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芭蕉の俳句(9)


■旧暦

(写真)椅子と向日葵

特養の連絡がずさんなので怒る。家族の協力をうたい文句にするなら、あたりまえのコミュニケーション力を養って欲しいものである。地道なコミュニケーションから信頼関係と協力体制は生まれるものと思うが...。

そろそろ、死ぬ準備に入りたいと思っている。コンセプトは、「元気に死ぬ」である。そのためのもろもろ。



義朝の心に似たり秋の風  野ざらし紀行

義朝。頼朝、義経の父。なかなか、凄まじい人生。芭蕉が、秋風の本意を、寂しさよりも凄まじさに見ていたのは意外だった。秋の風も吹き方によっては、そう感じられることも確かにある。そう思って出典を見れば、「野ざらし紀行」だった。「野ざらし紀行」は、猿の句や野ざらしの句など、ディープな雰囲気が全体に漂う。一茶の資質は、芭蕉のこういう面と響き合ったのではないかとも思っている。









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芭蕉の俳句(8)


■旧暦7月11日、水曜日、

(写真)立ち葵

谷口ジローの印象的な短編『夏の空』に、中也の詩が効果的に引用されていたので、中也詩集をひっくり返してみた。

青い空は動かない、
雲片一つあるでない。
  夏の真昼の静かには
  タールの光も清くなる。

夏の空には何かがある、
いぢらしく思はせる何かがある、
  焦げて図太い向日葵が
  田舎の駅には咲いてゐる。

上手に子供を育ててゆく、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
  山の近くを走る時。

山の近くを走りながら、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
  夏の真昼の暑い時。


中原中也「夏の日の歌」

「夏の真昼の静かには/タールの光も清くなる。」とか「焦げて図太い向日葵が/田舎の駅には咲いてゐる。」とか、しんと静まり返った、なんでもない地方の町の夏の空が、ありありと浮かんでくる。子どもの頃の、退屈と紙一重のこういう記憶が、懐かしく思いだされてくる。こういう静けさというのは、貴重なものだったのだな、と今にして思う。



はつ秋や海も青田の一みどり  貞亨五年

■この句は、以前読んだときも、やはり、印象的だったが、今度、読んでみて、初案が「初秋はうみやら田やらみどり哉」だったことを知った。俳句は、直観的にできる、というのは、実は、誤解なんだと、芭蕉の推敲に触れる度、思う。



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芭蕉の俳句(7)


■旧暦6月22日、金曜日、

(写真)朝顔

そろりと、運動の再開。階段の上り下りから。合計300段。15分弱の運動であるが、腰痛の状態を見ながら、筋トレまで持っていく予定。ブルバキは、可換代数学、代数的整数論、非可換代数学となって、まったく理解不能になってきた。フェルマーの最終定理と関連があるらしいことは、わかるのだが、語られている言葉がまったくわからない。さて。わかろうとしないことにしたw。



尾州野水新宅
涼しさを飛騨のたくみが指図哉  杉風宛書簡(元禄七年)

■「涼しさを指図する」という措辞の新鮮さに惹かれた。「飛騨の匠」は、当時のブランド。さすがに、今では、言葉の賞味期限は切れているが、合掌造りとの関連性が想像されて楽しい。

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芭蕉の俳句(6)


■旧暦6月17日、日曜日、、祇園祭山鉾巡行

(写真)行列

水曜日の夜にぎっくり腰を起してから、まったく歩けなくなった。今は、整形外科に行き、痛み止めを飲んで、湿布を貼って、どうにか、杖を使えば、短い距離はいける。いやはやである。しかたないので、仕事はみな中止して、ベッドで本を読んでいる。

テレビで、詩人のWさんと小説家のNさんが、震災について話しているのをたまたま見た。Wさんは、twitterで震災直後から、「詩の礫」を連続tweetsしてfollowersは一万五千人を超えるという。Nさんはエッセイや批評で震災について触れている。文学者として自分になにができるか、考えてのことという。まるで、学校の先生のように善い人たちである。二人とも善良でまともであるが、ぼくは、かすかな違和感を感じる。それが、だんだん大きくなってくる。

