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Cioranを読む(18)


■旧暦2月2日、日曜日、、啓蟄

(写真)丘の道

昨日、病院へ行き、叔母の今後のことをいろいろ決めてきた。新規に二か所、圧迫骨折が見つかったので、今後、二ヵ月はコルセットの生活になる。内蔵に悪いところはないが、骨と脳をやられている。二カ月後をめどに、施設入居を考えているが、空きがあるかどうか、当人の気持ちが固まるかどうか、身体的な条件が整うかどうか、この3要素を考慮することになる。3年半に及ぶ介護で、さまざまなことを教えてもらった。現在、企画立案中の翻訳テキストの一つは、サイバースペースの医療化に関わるものである。今後、この問題が社会的に大きなテーマになるとぼくは考えている。

今日は一日、掃除や洗濯などの家事で終わった。春日だった。午後、ウォーキング、60分。どうも、元気が出ないので、Celanの詩を検討する。



Kandinsky soutient que le jaune est le couleur de la vie. ...On saisi maintenant porquoir cette couleur fait si mal aux yeux.
Cioran Aveux et Anathèmes GALLIMARD 1987 p. 15

カンディンスキーは、黄色は生命の色だと述べている。この色がなぜ眼に毒なのか、これでよくわかる。

■カンディンスキーは、コンポジションでも、印象でも、即興でも、黄色を確かに多く使っている。カンディンスキーにしてみれば、黄色はむしろ生命肯定の色だったのではなかろうか。ただ、黄色は、どこか、凶暴性を秘めている。長く見つめていると、確かに疲れてくる。シオランは、命の持つ盲目性に着目したのだろう。この断章を読んだとき、ゴッホを思った。ゴッホの黄色には、狂気が入っている。黄色の印象を語ることは、命の多面性を語ることなのかもしれない。





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