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Cioranを読む(60)


■旧暦9月25日、金曜日、、土用入り

(写真)京都・広隆寺

このところの気温のアップダウンで、風邪気味だったが、葛根湯を飲んで早く寝るようにしていたら、だいぶ回復してきた。朝晩はすっかり晩秋の気配で肌寒い日が続いている。

いつものことだが、レクチャーの原稿作成がだいぶ、難航している。ニュートリノが光速を超えた記事に興味を惹かれて、アインシュタインの相対性理論に関連した資料を検討している。期せずして、特殊相対論の有名な方程式E=mc²は原爆・原発の生みの親である。ぼくのような、物理オンチには、相対性理論を理解するのは大変なことだが、この理論をどう考えるかについては、大変興味を惹かれる。特殊相対論について言えば、主体と客体がペアになって、相互運動(弁証法)を繰り返して、己の時空間を変化させながら、最終的に、これ以上の速度はありえないという光速、すなわち、絶対精神に到達する理論機制は、ヘーゲルの『精神の現象学』とまったく同じだと思っている。これだけでは、なにもまだ言えていない。このことが現実にどういう対応を持つのか、また、何を意味するのか、まだ、これから検討が必要。



Toute forme de progrès est une perversion, dans le sens où l'être est une perversion du non-être. Cioran Aveux et Anathèmes p. 89 Gallimard 1987

進歩はどんな形式であれ、一つの倒錯である。そもそも、存在が非在の倒錯だという意味で。

■進歩史観がいかがわしいのは、そこに流れる時間の均質さと、そこに含まれる隠微な政治支配に鈍感なゆえである。進歩に対して、なんらかの屈折した思いを持っているかいないかは、人間を判断する時の重要なメルクマールになるとぼくは思っている。この意味で、シオランは、きわめてまともだと思う。



Sound and Vision

東日本大震災 福島第一原発元モニターからの証言

※東電が地域社会と作った社会関係の皮相性と欺瞞性。













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一日一句(251)






秋蝶といへど一途や日に向ひ





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