花嵐忌」であり、昨日はNPО田中絹代メモリアルぶんか館の作家古川薫名誉館長と平井愛山理事長、映画関係者たちと一緒に午前中下関市中央霊園で墓参りをし、午後には絹代の1949年訪米の記録映像を見た。面識のない田中の墓へ焼香し、祈った。新年度から私が「絹代塾」長として絹代に関して勉強しようと覚悟した。
 人が死ぬことは「止」「静」になることである。特に俳優は「活動写真」など映像を多く残すことが出来るので死んでも生きているようである。絹代記念館で皆で一緒に弁当を食べながら権藤博志氏製作の映画祭記録映像をみてから河波茅子事務局長の案内で記念館展示を改めて観覧した。大阪から参加した大学院生の津田なおみさんは絹代に関する学位論文を準備していると言い、一所懸命にノートを取っていた。絹代は近い親族の小林正樹に抜擢されて名優になったこと、占領下の日本の女優として光栄なる訪米、大歓迎されたことを知った。私はアメリカが占領して、まさかアメリカ合衆国の一州のような日本の名優を迎えるような感、その日米親善大使として絹代の役割として読み取った。
 夜は韓国教育院長金起萬氏宅に招待され韓国料理で歓待された。話題は食材の比較の奇談であった。日本でトウガラシとおもって買ったオクラ、そして土筆、ジュンサイ、ミョウガなどは全く知らないという。院長の奥様は日本食はお口に合わずお米からキムチはもちろん全ての食料を韓国から運んで食べるという。昨夜は牛骨のスープなど韓国の季節料理の一年分を味わったような感じであった。

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