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ブレヒトの政治・社会論

水曜日、。旧暦、9月18日。

この頃、mixiに書くことが多くなってしまった。親しい人に珈琲でも飲みながら、喫茶店で話しをするような感じで、書いている。

ここ何日か、借りてきたブレヒトの政治・社会論を読んでいる。ベンヤミンの友人であり、ベルリーナアンサンブルの創設者であり、詩にも劇にも興味を持っているので、期待していたのだが、今のところ、ぼくの中にあまり入ってこない。なぜ、入ってこないかを考えるのは、この場合、重要な気がしている。中に入ってきた断章には、たとえば、次のものがあった。

何が美しいのか?

美しいのは、ひとが困難を解決するときである。
したがって美しいのは行為である。ある音楽がなぜ美しいのかを語ろうとするとき、ぼくらは、そこではどういう行為が美しいのかを、問わなくてはならない。そのばあいぼくらは、音楽行為について語ることになる。美しい音楽行為は、困難を解決する音楽行為だ。このようにして成立する音楽は、ときによって、なおかなり長いあいだ美しいが、それはその困難の解決をうながした情緒が、くりかえし出現してくるからなのである。

こういう美の概念は過渡的なものであり、またさまざまな度合いをもっている。困難には深浅があり、持続の長短があり、大小があり、重要度の差異がある。困難の解決は、まったくそのつど異なって美しいのであり、永遠に美しいのではない。

『ブレヒトの政治・社会論』(河出書房新社 2006年 野村修ほか訳)p.167


ブレヒトの政治・社会論 (ベルトルト・ブレヒトの仕事【全6巻】)
クリエーター情報なし
河出書房新社







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