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翻訳された俳句(17)

土曜日、。冷たい冬の雨。旧暦、10月19日。



(原句)

蚤虱馬の尿する枕もと   (奥の細道)

(ドイツ語訳) ディートリッヒ・クルシェ訳

Floehe, Laeuse-
die Pferde pissen nahe
bei meinem Kissen.


(日本語訳)

蚤虱-
馬がわたしの枕もとで
ゆばりしている。

(英語訳) ドナルド・キーン訳

Plagued by fleas and lice,
I hear the horses staling
Right by my pillow.


(日本語訳)

蚤や虱に悩まされ、
枕もとでは
馬のゆばりする音が聞こえる

■原句の構造をまず、検討してみたい。「蚤虱馬の尿する枕もと」は、詠んでいる素材は、一つである。芭蕉が宿泊した封人(国境を守る人)の家の様子を「枕もと」に託して描写している。したがって、一物仕立ての句である。同時に、形式的には、「蚤虱/馬の尿する枕もと」で切れる。この切れは取り合わせの切れではなく、音楽の切れである。

クルシェのドイツ語訳を見ると、音楽の切れに忠実に訳出していることがわかる。「Floehe, Laeuse-」の「‐」にそれが現れている。一方、キーンの英語訳は、この句の伝えようとしている意味を忠実に訳出している。ある意味で、この句の解釈をそのまま英訳している。確かに、芭蕉は蚤虱に悩まされていた。「Plagued by fleas and lice,」そして、その家には、飼われている馬が同じ屋根の下にいて、ゆばりする音が聞こえてくる。「I hear the horses staling」(当時、奥州地方の農家では、母屋内に馬を飼っていて、人馬同居する風俗だった)

クルシェのドイツ訳は、近代の客観写生の俳句のように、物を物として突き放して訳している。キーンの英語訳は、解釈が入り説明臭くなっているが、句の根幹に横たわる「わたし(I)」の存在を浮き立たせている。キーンの方がクルシェよりも、欧米には、三行詩として受け入れやすいのではないか。ただ、俳句の特質をそのまま維持するとしたら、クルシェの訳も捨てがたい。「俳句の文法」が日本語の文法と密接に関係しているだけに難しい問題かもしれない。
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