崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「天心」か「愚衆」

2012年09月28日 05時54分12秒 | エッセイ
オスプレイに搭乗する映像をみながら観光化されていくような感がした。デモは言葉通りに意見表示の一種の示威demonstrateである。それが長期化するか、組織化、暴徒化することもあるが、それは民主主義社会では度が過ぎるようである。常に反対することは反政府、あるいは反国家的ともいえる。韓国では独裁政権下で学生デモが反政府、政権を倒したこともある。それは今の日本のような民主主義社会ではあり得ない。昔だったら極東アジアは領土問題で戦争が起きても不思議ではない状況である。そんなの緊張の中、昨日私は韓国・慶南大学校の総長、元統一院長官(日本の大臣に当たる)であり、慶南大学校の北朝鮮大学院院長の朴在圭氏に11月14日東亜大学での講演日程の調整が完了した。彼に妙案を期待するより息詰りの緊張から突破口を探る思索でもお願いしたい気持ちである。昨日は金子みすずの詩について楽しく語ったが、明日は「楽しい韓国文化論」の講座(「長周新聞」報道、9.26)で韓国の徴兵制や軍隊について特に私の戦争と軍隊経験を語るつもりである。楽しくない話になるかと心配である。
 今の東アジアの緊張関係を見ながら政治家の問題でもあるが、それより大衆民主主義、民衆民主主義の限界を感じている。韓国の日本研究者の張竜傑教授は安倍氏の自民党総裁へ再選出についてフェースブックに古い人の再登場は「日本には人物が無い証拠」と述べている。「旧官が名官」という人に「流れない水は腐る」という諺の問答式言葉の遊びをするような気分である。民衆の心は「天心」か「愚衆」か、ポピュリズムの政治はオスプレイより怖い。