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往還日誌(176)









■7月6日、土曜日。晴れ、雲あり。

早朝から起きて、若宮へ行く準備。10時15分に一定庵を出て、11時1分の「のぞみ12号」で東京へ向かう。

ここまでは良かった。ところが掛川と静岡の間を新幹線が走行中の12時15分頃、停電だというので、日本坂トンネルに入って、のぞみは停車してしまった。

それから、動き始めたのが15:20分頃。およそ3時間、トンネルに列車ごと閉じ込められてしまった。

冷房が停止して、腕から汗の玉がいくつも出てくるなど、車内は大変蒸し暑くなってきた。トイレの水洗機能も停止。女性は、8号車など2カ所の車内に急遽設置された簡易トイレに殺到。並んでいて使用をあきらめた人もいた。男子トイレは使用できたが、夏場で、水が流れないので、匂いがきつかった。

トンネル内に停車して2時20分くらいに、1号車から8号車までの空調が回復。9号車から16号車までは、結局、3時間経って、トンネルを抜け出しても、空調が回復することはなかった。

冷房の効いた車両へ誘導するようなアナウンスが何度かあった。

日本坂トンネルに閉じ込められて、1時間くらいして、車内で7年保存水が配布された。配って歩いていたのは、たまたま乗り合わせたJRの職員の方だったようであった。一人一人に、丁寧にお詫びをして水を配布していた。

3時間以上、閉じこめられたトンネルをようやく脱して、車両の走行にまだ問題がないかどうか、確認する試験的な走行のため、いったん、静岡駅まで走行し、そこで、のぞみ12号は運転を停止して、後続のこだま、またはのぞみに乗り換えることになった。で、静岡駅で後続の新幹線に乗り換えたときに、配られたのが、5年保存水だった。

両方とも、「水」である。

現在の日本の35、6度に達するような気象条件で、3時間以上も冷房なしでトンネルに閉じ込められて、何が起きるか?

当然、熱中症である。

冷房が切れて大量の汗をかいているときに、水だけ出したらどうなるか。

当然、熱中症予防のために、塩分を補い、カリウムを補い、ビタミン類を補う必要がある。

7年持つ保存水、5年持つ水、というのは、たんに、保存・貯蔵の経済合理性があるだけで、もっとも肝心な熱中症対策には意味がない。逆に、水ばかり飲めば、汗をかいて、塩分をさらに体外に出してしまうのである。

思うに、この保存水は、夏場の空調が機能しなくなったとき、というような「具体的な問題」に対処するために、積んでいるのではなく、より一般的な問題――大型地震や大型台風、列車事故、火災といった、「一般的な列車事故」に対処するための「一般的な防災備品」の一つなのだと思う。

長期保存が効くような備品を選択しているのは、そのせいと思われる。

ここに問題がある。

一般的な防災フォーマットではなく、年々激しくなる気象条件に対して、防災備品を微調整する必要があるからだ。

異常気象が常態化する日本の夏においては、パンタグラフなどの電気系統が異常な暑さで故障するリスクが高くなり、冷房が機能しなくなる可能性が高まる。

なので、夏場においては、「一般的な列車事故」に加えて熱中症対策を前提とした防災品が求められる。つまり、水ではなく、ポカリやグリーンダカラを常備しておくべきなのである。条件次第では、熱中症で人は死ぬ、

もう一つ、問題がある。

それは、コミュニケーションの問題である。

JR東海は、現状の状況について、逐一、アナウンスはしてくれる。

しかし、なぜ、現状の状況が生じているのか、に関する情報はアナウンスがない。

たとえば、当初のアナウンスでは、「停電で列車を止めます」というアナウンスだった。

これは、「停電」の言葉の使い方がラフすぎる。文脈がなさすぎるのだ。

つまり、このように聴いた一般乗客は、広域エリアの一般的な意味の停電を想像する。列車の停電、ことに、のぞみ12号固有の停電という認識に至るには、相当に時間がかかる。

ここまで詰められれば、パンタグラフの故障が、恐らくは主原因だろうと想像がつく。

静岡駅で、5年保存水を配っていた女性職員の方に、原因はまだわかりませんか、と尋ねたところ、「これから特定作業に入ります」と言っていた。

当然だと思う。すぐに特定できる原因ばかりではない。しかし、それをそのまま、アナウンスすべきなのだ。

原因は現在特定中で、後日、JR東海のHPに発表します、というアナウンスがあれば、乗客は、今後の自らの行動を自らで制御できる。

詫びるのは、日本の文化だから、すぐにそれをするのは、別に悪い事ではないが、それによって、JR東海の原因の探求と改善に向けられる社会の目が逸らされてはならないと思う。それは地球温暖化という、JR東海では制御できない要素もあるかもしれない。

そして、直近の問題解決に関しても、アナウンスに問題がある。

その問題解決アナウンスは、「後続ののぞみ」に静岡駅で乗り換えてください、という、それだけのアナウンスなのである。

このコミュニケーションのどこか問題かと言えば、「後続ののぞみ」に乗り換えても座れるかどうか、席があるかどうかわからない、という情報が見事に欠けている点である。

ここは、JR東海が一番触れたくない点だったと思う。

そういう情報こそ、大切なのである。

3時間、トンネルに閉じ込められて脱水症状になって疲れている乗客に、さらに、立って東京まで行くことを強いる可能性がある。

静岡駅で、年配の駅員の方に、私は、この点を質問した。

彼の答えは、「座れるかどうかはわからないです。ただ、同じように、3時間待った新幹線なので…」という後半の部分は、よく理解できない回答だった。

この情報があれば、後続の「のぞみ」を待たずに、多少、時間がかかっても、空いている自由席の比較的多い、こだまに乗り換えるという選択肢もある。

それは、一種の賭けになるが、何を選択の基準にするかは、個人の自由になるだろう。

アナウンスメントは、何か一つの問題解決に全員を誘導するのではなく、個人の問題解決の選択肢を増やす方向で、行うのがベストなのだ。

感情と保身を重視する前に、やるべきことは多い。







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