崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

フィクションの中の嘘

2012年11月30日 05時31分50秒 | エッセイ

 韓国のドラマを楽しんでいるが気になることは軽く嘘をつくことである。ドラマ自体がフィクションつまり作り話ではあるが親が心配しないように隠すことから平気で嘘をつく。それが知られても了承されるのも自然に行われる。日本のドラマでは隠蔽が多い。フィクションの中の嘘とはいっても韓国文化を反映するものであり、日本から見て異様に感じる。嘘と言うのは言行一致という基準からその倫理を犯すことになるから悪いこととして意識する。しかし言語生活の中では礼儀上の言葉にウソのようなものが多く含まれていることに気が付く。「元気か、はい」とう挨拶のレベルでも言行不一致は多くある。また鳩山氏が出馬をしないと発表して数日後訂正を発表して非難されている。その個人の心境の変化は嘘ではない。むしろ正直であろう。約束を守らないことも嘘と言う人いる。嘘の本質は他人に対して行うことであるが、実は自分自身に関して嘘つくのは見えないが、それがその人生を決めるのであろう。


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