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第8回銀河朗読会―戦に抗う詩4―







■5日の土曜日に行われた、第8回銀河朗読会の模様が公式ページ@Facebookにアップされました。ここから>>>





次回は、2017年2月4日(土)の立春、2:00-4:00(時間が変わっています)です。






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第8回銀河朗読会―戦に抗う詩4―







■「第8回銀河朗読会―戦に抗う詩4―」が、11月5日(土)に行われます。ご興味のある方の参加をお待ちします。




爆撃機シリアの空の十三夜

★戦争は他者の問題と直接つながっています。マーケットとしての他者には強い関心を持てても、人間としての他者には関心が持てない。そういう状況があちこちで見受けられるように思います。原発の問題にしても、沖縄の問題にしても、差別の問題にしても、あるいは、自分自身についてさえ、マーケットとしてしか自己認識ができなくなりつつあるのかもしれません。こうした人間が、<ロボット商品>と化した世界に希望はあるのでしょうか。人一倍敏感な感受性を持つ詩人たちは、こうした世界のありようをどのように感受してきたのでしょうか。朗読を通して問題提起をしてゆきます。


第一部  自作朗読(俳句と14行詩を中心に)(尾内達也)

第二部  トラークルとアルトー、メルヴィルなどの詩の朗読

第三部  オープンマイク・意見交換

最後の詩 ロミー・リーの詩の朗読

【日時】11月5日(土曜日)15:00-17:00

【場所】恵比寿カルフール ギャラリールーム

【会費】2,000円(珈琲・紅茶付き)

【申込み・連絡先】尾内達也
mob 080-5443-8649 
eメール delfini800@gmail.com


※ 過去の銀河朗読会の朗読詩などは、公式FBページからご覧になれます。ここから>>>










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詩的断章「まるで」







まるで



しろいワイシャツ

地味な
ネクタイ

夏帽
をかぶると
へんな
気分

ひと
じゃ
ないみたい

話まで
しづかで
まるで
わたしの葬式


の高いところは


仕事
をやめると

は早い

月の道
ひとつの
誤解

夏帽の影
は大きくなつて
昼間より


重い






初出「浜風文庫」





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賢治生誕120周年




■旧暦7月20日、月曜日、颱風9号の大雨

今年の8月27日は、宮沢賢治生誕120周年になる。賢治が盛岡高等農林学校二年生の20歳のとき、地質学の研修旅行で、上野・熊谷を経由して秩父地方を訪れている。その旅行で、多数の短歌を残している。賢治は、俳句も詩も童話も書いたが、短歌は特別なものだったらしく、もっとも早い時期の創作は、短歌であり、死の直前には辞世の歌を詠んでいる。


この研修旅行中に友人の保阪嘉内へ送ったはがきには、旅行日記のように短歌が書かれている。

熊谷の蓮生坊がたてし碑の旅はるばると泪あふれぬ
(蓮生坊とは熊谷直実のこと。熊谷寺で)

武蔵の国熊谷宿に蠍座の淡々ひかりぬ九月の二日

豆色の水をわたせるこのふねのましろき空にうかび行くかな
(秩父の長瀞の水のことだろう。「豆色の水」という表現は、一読して忘れがたい)

賢治は、1920年(大正9年)24歳の秋に、国柱会へ入会する。国柱会とは、田中智学が、1914年に創設した在家仏教団体で、「純正日蓮主義」を掲げ、国粋主義的な立場を鮮明にしていた団体。大東亜共栄圏のスローガンであった「八紘一宇」という言葉は、この国柱会の田中智学の創案であり、のちに軍部がこれを利用することになった。石原莞爾も、国柱会会員だった。現在も、国柱会は存続しており、東京都江戸川区にある国柱会本部の庭園「申孝園」に、賢治の絶筆短歌二首の碑が建っている。

方十里 稗貫のみかも
稲熟れて み祭三日
     そらはれわたる



病(いたつき)のゆゑにもくちん
         いのちなり
 みのりの
    に棄てば
      うれしからまし

国柱会は、現在、安倍政権を支える極右団体、日本会議の構成メンバー21団体の一つである。







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詩的断章「散華」







散華





父は沖縄で散華しました
その散華ということばが
長い語りのなかでピカピカ光って
どうにもまぶしい
目を見開いていられないほどに
どうにもまぶしいのである
時間とともに
ますます
まぶしく
どうして
こうもまぶしいのか
太陽をずっと見てゐることはできない
若いころ 憎んだ
散華を
どうしていまさら まぶしいなどと……
大尉はなにも語らない
知覧へ向かう前に

