崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「森袋叩き」

2021年02月23日 05時24分10秒 | エッセイ
 10余日前(2021年02月12日 21時私は本欄で日本人は「正直で勤勉だ」と肯定的に書きながら「森袋叩き」という点について触れたことがある。一人が殴り始めれば、みんなが集団で殴りつけ、森叩きは止まらないと指摘した。つまり「日本人全国民が批判する」ことを、私は日本の国民性として指摘した。

日本人の最も悪い国民性であり、いじめ、袋叩き、そして戦争へ拡がっていく日本の文化の特徴である。「森叩き」はこのように感じる。 日本人はとても怖い。触れてはならない。

 それは東京都知事、舛添氏を叩き、小池劇場を招き、無力な知事を選んだ。韓国やアメリカでは分断というほど意見が違うこともある。しかし、日本は戦前の国体のようであり、怖い。
 私の投稿文にネット友の批判の意見があった。

 森叩きが日本人の悪い国民性であるというご指摘は果たしてそうなのでしょうか。問題の根底にあるのが男尊女卑の考え方であって日本より外国の方が非難が酷いようです。
教授から見れば袋叩きだと見えるかもしれませんが会見を聴く限り反省してるように見えません。これが本質でしょう。

今週の「週刊新潮」(21.2.25:25-27ページ)に私の趣旨とほぼ同様な記事が載っている。

「世論が怖くてポピュリズム特集:水に落ちた前会長、森喜朗袋叩きのイヤな感じ」題下に名言が続く。

 我ら衆遇は今一度、自ら鏡に映してみた方が良いかもしれない。

 自分たちをあたかも裁判官・・・

 おおむね女性差別から老人差別へ。老人差別は男女とも自分も老人になるとは思わない。動物や子供は老者を見ても自分の老いを知らない。自分自身のことである。フェミニズムと平等主義を誤解している「遇衆」の政治に社会劇は続く。

 


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