崔吉城との対話

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2012/09/14「東洋経済日報」

2012年09月19日 06時13分22秒 | エッセイ
2012/09/14「東洋経済日報」

<随筆>◇大統領選挙の意味◇ 広島大学 崔 吉城 名誉教授

 私が09年2月27日に本欄に初めて書いたのがアメリカ「黒人​大統領」であった。オバマ大統領は就任演説で「なぜあらゆる人種​や信条の男女、子どもたちが、この立派なモールの至る所で祝典の​ため集えるのか。そして、なぜ60年足らず前には地元の食堂で食​事することを許されなかったかもしれない父親を持つ男が今、最も​神聖な宣誓を行うためにあなた方の前に立つことができるのか」と​語った。
 そのオバマ大統領が再選のために9月7日、ノースカロライナで​行った指名受諾演説を聞いて再度書かせていただきたい。「前進(​Forward)」と書かれたピケットを持っている聴衆の前で先​に登壇していたミシェル夫人に迎えられて夫オバマ氏が登壇した。​彼は現職大統領でありながらも挑戦するように自身の政策と経済の​再建を訴えた。特に安全保障分
野では実績を強調した。しかし「簡単に実現できるものではない」​「何年もかかるだろう」としながら「チェンジ(変化)」のキャッ​チフレーズを「前進」に変え、「後戻りはしない」と言った。夢を​語るような名スピーチに歓声が上がった。演説の終わりには壇上に​家族などが登壇してハグや握手が延々と披露された。映画のような​舞台であった。
 日本の内閣制選挙と比べるまでもなくアメリカの選挙は派手に感​ずる。日本では大統領制になると政策選挙よりポピュリズム(人気​主義)になりやすくなるなど、人気タレントや俳優などによる政治​になるのではないかという懸念と憂いがある。しかしアメリカ大統​領選挙はそればかりではない。ポピュリズムと同時に政治政策、人​格、雄弁や外交、愛のパフォーマンスがある。選挙はマニフェスト​が全部ではない。理想的には品格、パフォーマンスなどにも強い人​など影響力を持つ人格者を選ぶのであろう。 
 12月には韓国でも大統領選挙が行われる。私は韓国の民主化過​程に生きてきた者として振り返ってその意味を考えてみたい。
韓国では大統領選挙はただ政権を選ぶというレベルをはるかに超え​ている。それは民主化運動の主軸的な原動力、民主化に最も重要な​「政治的祭り」であったからである。
 私の中学生時代に李承晩と対立候補の申翼熙氏が漢江の白い砂の​浜辺で百万人の前で演説し、すごい人気であったが急病で死亡した​ことに私は絶望し、大学生時代には李大統領の長期執権に抗議する​デモに参加した。学生デモによって政権が倒れて大混乱な時、私は​民主化定着のために大学支援の民衆啓蒙隊にも参加した。
 軍事クーデタが起きた。その日、私は東大門前の戦車と銃剣を持​った軍人たちを見て失望し、唖然とした。大学は長く閉鎖された。​軍事政権下の選挙では対立候補が勝つことはあり得なかったが、大​統領選挙は民主主義の波を広げる唯一の希望であった。選挙は民主​化の柱であり、韓国はそれを通して民主化と近代化が成し遂げられ​てきたのである。このもう一つの韓流が隣国、そしてアジアに広く​広がることを期待する。

9.18

2012年09月19日 04時20分49秒 | エッセイ
中国では反日デモが暴動化して「宣戦」「開戦」と叫んでいるという。そんな中、昨日は1931年9月18日柳条湖事件の記念日に重なった。が、私には1950年の9月18日ソウル修復の日として忘れない記念日である。その晩わが家の板の間では近い親族が集まって新しく収穫した青豆の皮をむく手作業をしながら金日成より李承晩の方がよいだろうと話していたとき、ソウルの方で砲声と明るさで異変を感じた。それがマッカーサー元首の仁川作戦の成功の夜であった。そしてその後わが村が3か月ぶりに北朝鮮の支配から解放されたのである。
 戦争の傷は私の骨まで深く浸みついている。しかし年を重ねた今では子供時の記憶や体験として残っている。特に辛さは大分忘れ去られていることに気が付く。つまり悪い部分が希釈化されている。満州事変も歴史の中に希釈化されたと思ったら今中国で関東軍の蛮行が蘇って争点とされている。日本の読者は古い歴史を忘れてほしいと思うかもしれない。しかしながら日本では被害の部分、たとえば原爆、拉致などの問題が強調され、強固な対策が続けられている。
 人に寛容を求めながら自分は不寛容であることは凡人の事ではあるが、国家レベルになると凡人以下のものになる。正義を神に求めるその心が理解できる。