崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

桜の絵

2014年09月28日 04時41分08秒 | エッセイ
今読んでいる日記などにはプライベートなことが多く書かれている。ある人は自分の妻を「世界で一番利己心の強い人だ」とか悪口も多い。ある人は二人の妻に手紙を送ることなども書いていた。プライベートとはどの範囲まで考えたらよいのだろうか。一般的には法律を引き出して言われることだろう。私が40年前に撮った洗骨の写真を公開したらある学者が死者のプライバシー云々といい学界で失笑を買ったことがある。直樹賞受賞作家の古川薫氏から『花冠の志士』が送られてきた。吉田松陰の妹と結婚し、倒幕の一員となった志士の久坂玄瑞、若き25歳で自決した人の歴小説、桜の花の散ったような人生を描いたものである。表紙絵は桜の名画、堀研氏の桜の絵で意味深くなっている。幹は太く、堅く、強いのに柔らかな華麗な桜が咲いている。「若桜のままに散った玄瑞ではないか」「愛人タツとつかまの愛」は桜の絵で表現されている。歴史人物を小説化するのにプライバシーは存在するのか。いまプライバシーという言葉が氾濫している。
 昨日会った人から渡された名刺の裏に出身地の島、子供や家族の名前入りの名刺、それこそプライバシーが書かれたものであった。〇で伏すなら〇〇〇〇〇……であろうことを書いている。有名人が肩書きを羅列するのとは異なるその名刺の人と私は一気に親しく話をした。現地調査に行ったときこのような人に会えれば良いのにと思った。逆説的に言うとプライバシーと言いながら私事を堅く守っている人は恥じらいの心や秘密らしいものを持っているのかもしれない。もちろん誰でも持っている出身地や家族のこととか失敗談などは多少は共有してもよいのではないだろうか。他人に見せるものは完ぺきな面だけだから疲れすぎたり二重人格者的に見えたりする人が多いのではないだろうか。
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