崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

花見を考える

2009年03月20日 06時12分51秒 | エッセイ
 桜前線が次々発表されている。桜という植物の分布は広いがその花見の文化圏は日本に限られる。つまり花を観賞するその仕法が日本的であろうということである。日本人は花好きな国民といえるが、観賞のあり様はかなり日本的である。花を生けたり盆栽を作ったり、日常生活で花を愛するのは日本文化の優れた点である。しかしその花好きな生活とは若干異なるのが桜への過熱的な花見である。桜の花見に比べて梅、藤などそして野生の草花などは桜に比べたら関心が薄い。桜の花見が終わったら今年の花見は終わったというような態度をする人も多い。よその家を訪ねても生け花や、道端の野生の花に無関心な人たちが桜の満開の下に席を先取りしてまで宴会をする人たちも多い。桜の花見をしないと「非国民的花見」は望ましくない。それが花をナショナリズム化することにつながるからである。まず花を愛する心「美覚」を高めて、美的生活を定着させるべきであろう。花見の本質へ戻って考えてほしい。

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