それは、詩人や小説家って、こんなに善良だったのか、という素朴な疑問と関連している。こういうと語弊があるかもしれない、現に、かれらの言葉を待っている大勢の被災者の人々がいる。だが、と思う。詩人や小説家は、本来、いかがわしく、胡散臭いものではなかったのか。人々に好かれるよりも排斥されることさえ厭わない存在ではなかったのか。

詩人や小説家が善良になったのは、社会が野蛮から解放されつつある証拠なのか。ぼくには、その反対に思える。今や、だれもが、市場と無関係に生きることはできなくなった。芸術家とて商売人なのだ。市場の動向には敏感にならざるを得ない。市場に嫌われては生活はできない。被災者に何ができるか、という発想は、市場に何が売れるかという発想と形式的には同じである点に注目したい。

読者・オーディエンスは、市場を構成する。もちろん、二人に、作品を売ろうという意識はないだろう。ただ、聞いてもらいたいだけなのだろう。自分には、文学しかできることはないという意識なのだろう。だが、作品を作るときの機制に、この市場主義の影響がないとは言えないのではあるまいか。

たとえば、原発問題は、自己批判を含まなければ、語れない。そして、それは被災者を批判することにもつながる。こうした「問題作品」こそが、市場の向うに広がる歴史に届くのではなかろうか。作品が売れる(読まれる)ことが大衆の支持を得ているといった正当化は、大衆が無媒介な存在ではないことを原発問題が示したことで、崩れたと思う。電力会社、マスコミ、政界、財界、学界、経産省(保安院)、安全委員会といった、資本のエージェントの諸機関が、金をふんだんにつかい、各領域で連携活動して、原発に関する虚偽の社会的カテゴリーを生産していたのは、明らかであり、大衆は、そうしたカテゴリーに媒介されて存在してきた。こうした虚偽の社会的カテゴリーの生産は、原発に限らない。



皿鉢もほのかに闇の宵涼み  其便(こがらし)元禄七年

■宵涼みの中に皿鉢が浮かんでくる様子を「皿鉢もほのかに」だけで表現している的確さに惹かれた。夕涼みも宵涼みも、今では、エアコンの普及でほとんどなくなった。そうした無為の時間もなくなったということだろう。それは、そこにあった豊かなコミュニケーションも同時に失われたということでもある。技術は、時間を加速し、人間同士の距離を引き離す。だが、前近代を身体で知っていたとすれば、技術の違った効用にも目が行くのかもしれない。それは、人間の自由の拡大である。問題の解決が新しい問題を生み、その解決がまた新たな問題を生む。そうした連鎖の中にわれわれは生きているのだろう。



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芭蕉の俳句(5)


■旧暦6月11日、月曜日、

(写真)無題

3.11から4カ月。ホットスポットでの、なんとも言いようがない日々が続く。3.11について、どう思索を重ね、どう行動に結びつけて行くのか(自分にはいったい何ができるのか)。そんなことをぼんやり考えている。

萩尾望都が、月刊フラワー8月号で、フクシマをモチーフにした「なのはな」を描いている。相変わらず、詩人だなあ、と思わせる構成と絵。読者層を考えると仕方ないのかもしれないが、自己批判も含めた構造的な視点があれば、描きだされた喪失感に深みが加わったと思う。

朝、ブルバキの『数学史』を読む。集合論の前まで。翻訳は、典型的な学者訳で、お世辞にも上手いとは言えないが、訳注がその分充実し、原著自体も、かなり調べてあって読ませる。



涼しさやほの三か月の羽黒山   奥の細道(元禄二年)

■上5の「涼しさや」という存在の大きな捉え方は、現代の俳人には、もうできなくなっているように思う。生活が断片化し、加速化し、全体的になにかを捉えることが難しくなっている。だから、こういう句に触れると、時間の流れの雄大さや世界の全体性をふたたび感じて惹かれる。芭蕉の初案は「涼風や」だった。これだと、現代の感覚にむしろ近い。推敲した結果、太古の時間感覚や全体性にまで、戻ることになったのだとしたら興味深い。俳句にはいまも、古代を垣間見せる可能性が残っているかもしれないからだ。そして、それは、現代への根源的な批判となりえる。

※twitterを見ていたら、子規の「涼しさや石に注連張る山の奥  明治27年」というのが出てきた。芭蕉の影響が見られる。山全体に涼しい気配がたちこめている。








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芭蕉の俳句(4)


