呉善花氏から『私は、いかにして「日本信徒」となったか』が送られてきた。彼女は多くの韓国人から嫌われている。なぜであろうか、『スカートの風』いらい改めて彼女の文を読み始めた。韓国人から彼女の日本語は下手なのに文章が上手い、だから日本人が代筆してあげた、著者は日本人だという作り話のようなことまで言われ非難の的になっている。日本人が新来の韓国人に言うのはわかるが、時々差別的にも聞こえる。しかし、韓国人から日本語が下手だと言われるのは意外な現象とも言える。私は彼女より10年ほど先に日本に留学していろいろ文章を書いているが、家内の力を借りている。呉善花氏の日本語、否文章力自体はすばらしい。彼女の日本語を云々という多くの人はおそらく彼女より文章力のない人であろう。そしてほぼ読んでいない人であろう。
韓国の反日思想が生み出した人の非難用の「親日」は国際化によって墨で塗り潰されるだろう。『スカートの風』は人類学者、民俗学者よりも現実に接近して重要な時代を表している作品である。私は最初、日本の指導的な人類学者から紹介されて彼女に会い本を読み、一緒に調査旅行をし、対談書も出した。しかし私は作家として読んでいるのでなんの違和感もなかった。だが、それが「呉善花バッシング」の火花が私に飛んできた。彼女の激怒と悩みの言葉に戦うより作品化にエネルギーを消耗すべきだと慰めた。時代は変わる。すでに後期殖民地の現象の弱いもの、無知な人の愛国主義は去っていく傾向にある。異国でがんばって生きる同胞を包容するように母国の人に望むのは無理なことだろうか。
韓国の反日思想が生み出した人の非難用の「親日」は国際化によって墨で塗り潰されるだろう。『スカートの風』は人類学者、民俗学者よりも現実に接近して重要な時代を表している作品である。私は最初、日本の指導的な人類学者から紹介されて彼女に会い本を読み、一緒に調査旅行をし、対談書も出した。しかし私は作家として読んでいるのでなんの違和感もなかった。だが、それが「呉善花バッシング」の火花が私に飛んできた。彼女の激怒と悩みの言葉に戦うより作品化にエネルギーを消耗すべきだと慰めた。時代は変わる。すでに後期殖民地の現象の弱いもの、無知な人の愛国主義は去っていく傾向にある。異国でがんばって生きる同胞を包容するように母国の人に望むのは無理なことだろうか。
呉善花氏を擁護する先生と李恢成さん
が知り合いだとは、釣り合いがとれないし、
以外に思うし、バランス感覚がとれないからです。
呉善花氏と李恢成さん、、、
あまりにも対照的ですね、、
先生のような「お方」と
李恢成さんが知り合いだなんて、、
いやいや、、
誠に残念ですね、、、