崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

魚はかわいそう

2012年09月18日 05時00分44秒 | エッセイ
 昨日は敬老の日、台風16号、中国の反日デモなど話題が多いが、長門市出身の童謡詩人、金子みすゞ(1903~30)の生涯をたどる展覧会についてふれたい。下関に住むようになってから日常的にこの詩人の名前を耳にすることが多くなった。街の中にも写真や詩がかべなどに掛けられている。私は田舎の出身者を以て無理に村おこしをしていると誤解した。郷土を理解するために長門の記念館を観覧した。魚、小鳥などを以て子供の心を謡った詩人であり、田舎での普遍的な詩人であることを感じ、私も引っ張れていったのである。「没後80年金子みすゞ展」(毎日新聞社主催)を下関大丸で観覧した。

海の魚はかわいそう。

    お米は人につくられる、
    牛は牧場で飼われてる、
    鯉もお池で麩(ふ)を貰(もら)う。

    けれども海のお魚は
    なんにも世話にならないし
    いたずら一つしないのに
    こうして私に食べられる。

    ほんとに魚はかわいそう。

 彼女の詩には汚染されない海、無辜な魚が人に食べられるかわいそうという清かな童心がある。私の子供時代農村では蛇や蛙、虫などを平気で殺した。しかし蛙の生態などを勉強し、場を見学してショック、愛犬を飼っているうちに心が弱くなかったのか、魚を釣る人にも違和感を感ずるようになった。これは遅すぎた童心であろうか。童心が汚染されていくのが一般的と言えば私は逆ではないのか。高齢と童心の共有の心、これも普遍的な心理ではないだろうか。