崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

交付金を寄付金へ

2008年12月31日 06時02分07秒 | エッセイ
 ラジオからある地域では交付金を寄付金にするということを美談のように語っているのが聞こえた。つまり予定外のお金でよい事業を手伝うという発想である。それは悪くはないが、非常に世俗的な発想だと思う。献金とか寄付金とは余ったお金とか予定外の収入から出すものではない。それは自分が食べても足りないようなおいしいものを分けてあげるような心を込めたものである。お歳暮などもその心のギフトである。
 私は母が言った美味しいものがあれば人と分けて食べるという言葉が理解できたのは戦争などを体験する中で納得したものである。その時私は家の中は倫理、理想のある聖なる空間であり、家の外は敵も多く、汚れの世俗的空間と意識したように思う。そんな気持ちになったのは私だけではないと思。あまりも世間では暖かい心使いが公的になりにくいと思う。これから初詣などで賽銭箱に小銭を投げ入れる人が多いと思うが、この一言も考えてほしい。

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