■旧暦6月2日、土曜日、、半夏生

(写真)無題

今日、明日は、叔母が施設から、4カ月ぶりに一泊で帰って来るので、その準備に追われた。施設にいるときには、早く家に帰りたいと言っていたが、やはり、自宅の生活は、身体が不自由な者には、きつい。普通に寝起きしたり、食卓で食事したり、風呂に入ったり、そういう日常生活ができるのが当たり前のように、考えがちだが、そうした何気ない日常がいかに大切なものであるかは、叔母を見ているとよくわかる。

2週間前から、Wittgensteinの断章に出てくる式、(x).fxとfaの意味が分からずに、考え込んでいる。関数に似ているが、関数の表記ではない。変数xに定数aが対応するらしいことはわかるのだが、Wittgensteinが、何かを言うために、独自に表現した式ではないか、と思っているのだが...。問題は、何を言うために、こういう独特の式を出してきたのかが、はっきり捕まえられないことである。



涼しさを我宿にしてねまる也   元禄二年(奥の細道)

■「ねまる」は東北方言で、「くつろいですわる」の意。尾花沢で清風という人を訪ねたときの句。挨拶として地方の言葉を取り入れている。そこに惹かれた。挨拶することは、その土地全体への敬意を含み、その全体の中に、そこで使われる言葉が含まれる。そんなことを感じる。挨拶というものが、本来、あらかじめ決まった汎用性のある形式や儀礼ではなく、その土地での言葉の使用法と関連していることを示唆している。言葉の使用法は、当然、判断や行動、価値とも関連してくる。芭蕉における「旅」は、挨拶=脱中心化といった視点で考えることもできるかもしれない。



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芭蕉の俳句(3)


■旧暦5月24日、土曜日、

(写真)無題

今日は、何をしていたか、わからんうちに終わった。夕方食べた京都のわらび餅が美味だった。夜、ゴミ捨て。夜風が冷たい。



松風の落葉か水の音涼し   (蕉翁句集)

■「松風の落葉」という措辞。「松の落葉」と比べてみると、その韻文性がわかると思う。そこに惹かれた。「や」ではなく、「か」という助詞を使っていることで、松落葉の気配が表現されているように思えた。



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芭蕉の俳句(2)


■旧暦月22日、木曜日、、沖縄慰霊の日

(写真)雨あがる

どうも気合いが入らない。蒸し暑い。

『チェーザレ』8巻読了。毎回、読み応えがある。今回も実に面白かった。レコンキスタでモスリムを排除し、スペインがキリスト教国家になる条件が整うと、今度は、国内の非キリスト教的要素、つまりユダヤの排斥を始める。この辺の事情が具体的によくわかった。チェーザレは側近に、ユダヤを多く登用している。もしかしたら、チェーザレの血にもユダヤは入っているのかもしれない。



たのしさや青田に涼む水の音   真蹟懐紙(貞享二年)

■芭蕉の俳句で、「たのしさ」が詠まれているのはめずらしい。共感できた。



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芭蕉の俳句(1)


■旧暦5月19日、月曜日、

(写真)上野

腰痛のため、終日、コルセットを装着して、静かにすごす。夕方、施設に叔母を訪ね、特養への入居に関して、最終確認をしてくる。これで、判定会議の結果を待って、入居が決まる。特養に入れれば、こちらとしては、だいぶ、気が楽になるが、入居すれば、あとはよろしく、ということはなく、ケアスタッフと家族の協力体制の構築が必要になってくる。とくに、「見取り」という事態になったとき、この協力体制が問われる。今すぐではないが、その日は、確実にやってくる。そのときには、こちらも歳を取っている...。



昨日の「父の日」に娘から、『芭蕉全句集』をもらったので、芭蕉全発句読みの2回目を、ぼちぼち、開始しようと思っている。

白河関
西か東か先(まづ)早苗にも風の音   曾良書留(元禄二年)

■早苗にはじめに風の音を聴く、という感性に惹かれた。曾良が書きとめた発句ということだが、脇に続くことが予感される句作りで、一句で屹立する現代の俳句とは趣が少し違うように感じる。「早苗にも」という個所にそれを強く感じる。一句独立なら、「早苗には風の音」と作るのではないだろうか。






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