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芭蕉の俳句(103)

土曜日、。旧暦、6月20日。

「Coal Sack」の締切日。新作詩が書けない。いったい何をやっていたんだろう。アファナシエフの詩の翻訳は、ストックがあるので、これを推敲して、投稿するのは決めているのだが…。

終日、仕事。相変わらずの難航。夕方、子どもが全快したので、家族で外食。途中、木槿がたくさん咲いていた。



枝ぶりの日ごとにかはる芙蓉かな  (後れ馳)

■この句は、画賛だが、近代の写生句のように視覚的な俳句である。楸邨によれば、「芙蓉は下のほうから咲き初めて、しだいに高いところに及ぶ。朝咲いて夕方にしぼむので日毎にかわった感じだ。その枝ぶりも日に日に変化するようでまことにおもしろい」

ぼくは、花に疎くて、木槿芙蓉をよく間違える。この句のように、芙蓉の花の咲き方を枝ぶりの変化と見なした句は、なかなかないんじゃないだろうか。動的な芙蓉の把握に惹かれた。

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