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スイス:Basel(1)

■旧暦9月13日、水曜日、、十三夜

(写真)バーゼルの旧市街の中心、Basler Muenster。軽やかな鐘の音が定期的に響く。このミュンスター広場で、ちびっこの押し売りに遭遇。数人の小学生らしい子どもたちが、観光客に、カードのようなものを売りつける。元締めのような革ジャンの男の指示に従っていた。あれはなんだったのか、今もって不明である。

スイスから、きのう帰宅。いろいろ、感じるところはあったが、一番、吃驚したのは、スイスに流れている時間が、日本、ことに、東京近辺とはぜんぜん違う、ということだった。これは、個人と集団のどちらに中心を置くかの違いとも関連してくると思う。われわれは、よくも悪くも、集団の圧力を感じながら、日々生きている。集団、言いかえれば、「公」あるいは「世間」を上位に置く行動原理が、普通になっている。たとえば、小さな例でいえば、飛行機の座席の通路でさえ、われわれは、待たない。そこは、「公」であり、そこを通る人間が、優先されるという感覚がある。通路に立って手荷物を収納スペースに入れている人間は「私」になる。日本人は、「すいません」と言って、「私」をどかして通るか、「私」の方で遠慮するのが普通だが、スイスの人間は、集団の方で個人を「待つ」のである。これは、実に見事で、集団よりも個人を尊重するから、どんな行列でも、妙な圧力を感じることがない。このことは、一人ひとりに流れる時間をゆるやかにする。国際都市バーゼルでも、首都ベルンでも、走っているスイス人は一人も見なかった。驚異的である。街を走るトラムの前を、だれもゆっくり歩いている。

 バーゼルの路面電車トラム。車体のデザインは、街によって変わる。全部、落書きのトラムもあって、面白かった。

バーゼルは、フランスとドイツの国境に接するスイス北部の国際都市である。ニーチェが、バーゼル大学で十年教えたことで、有名だが、旧市街と新市街の境には、ライン川が流れ、坂が多い。言語は、ドイツ語だが、ホテルやカフェでは、たいてい、英語が通じる。ホテルでは、ゲルマン特有のSacheに忠実な仕事ぶり、という印象を受けた。地元の人は誠実で善良。気軽にHalloと言ってくれる。観光客やビジネスマンに慣れているはずのバーゼルの人々、とくに、女性に、外国人に対するはにかみがあって、なんだか、新鮮に思えた。もう、日本には、こういう若い女性は、絶滅したような…。

  バーゼル旧市街の広告。すでに街は紅葉で、東京で言えば、12月の寒さ。

スイス観光局のホームページというのは、非常に充実していて、列車やトラムの時刻表がダウンロードできる。これであらかじめ調べておくと、タイムテーブルが比較的容易に作成できる。うちは、女性たちが、やるき満々で、事前につぶさに交通機関関係を調べてくれたので、行動から無駄を省くことができた。時間に余裕があれば、ぼーっとする時間も大事だが、今回は、初めてのスイスであったので、どうしても、総花的になったのだった。路面電車のトラムは、バーゼル、ベルン、ジュネーブなど、主要都市に、運行されていて、次の駅の表示も明確にあり、しかも、簡潔でわかりやすいアナウンスがつくので、降りる駅で、迷うことはまったくない。

  国際都市バーゼル駅:朝晩の通勤のときは、さすがに、スイス人も足早だった。

10日ほどの、駆け足の旅行だったが、自然・文化・歴史といった観光スポットの豊富さ、安全性、親切で善良な人々、チーズ・ミルク・ヨーグルト・ハム・パンの際だった旨さというように、旅行者にとっては、完璧に見えるスイスだが、一つ欠点がある。それは、物価の高さである。なにげないカフェで、昼飯に、たいした料理を頼んだわけでもないのに、3人で5、6000円は軽く取られる。食事の高さよりも、飲み物の高さが響くのである。料理は、おいおい、写真をアップするが、かなり旨い。とくにサンドウィッチの旨さとボリュームは特筆すべきものがある。仕事帰りの人々が、駅のテイクアウェイで夕食にサンドウィッチを求める姿も見られた。

  バーゼル大学近くのカフェのセイロンティー:どんぶりのような取手のない巨大なカップで出てきたが、かなりいけた。このカフェでは、学生たちが、おしゃべりしたり、トランプゲームに興じていた。トイレの落書きも面白かった。






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