崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

野球のボールと光

2007年02月26日 06時14分03秒 | エッセイ
 教会で野球が話題になって私は困った。中学生時代、クラスメートが野球が好きで私も野球を始めようと住宅街の空き地でゲームをした。その時にボールが私の眼鏡に強くぶつかってから野球とは縁がなくなった。それはボールがいつ自分に飛んでくるか分からないという緊張感がなかったということであり、私の失敗である。野球のゲームを見て感じることはボールだけではなく、幸運とか、チャンスがいつ自分に飛んで来るか分からないという教訓でもある。自分に幸運と好機が野球のボールのように飛んで来ても、人によってはそれをキャッチできずに失敗する人がおり、ある人はそれを受け取って、必用な所に投球して、チーム全体を生かすことに貢献する。信仰生活において、ボールはイエスの光に当たる。その光は人を枯らすことも成長させることも出来る。

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