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芭蕉の俳諧:猿蓑(6)

■旧暦5月28日、月曜日、、恐山大祭

(写真)道際の底紅

いろいろいろしんどいが、7月一杯は、一気に翻訳と校正作業に集中する。

寝る前に、諸星大二郎の短編集『壁男』を読んでいる。癒される。中でも「壁男」と「夢の木の下で」が秀逸。

中井久夫先生の『治療文化論』(岩波現代文庫)に面白い記述があった。「…しかし人間とは何であろうか。その位置づけを見るに、医師(別の理由によって哲学者)は、「人間/動物/植物」という分割を採用する傾向にある。しかし、カビ学者は「動物/植物/カビ」という分割を採用する…「境界は必ず「人間側(「自」の側ということだが)からなされ、境界を両側から確定することはできないから、切断(したがって分類)は任意である」という立場を私はとる。禅僧のごとく「石」まで人間にふくめる立場があってもよく、一部の人種を人間から除くことは現に行われた。もっとも、おすすめできない分割とまあよろしいであろうという分割は、判断(価値)概念として存在するのであって、「人間/ユダヤ人・動物/植物」や「人間/こども・未開人・分裂病者/動物/植物」はおすすめできないし、「イルカ/人間/動物/植物」は私の好みである…」(『同書』p.167)

当然、人間にカウントしないという意味で、「人間/動物/植物/自民党」という分割はありえるし、「人間/動物/植物/多国籍企業」ということも、ありえるだろう。この場合、人間じゃないという意味だけでなく、人間を支配する上位者という響きも帯びてくる。

ポルトガル語で俳句を作っているma grande folle de soeurのブログ。なかなか面白い。フランス語訳やケルアックの英語の俳句もある。フランス語を読む練習にたまに行く。



デイヴィッド・G・ラヌーによる一茶の英訳

over one thicket
a custom-made shroud...
evening mist

hito yabu wa betsu no yu^giri kakaru nari

一薮は別の夕霧かかる也

by Issa, 1805

■原句にはないが、「a custom-made shroud」(特別あつらえのとばり)を「evening mist」の比喩として用いていて、一つの解釈として、効果を上げていると思う。




尾頭のこヽろもとなき海鼠哉
   去来

住つかぬ旅のこヽろや置火燵
   芭蕉

■「猿蓑」巻之一。去来の句は、つとに有名だが、初めて見たとき、そのユーモアのセンスと的確な対象把握力に驚いた。芭蕉の句、漂泊の思いが、断ちがたくあるのだろう。日常生活の象徴である火燵を前にしての感慨。日本語の「漂泊」は、今の言葉では、「自由」に近いような気がする。ただ、かなり、自己否定や負い目を伴い、ひっそりと語られる。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
 (こめつが)
2009-07-20 14:04:21
私が小学生のころ疎開先の家のそばにあるお寺の参道にズラーっと咲いていました。

ムクゲ - Wikipedia
ムクゲ(槿、木槿、無窮花、Hibiscus syriacus)はアオイ科の落葉低木。日本では夏の御茶事の生け花として飾られたり、庭木として広く栽培されている他、胃腸薬、皮膚炎の薬としても用いられている。大韓民国の国花で、しばしば韓国の象徴とされ、国章に ...
ja.wikipedia.org/wiki/ムクゲ - キャッシュ - 類似ページ
 
 
 
木槿 (冬月)
2009-07-20 17:56:07
■よく見かける花ですが、韓国では、生命力の象徴とも。利休も好んだようです。何気なく、道端に咲いているところがいいです。
 
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