goo

往還日誌(39)






■人生の三つの問題をほぼ解決できたので、個人的には、晴れ晴れしている。

この「往還生活」は、その成果とも言えるし、4つ目の解決すべき問題とも言える。

しかし、社会的には、あるいは世界的には、曇りどころか、大雨で、個人的な晴れ間は、時間と空間を限定した上での幻であろう。

だが、幻想もひとつの大いなる力である。

白米を研ぐのを実験していて――時間の関係があるので――、冷蔵庫に一晩漬けて、翌朝、すぐに炊飯器にセットすれば楽だとの考えだったのだが、白米は柔らかくなりすぎてしまう。せいぜい、漬けおきは1時間が限度だとわかってきた。

若宮では、ずっと、玄米を精米し研いでセットしていたので、一晩くらい、玄米だとなんでもない。

きょうは、ふじ削り節店でもらった「ゲランドの塩」とコショウで、豚肉と野菜の蒸し焼きを作ってみた。かなり上手くいった。「ゲランドの塩」というのは、初めて食べたが、ブルゴーニュの塩田で作られる塩らしい。コクがあり、そのまま、茹で卵などに振っても美味い。

京都で暮らすのに、関東弁で押し通すのは、阿呆のやることと思っていて、つとめて、京都弁で会話しよう思うとるんやが、最近分かってきたんは、京都弁のポイントは、関西弁一般のポイントかもしれんのやが、――アクセントと音便にある、いうこと。

短い会話やったら、コインランドリーなどで、京都人を騙って、関東人に、使い方などを教えることもできるようにはなった。

ただ、難しいんは、一種の「呼吸」の違いやね――独り言のような、ふと漏れるかすかな言葉のアクセントの違い。これは生来のものやないから、できひん。

まあ、おもろいこっちゃ。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(2951)






いまむかし朧はじまる夜の橋






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )