崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

桜の受難

2009年03月22日 05時32分16秒 | エッセイ
昨日(2009,3,21)「毎日新聞」(山口版)に5回目のエッセイが記載された。その文は次のようである。

「さくら、さくら・・・」桜の満開を楽しむ話が全国に広がっている。桜の花見などは素晴らしい日本文化である。山桜や自然の桜の分布は別として、日本人が桜の花に格別に持つ美的感情や桜の木の下での宴会などはまさに花見の複合体として日本文化といえる。しかし桜の観賞を日本人が独占するということではない。花を名産地として日本というのは良いが過熱に意味づけて独占しようとすることはいけない。戦前の日本帝国は帝国主義の象徴として桜を植民地に記念植樹として植え付け、国語の教科書で「さくら、さくら・・・」を教えた。
 日本は1910年代から植民地朝鮮に桜とポプラを植えた。道路を作った「新作路」には成長の早いポプラを植えた。それは近代化の象徴的なものであった。桜の木の植樹は意味が違う。当時の朝鮮総督府のある課長はその趣旨は造林が目的ではなく、植林「思想の為」だと言った。桜の花見記念植樹は毎年四月三日、神武天皇生誕記念祭日などに全鮮一様に行われたのである。ある日本人篤志家は明治四三年度以降大正十年度に至る12回に植栽面積8万5千町、植栽数1億7千4百万本に達し、朝鮮の「吉野山」を作ったのだと言われた。
 戦後韓国は桜が日本帝国の象徴物だとして桜の木を切った「殺桜」現象が起きたのである。私はソウルの桜の名所の昌慶苑の花見を楽しんだ。しかし、韓国政府は昌慶苑を復元するという理由で桜の木を松に植え替えて、明るい桜の花とは対照的に黒松の陰林になってしまった。桜の困惑の最中、桜の原産は韓国済州島だという説がニュースで流れた。日本の桜も朝鮮から伝播したものだということになって、桜が受難を避けることができた。保護しようということで残している所もある。今、韓国でも桜を守り、村おこしの一環として桜の花見が盛んになった。花のナショナリズムは花に意外な迷惑をかける。花だけではない。人を愛する時もあまり過熱にならないようにという教訓であろう。


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