桶川上空を一度

旋回したのみである
大地は
いまも
その赤とんぼの爆音を憶えてゐる
孤独な花びらのさきに
一歳の女の子が
遺された

朴の花は 風に
散華するとき
微かな音を立てるという




初出「浜風文庫」






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clouds and red poppies




clouds and red poppies

romie lie






clouds and red poppies
in your eyes
don't close that door

light footsteps
on the waste land
is it your children's

perseids
running us over
are they our deads
she wonders



あなたがたの眼の中にある
雲と赤いポピー
あの扉を閉めないで

軽やかな足取りで
荒れ地をゆく
それはあなたがたの子どもたちの足取り

ペルセウス流星群が
わたしたちの頭上に降り注ぐ
あれはわたしたちの死者なんじゃないかしら
彼女はそう思った



※ この詩は、ロミーが日本の右傾化する現状をとても心配してくれているので、都知事選以降の状況を説明するメールを書いたところ、その返信として送ってくれた詩である。遠くスイスから届いた励ましである。タイトルは、わたしが付けたもの。



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ジョン・キーツについて




■ジョン・キーツ(1795-1821)の詩を、はじめて読んだのは、20歳のころだった。とくに、詩ばかり読んでいたわけではなく、乱読する中で出会った詩人だった。あまりピンと来なかった。恋愛詩などを読むと、ちょっと引けて自分とは感性が違うな、くらいの感じで、その良さはよくわからなかった。はじめて、その凄さに気がついたのは、ヘルダーリン(1770-1843)の詩を読むようになった後だった。この二人は、同時代人で、同じようにギリシャブームを経験している。18世紀末から19世紀にかけて、ヨーロッパには、ギリシャブームがあったのではないかと思う。同時代人のヘーゲルも、その哲学的理念はギリシャのポリスに範を取っている。

最近、ジョン・キーツに三度目の出会いをしている。それは、若干25歳で亡くなったキーツが、ニュートンなどの科学に、根源的な批判をしており、―unweave a rainbow(虹を解きほぐす、分解する、要素に還元する)という科学批判。その批判はアクチュアルだと思う(現在でも要素還元主義が科学の基本である)―3.11後のいまにも届くものを持っていること(わたしは、単純な反科学主義者ではないが、科学には科学批判を、魔術には科学を!)。さらには、非常に興味深い概念、「negative capability」を、弟たちへの手紙の中で提示している点である。この概念は、ウィキを元にざっくり言えば、不確実なものや未解決なものを受容する能力と言える。

いまは、詳しく説明できないが、この概念が非常に重要だと、自分の直感が訴えてくる。ジョン・デューイなどの哲学者や作家も言及していることがわかった。ハイデッガーの概念、Gelassenheit(落ち着き、平静、ゆだねること)との類似を指摘する声もある。ぼちぼち、調べていきたいと思う。

その手紙は次のとおりである。



Hampstead Sunday
22 December 1818 My dear Brothers

I must crave your pardon for not having written ere this [ . . . ] [T]he excellence of every Art is its intensity, capable of making all disagreeables evaporate, from their being in close relationship with Beauty & Truth—Examine King Lear & you will find this exemplified throughout; but in this picture we have unpleasantness without any momentous depth of speculation excited, in which to bury its repulsiveness—The picture is larger than Christ rejected—I dined with Haydon the sunday after you left, & had a very pleasant day, I dined too (for I have been out too much lately) with Horace Smith & met his two brothers with Hill & Kingston & one Du Bois, they only served to convince me, how superior humour is to wit in respect to enjoyment—These men say things which make one start, without making one feel, they are all alike; their manners are alike; they all know fashionables; they have a mannerism in their very eating & drinking, in their mere handling a Decanter—They talked of Kean & his low company—Would I were with that company instead of yours said I to myself! I know such like acquaintance will never do for me & yet I am going to Reynolds, on wednesday—Brown & Dilke walked with me & back from the Christmas pantomime. I had not a dispute but a disquisition with Dilke, on various subjects; several things dovetailed in my mind, & at once it struck me, what quality went to form a Man of Achievement especially in Literature & which Shakespeare possessed so enormously—I mean Negative Capability, that is when man is capable of being in uncertainties, Mysteries, doubts, without any irritable reaching after fact & reason—Coleridge, for instance, would let go by a fine isolated verisimilitude caught from the Penetralium of mystery, from being incapable of remaining content with half knowledge. This pursued through Volumes would perhaps take us no further than this, that with a great poet the sense of Beauty overcomes every other consideration, or rather obliterates all consideration.


