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芭蕉の俳句(122)

木曜日、。旧暦、10月3日。

今日は、早くに起きたが、また、眠り込んでしまった。終日、仕事の予定。

ブレヒトの政治・社会論を読んでいて、スターリンの死によせて、こんな記事があった。

スターリンの死によせて

五つの大陸の抑圧されている人びと、すでに自己の解放をなしとげた人びと、世界平和のためにたたかっているすべての人びとは、スターリンの死を耳にしたとき、心臓のとまる思いを感じたにちがいない。かれは、これらの人びとの希望の化身であった。だが、スターリンがつくりあげた精神的・物質的武器は、いまそこにある。そして、教義は存在しつづけている、あらたな教義をつくりだすために。(1953年4月)

ブレヒト『ブレヒトの政治・社会論』(河出書房新社)p.404

フルシチョフのスターリン批判が、1956年だから、スターリン死亡時点では、その狂気が見えていなかったのだろうが、それにしても、ソ連を無前提に肯定しすぎていて、そこには、「すべてを疑え」と言ったマルクスの精神は感じられない。



住みつかぬ旅の心や置火燵  (元禄4年膳所歳旦帳)


■置火燵の不安定さに漂白の心を重ねたところに惹かれた。楸邨の解説によれば、当時の置火燵は堀火燵に比べて、不安定だったらしい。今では、暖房は、エアコンや石油ストーブになってしまって、火燵の感覚も忘れてきた。そう言えば、堀炬燵の代替として出てきた当初の電気炬燵は、堀火燵に比べて、よく動いたような気がする。


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