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詩人、清水昶の俳句




詩人・清水昶は、絶望していた。とりわけ、現代詩に絶望していた。「(前略)ただ想起せよ/ときにおれたちは/劣悪な家系の鎖をひきずる/きつい目をした犬であり/アジアの辺境にひっそり巣喰う/どぶねずみのようないのちであったりすることを/そこから/ひたすらに出発する/雪の樹林で身ぶるいする夕映えを吸い/肉体の深い淵に向かって/最初にして最後の/出発を決意する」(清水昶「初冬に発つ」)清水のこの詩は、出発の決意は語っていても、その実現は語っていない。まるで実現しなかった革命の影のようである。清水の詩は、どれも、社会体制からの谺を宿している。その谺が帰って来なくなった時代には、絶望は約束されていた。清水は、2000年になると突然、詩を止めてしまう。そして、猛烈な勢いで俳句を書き始めるのである。

「異国荒れブラック苦し初夏の椅子」「少年が蟻を殺した古里遠く」「暗緑の森に消される背中あり」「天山の革命ならず初夏の月」このように、俳句の文法に依拠して、現代詩を書くことで、清水がめざしたのは、体制の質的な変化に詩を対応させることだった。詩を日常のミクロな権力に拮抗させることを意図したのである。このため、清水にあっては、その俳句も詩的な変容を蒙っている。たとえば、「刻々と秋を動かす銀時計」「軍鶏が乱れる一瞬秋動く」この「秋」の使い方は、普通の俳人はやらない。この「秋」は季語というより比喩だと言うだろう。また、「出身は何処かと問へば桃の村」には、韻文の自覚をかなぐり捨てた散文志向がある。「ひぐらしや夕陽を急げ一人だぞ」は、自他に向けられたメッセージを含んでいる。「昼酒を酌み厳粛に蝿叩」「秋茄子を写楽の顔して食ひにけり」「わが非力包み隠さず昼寝かな」これらは、笑いの俳句ように見えながら、個人と社会の軋轢が、軋轢のまま投げ出されている。

清水は、詩と俳句を合わせ鏡にしたときに立ち現れてくる「現代詩としての俳句」を書くことで、現代詩批判を行っていたのである。それは、身体性の回復であり、共同性への志向を孕み、めぐる季節を匂わせた。「秋の夜わが幽霊は澄まし顔」「春うらら天より落下神の糞」「朝顔に水遣る妻の笑顔かな」「青空の穴より小鳥こぼるゝや」「秋立つやそこらの草に名をつけて」こうした俳句を読むとき、絶望していた清水の顔に生気がよみがえり、笑っているのが見える。俳句を書きながら、「何かと和解する」瞬間を感じていたに違いない。

わたしの聞いた清水の最後の言葉は「こんなにひどい時代はないよ」だった。戦後史をそのまま歩いてきた人が、今が一番ひどいと言う。その言葉の重さに驚きながら、電話口で絶句していると、「ま、ミネルバの梟は夕暮れに飛び立つ、ということさ」と続けたのである。「六道に死して桃源の鬼となる」この辞世とも取れる句を読んだとき、清水のこの言葉が鮮明によみがえってきた。実に激しい否定の句であるが、この鬼は、よく考え、よく笑う心優しい鬼でもあった。

(初出 埼玉新聞 2月25日)






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一日一句(990)







ことごとく遠きにありし朧かな






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