重要部分のみ訳出すると:


「ディルクとは喧嘩したわけじゃなく、いろいろなことについて、細かい説明をしたんだ。いろいろわかってはっとした。とくに文学について言えるんだけれども、業績を残すような文学者になるには、ある資質が必要なんだよ。それはシェイクスピアが非常に多く持っていたもので、つまり、ネガティブ・ケイパビリティさ。事実や理由を追求して、すぐに答えを出そうとせず、不確実性や神秘、疑念の中にとどまる能力のことだよ。たとえば、コールリッジなら、半分わからない、というままにしておけないから、神秘の最深部でしか捕まえられない、ほかに類を見ないすばらしい迫真的なもの(verisimilitude)を見逃してしまうだろうね。ネガティブ・ケイパビリティは、多くの書物で触れられてきたけれど、これを突き詰めると、偉大な詩人にとっては、美の感覚というものが、ほかのどんな思想にも勝る、というか、ほかのすべての思想を消し去ってしまうということなんだろうと思う。」


そのジョン・キーツは、死の二年前、23歳のときに、To Autumnというオードを書いている。立秋になり暦の上では秋になった。異様に暑い日が続いているので、全編引用したいと思う。



秋に寄せるうた

                      ジョン・キーツ



霧と熟れたる豊穣(ほうじょう)の季節よ
恵みあふれる太陽の親しい友だちよ。
葉のひさしに捲(ま)き付いた葡萄(ぶどう)づるには重い房を
どんなに垂れ下げようかと、おまえは太陽と語らいたくらむ
苔むした納屋の古木(こぼく)には林檎(りんご)をたわわに実らせ、
すべての果物をその芯にまで熟れさせようとする、
またひょうたんを膨らまし、そして蜜蜂たちには
遅れ咲きの花をもっともっと開かせようとする。
夏が蜜蜂の巣の蜜房にねばねばと満ちていて、
暖かい日々の終わることがないだろうと思うまで。



誰が収穫のときにしばしばおまえを見かけなかったであろう。
ときおりおまえをあちこち捜したものなら、
おまえが穀倉の床のうえで吹き過ぎる
風に髪をゆるやかになぶらせて、
ただぼんやりと坐っているのを見かけたものだ。
あるいは半ば刈りとられた畝(うね)で
芥子(けし)の匂いに眠気を催し、
いっぽうおまえの鎌は、次の麦株と絡まる
花々を惜しんでぐっすりと寝入っている。
またときおりおまえは落穂(おちぼ)拾いの人のように
花をのせた頭を辛抱づよい目差し(まなざし)で
果物搾りから落ちる



春の歌ごとはどこに行ったのであろう。
ああ、いまはどこに。
そのことを思うてはならぬ、おまえには
おまえの歌がある-
たなびく雲は紅(あか)く沈まんとする夕陽(ゆうひ)に映(は)え、
薔薇色に切株の畑を染めるとき、
ちいさな羽虫のむれはかわやなぎの枝のなかで
かろやかな風が立ちまたやんだりするままに
高く運ばれあるいは低く降りたりしながら
哀しげにうたう、
生長した仔羊(こひつじ)がむこうの丘から啼(な)きつつやってくる。
垣根のこおろぎが鳴く、そしていま菜園に駒鳥が美しいソプラノで囀(さえず)る。
また空には。南に帰る燕のむれが囀っている。


《訳 出口保夫》





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詩的断章「椎の木への手紙」







椎の木への手紙





樹齢六百年という時間は
うすぼんやりと想像はできる
いままでの人生の倍で百年
それが六回あると思えば
なんとなく

時間は過去へ一直線に伸びてゐる
わけではなく
高さがあり(十三メートル)
回りがあり(根回り 七メートル)
張りがあり
(根張り 南北十七メートル
東西十四メートル)

必死のいまと
必死のあした
ふと気がつくと
六百年が流れた
働いたなぁ

アメリカ大陸も
世阿弥も流れた
芭蕉も
マルクスも流れた
何度も何度も戦争が流れた

火が流れ
水が流れ
風が流れた
その果てに
名もない俺も流れて
いま
乾いた椎の木肌を撫でてゐる

椎よ 椎よ
しづかな
椎よ
ことばが
愛の実現に使われた
試しがあったろうか

幹の影が西日に伸びて
油蟬が啼いてゐる
帰る家を
作らなきゃな




初出「浜風文庫」





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詩的断章「やっぱりひかりの櫟」







やっぱりひかりの櫟





南の窓のすぐ前に
ちょうど目隠しのように
二本の櫟が立っている

冬にずいぶん枝を剪定されて
丸裸同然になっていたから
ちょっと心配していた
春には芽吹くのだろうか

そんな心配はまったく無用で
夏にはツンツンと細長い枝を
垂直に空へ伸ばして
さざなみのような長い葉をあっというまに
茂らせて

光と風を
こんもり宿している二本
七月の朝のひかり―
それは葉のアウラと
一体になって楽器になる
風の日は風の楽器
雨の日は雨の楽器
音を違えても
やっぱりひかりの櫟

たぶん、窓際で新聞を読むわたしが一番
揺れるひかりを観ている
たぶん、洗濯物を干す妻が一番
ひかりの音を聞いている
たぶん、蜘蛛の巣の大嫌いな娘が一番
ふたりの会話を聞いている

まだ櫟のどんぐりをだれも見たことがない






初出「浜風文庫」





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第7回銀河朗読会―戦に抗う詩4







■昨日、7月2日土曜日、第7回銀河朗読会が開催されました。その模様をアップしましたので、ご覧ください。ここから>>>





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