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一日一句(2990)


※pic. by Marianne Chopard






花罌粟は天命として真紅






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往還日誌(56)






■昨夜は、友人に教えてもらったサイトを調べていて、夜更かし。朝はそれでも6時に目が覚めてしまった。仕方ないので、朝の散歩を久しぶりに、行う。寿広場のベンチで、NEWTON2022年4月号の「虚数」特集の小山信也さんの対談を読む。かなり面白い。

帰宅後、少し眠る。

ドリップポットが面白く、家族がきのうある珈琲店でもらってきたドリップバックで淹れてみる。あまり美味しくない。苦いだけで珈琲の旨味や酸味が出ていない。口直しに、YANAKA珈琲店の「浦和ブレンド」を淹れる。ドリップポットは優秀な器具だが、豆がだめだと台無しになる。

昼食後、メガネの調整にKさんの店に歩いてゆく。80歳近いのに、元気で店頭に立ておられる。技術は確か。しかも、病の奥さんの介護をしておられる。

帰りに、珈琲館でホットケーキを食する。パンケーキではない、昔ながらのホットケーキが時折食べたくなる。京都では、パンケーキあるいはホットケーキの美味しい店をまだ開拓できていない。

夕方から、家族に夕食を作る。東北沖で「いなだ」が大漁で、スーパーで格安で入手できた。きのう、私だけ先に一切れ食したが、HAPPY COOKERで焼くことで、身がふっくらと焼き上がり実に美味である。いなだは、今、ひと切れ100円くらい。

夜は、ニコの仕事を行う。

7月の往還では、龍安寺の石庭を観たい。行ければ、40年ぶりくらいになるだろうか。



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一日一句(2989)







捨てられて夏の花束美しき






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往還日誌(55)





■特に、書くこともないまま、書き始めてしまった。

アマゾン・プライムで「孤独のグルメシーズン1」をすべて観た。このシーズンは、基本的に秋から冬にかけての季節が背景になっていると思った。もしかしから、冬から春かもしれないが、冬が入るのは間違いない。

井の頭五郎氏がパリに住んでいた過去のある人だったことが、このシーズンで明かされる。帰国して仕事にすることになる美しい雑貨との出会いは、パリだったのかもしれない。

五郎氏は、基本的に、食い気しかないが、なかなか、女性にもてることも描かれている。

ドラマだから、仕方がないのだろうけれど、一点、ずっと気になっていることがある。それは五郎氏の「早食い」である。食べ物をあまり噛んでいない。

最近知った禅の言葉に「喫茶喫飯(きっさきっぱん)」というのがあって、茶を飲むときは、茶のことだけ、飯を食うときには飯のことだけ考えよと、という教えなのだが、これは、まさに、五郎氏の実践している、五郎氏の思想そのものである。

いかんせん、噛む回数が少なすぎる。飲み込むまでが早すぎる。

あれでは、完全な便秘になり、完璧な痔になる。

噛むことそれ自体より、むしろ、唾液と食物を合わせる行為が、これらを回避する、100%回避する。

毎日、排便の記録をつけている私が言うのだから、間違いない。

やはり、大して書くことがないとこうなる。

ところで、数学を含む科学(社会科学も含む)の「モデル構築」は、ほとんど、無意識にだが、すでに日常生活の中に存在する技術・発明に、その起源があり、その科学モデルが、次の新しい現実を生み出してゆく。ガウス平面による複素数の表現モデルや天体の運動モデルと「車輪の発明」など。

なので、社会の再生産における科学モデルの役割は、想像以上に大きいと思っている。これは、「操作」(manipulation)に占める科学モデルの役割の大きさを意味する。

この意味で、科学は、客観的な真理を追求しているつもりで、それは「人間的な、あまりに人間的な真理」なのである。なぜなら、その「客観的な真理」は、人間の労働形態に大きく規定されているからだ。

ただし、「人間的な客観性」――人間味があるという意味ではなく、人間の労働活動に規定された客観性という意味である――は存在し、その客観の「普遍性の程度」が、科学技術の暴力の源泉ともなっている。



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往還日誌(54)




■百歳を元気に生きる蟇

ライフワークを完結させるために、「センチュリアン計画」というものを考えることにした。百歳を目標として生きるための健康・経済の条件作りである。

この中でも睡眠は、認知症だった叔母の介護経験から、健康の「質」に大きなウェートを占めることがわかっている。上質な睡眠をいかに確保するか。それは個人的な睡眠条件の探求になり、しかも、その条件は年齢や体調、季節で変化する。

たとえば、湿気が増えると、他の条件がほぼ同じでも、寝つきが悪くなる。エアコンを入れても、そうなのだから、困ったものである。そういう場合、短時間の昼寝が有効である。逆に、湿度が低く、カラッと晴れ上がった朝は、充実した眠りが得られる。

眠りと言えば、夢だが、今まで見た夢でもっとも佳かったのは、これまで聞いたことのない音楽を夢で聞いたことだろうか。笛か弦楽器の音だった。その音を楽譜に写し取る能力があれば、記録に残っているが、残念ながら、その夢の記憶しかない。

上洛は、用事で延期となった。少し、余裕ができた。

7月の往還では、出町柳のファミマの北の葵橋の近くの珈琲ハウスマキへ行くのが楽しみである。ここのモーニングを食べてみたい。

葵橋は、学生時代に、友人の下宿が近くにあり、雪の朝に、葵橋を渡って帰ってきた思い出がある。




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一日一句(2988)







風鈴の音のみあつて闇揺るる






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一日一句(2987)






いきいきと動く雲あり夏至の夜






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一日一句(2986)







天の川天の車輪は回りけり






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往還日誌(53)







■珈琲のドリップポットというのを調達して使っている。これを使う目的は、沸騰したお湯をいったん85℃くらいまで落とすことと、ペーパーフィルターにお湯が直接かからずに注ぐことができるから。

京都の往還生活で一番驚いているのが、体調の変化で、珈琲が飲めるようになった。

往還以前は、一杯の珈琲でもおなかを壊し、老化だろうと、諦観の心境だった。しかし、往還生活を開始してからは、これがなくなった。体調が変わった理由はよくわからない。

往還は、ちょうど、そのタイミングだっただけで、原因はおそらく他にある。京都で16時間の断食をかなりの頻度で実行できていることと関係があるかもしれない。

きのう、ようやくルカーチの第14回目の翻訳原稿を送った。不満足な進捗度だが、当初は、忙しくて断念していたことを思えば、上出来であろう。内容的に、極めて面白いのに、時間切れで断念というのは、「念」が残る。京都へテクストを持ち込んで、時間を作って進めることにした。

30年前に、今の自分の姿を想像できたかというと、まったくできていなかった。淡々と、日常が続いているように見えながら、その内実は、常に変化している。30年という時間は人間にとって、想像できないような大きな変化をもたらすのだろう。

今後の30年は、これまでの30年に比べて、遥かに、困難だろう、個人的にも、社会的にも。

他方で、その変化を楽しむ気分もある。30年後は、90歳を超えている。元気に生きているつもりである。


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一日一句(2985)







水羊羹ひとつふたつと雲かぞへ






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