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台湾俳句と日本語

金曜日、。寒い一日だった。自宅作業の日だが、非常に忙しく、ばたばただった。



昨日の朝日の朝刊に台湾俳句の記事が載っていて、印象的だった。台湾で台湾人による俳句の会が36年も続いている。主宰する黄霊芝さん(78)の話が面白い。

日本の台湾統治時代に、小学校低学年までの教育を受けた70歳以上は、台湾に100万人余りいる(台湾全体の人口は約2300万人)。黄さんもその一人で、日本人と同じ小学校に通った。19歳のときに結核にかかり、「あす死ぬかもしれないと思うと、言葉の作品を作って生きた証を残したいと考えた。だとすれば、日本語を使うしかなかった」(黄さんsaid)。

俳句と出会ったのは17歳のときで、同じように結核と戦った正岡子規への共感もあったようだ。日本の俳人たちが訪台した70年に、日本語で俳句を作る「台北俳句会」を作った。これは、当時の台湾では危険な試みだった。戒厳令を敷いた国民党の独裁政権は日本語の使用を厳しく制限し、10人以上の会合は警察に届け出なければならなかった。

「俳句と称する怪しげな日本語で台湾独立運動をめざしていると目をつけられていた」そうである。公安関係者が句会を監視し、護身用のナイフが手放せなかった。

そんな黄さんは、こう語っている。「親日ではない」植民地時代の苦い思い出が、そう語らせるのである。旧制中学に入学したとき、台湾人にヤキを入れると称して、上級生に肋骨を一本折られたと言う。「それでも、私は親日本語なんです。つくづく繊細な言葉だと思う。そして自然と人とのかかわりを巧みな省略を使いながらたった17文字で表現する俳句の世界は、何年たっても究めつくせない」

話は、変わるが、先日、詩人で俳人の清水昶氏に話を伺う機会があった。そのとき、氏はこんなことを語った。「日本人の美意識は、神風に見られるように、戦時中国家に利用された。しかし、その美意識を否定しても始まらない。なぜなら、日本人の美意識は日本語に内在的なものだからだ」

言葉と人間の関係は、深く不思議である。黄さんは、こんなことも言っている。「国は滅ぶことがある。滅びずにずっと続いていく人の暮らしや社会こそ尊いんじゃないか」

まったく同感である。どこぞの馬鹿が「美しい国へ」などと言えば言うほど、「醜い国」の馬脚を現している。「美しい」という言葉は国という一つの観念に対するものではない。われわれ、生身の人間とその諸関係、そして、われわれと自然との諸関係にこそ、冠すべき言葉なのである。一つの倫理として。
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