崔吉城との対話

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6.25

2021年06月20日 05時40分32秒 | エッセイ
東洋経済日報 2021.6.18 寄稿文

「6.25」戦争からのメッセージ
崔吉城
「6.25」とは1950年の韓国戦争の記念日である。北朝鮮の韓国への侵入が生々しく、毎年私の痛い傷に触れる日だ。日曜日の朝、私の故郷の藁葺屋根の上を飛んでいく爆音が、今でも耳に残っている。北から南に向かい、続いて難民たちが叫びながら南へと向かった。私もその避難民たちに連れられて南の方へと歩いた。
私は韓国38線近くの貧しい村で生まれ、血の海と化す歳月、幼い私の体験には、北朝鮮の南侵には大きな恨みがある。40日間の避難から帰宅し、人民軍時代を迎え、金日成将軍歌を歌った。国連軍のソウル奪還、そして我が村は再び中国支援軍が駐屯、米軍の駐屯と続く中、休戦から今に至る長い歳月が流れている。
北朝鮮が韓国に侵略し、朝鮮半島全土を戦場とする朝鮮戦争を私は体で覚えている。国連軍(米軍中心)、中国の支援軍が参戦し、我が村には北朝鮮軍、米軍、中国軍、韓国軍が相次いで進駐した。韓国の国軍の存在は、休戦になるまで意識することはなかったが、 勇士たちが多く現れ、国軍の勇猛な戦闘を歌う<赤いマフラー>などには違和感があった。当時、私は国軍の存在感を全く持たなかったからである。愛国勇士は、戦後に生まれた。
驚くべきことは、代表的な研究論文に北朝鮮の南侵ではなく、韓国の北朝鮮侵入説が多い。それには疑問である。体験したものであるから私の戦争体験が水の泡になったようにがっかりした。しかし朝鮮戦争の多くの研究者たちは短編的な資料を集めそのような結論を出している。私は常に疑問を持って読んだ。私の家の大棟を越えて砲丸が南へ飛んでいくのを見た体験が黙殺された気分だった。北朝鮮を訪問した時も朝鮮戦争は、韓国が北朝鮮を侵略して起こしたという内容であった。
今、日本で暮らしながらその戦争を思う。韓国戦争から大きいメッセージを受け取る。悪夢がよみがえり、体験を踏み台にしていて平和を願う。軍事分界線を境界にして南北は大きく対照的である。それは唯の経済的な貧富の対照を意味するだけではない。植民地から解放されたこと、北の独裁国家と南の繁栄する民主国家の対照である。戦争体験者の私から見る民族の最も核心部分に関する苦悩であり、それはただネガティブな比較ではない。南北の対照、すなわち民主主義と共産主義の対照、自由な経済的発展と貧困の対照を見るだけでもメッセージは大きい。韓国が戦争から民主主義を守ることができたことを米国や国連に感謝しなければならない。韓国は6.25戦争後も紆余曲折しながら民主主義を守ってきたことに自負心を持っている。実に幸いである。
私は北朝鮮訪問で多くの人から人情を強く感じた。北朝鮮による南北統一ができなかったことに感謝したい。ただ国外の情報が乏しい。日本が国交正常を成し遂げてくれ、平和的関係ができるように願う。中国は朝鮮戦争で「抗米」し、韓国・国連軍と闘った敵であったが今では南北と良い関係をしているではないか。


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