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芭蕉の俳句(113)

土曜日、。旧暦、8月2日。

終日、サイバーを訳す。夕方、買い物。



橘やいつの野中の郭公  (卯辰集)

■郭公は「ほととぎす」のこと。元禄3年作。この句は、橘の花と記憶の中のほととぎすという次元の異なるものの取り合わせになっている。近代の客観写生にはない発想に惹かれた。新編日本古典文学全集「松尾芭蕉①」によれば、花橘とほととぎすは、万葉集以来、一つの歌に詠み込まれることが多い。たとえば、「橘の花散る里のほととぎす片恋しつつ鳴く日しそ多き」(万葉集)また、楸邨によれば、橘の花は古来昔を思い出させるものとして歌にしばしば詠まれて来た。たとえば「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(古今集)

この句は、眼前の橘の花の香りを契機に昔、どこかの野中で聞いたほととぎすの声が甦ってきたという句意で、時間は、過去を含んだ今となっている。しかも、この過去は己の過去の回想だけではなく、他者の声も重層的に響いてくる。

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