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漱石『夢十夜』について



■ウェブのフリーマガジンZouXに書いた漱石の『夢十夜』に関する書評。ZouXは、一定期間後、古い記事は消えるようなので、記録として、以下に転載。

夏目漱石『夢十夜』

フォード(1863-1947)とフロイト(1856-1939)が同時代人だったことをご存じだろうか。片や、大量生産の原型を作った自動車王、片や「無意識」を発見した精神分析の元祖。この二人、直接、関連性はないように見えるが、人間(社会関係)の「モノ」的側面に光を当てたという意味で、共通するのである。工場のラインで、自動車の部品を一心に組み立てる工員と、朝のカフェーで無意識に貧乏ゆすりを繰り返す若者。このとき、二人は「モノ」になっている。あるいは、そう扱われている。

夏目漱石(1867-1916)は、日本の近代小説のパイオニアの一人であるが、奇しくも、フォード、フロイトと同じ空気の中にいた。この点は、漱石を語る上で、重要なのではないだろうか。漱石の「西欧」とは、フォードとフロイトの「西欧」でもあった。1900年代は、フォード社を中心にして、大量生産方式が完成に向い、チャップリンの「モダンタイムス」(1936)に象徴されるように、資本主義の「人間疎外」が、一つの頂点を迎える時代にあたる。同時に、フロイトの登場で、「無意識」がテーマ化されてくる時代でもある(『夢判断』の発表は1900年)。社会関係の内と外に、同時に問題が見出された点に注目したい。

この時代に、漱石が「夢」をテーマにしたのは、フロイトの影響が感じられるが、「夢」そのものは、文学的モチーフとしては古くからある。たとえば、古今和歌集には、小野小町の「思ひつつぬればや人のみえつらん夢としりせばさめざらましを」という歌が見える。

『夢十夜』を読んでいると、不思議な感覚に囚われる。一般に覚めた意識で計画的に執筆された作品とは異なる、ある種の「昏さ」が感じられるのである。「自分はこういう風に一つ二つと勘定していくうちに、赤い日をいくつ見たか分からない。勘定しても、勘定しても、しつくせないほど赤い日が頭の上を通り越して行った。それでも百年がまだ来ない。」(第一夜)「おれは人殺しであったんだなと始めて気が附いた途端に、脊中の子が急に石地蔵のように重くなった。」(第三夜)「『今になる、蛇になる、きっとなる、笛が鳴る』…『深くなる、夜になる、真直になる』」(第四夜)「女の髪は吹流しのように闇の中に尾を曳いた」(第五夜)「庄太郎が女に攫われてから七日目の晩にふらりと帰って来て、急に熱が出てどっと、床に就いているといって健さんが知らせに来た。」(第十夜)

『夢十夜』は、人間にはどうにもならない「昏い力」が存在することを夢の形で告げている。この「昏い力」の正体は、人間の内と外に疎外された社会関係だということができるが、物象化された社会関係を考える場合、資本主義的な新しい形態だけでなく、芸術に体現された古代からの「物」について考えてみる必要があるだろう。そのヒントは、「物語」の語源にある。物語は「モノ騙り」(「モノ」が「騙る」)だと、俳人の五十嵐秀彦氏から、以前、ご教示いただいたが、このときの「モノ」は単純に物ではない。「モノ」はフロイトが発見した無意識と意識の間を漂い、社会関係の内と外に同時に存在する。「モノ」はマルクスが言う意味での「物象化」に深く関連しながら、<否定的/肯定的>という価値を超えた古代的なものに触れている。一見、神秘的に見える「モノ」をめぐる議論は、実は、大きな問題圏の中にある。紙幅の関係で展開できないが、一つだけ触れると、現在、われわれが当たり前だと思っている科学主義的な認識枠組みを根底から覆すような契機を含んでいるのである。

則天去私の思想は、人間の内側に問題解決を求めたものだが、内側の問題は、つねに外側の問題とつながっている。『夢十夜』は、「夢」をモチーフとしたことで、上記の消息を無意識的に示すことができたのではないだろうか。

◆あわせてお勧め:十人の監督が十夜の夢を描いたDVD版「ユメ十夜」(監督:実相寺昭雄、松尾スズキ、西川美和ほか、日活株式会社 2006)。

(初出「ZouX 305」)



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コメント ( 2 ) | Trackback ( 1 )
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コメント
 
 
 
Unknown (タケゾウ)
2012-12-26 12:55:50
「昏さ」というのはいい表現だと思いました。
「暗さ」ではなく、心理的にふさぎこんだ状況の「昏さ」というのは的を得た表現だと思いました。
 
 
 
Unknown (冬月)
2012-12-27 23:05:48
■タケゾウさん、どうも!
 
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