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往還日誌(241)





■11月22日、金曜日、晴れ。

荷物の梱包がまだ先になるため、引っ越しの相見積もりを、スマホのZoomを使用して行う。

版画やポスター、書の複製は、美術品としての保障はないという。これは、自分で運び込んだ方が良さそうである。

Delfini Houseで、少し心配しているのは、防犯である。構造上、防犯が弱い。なんらかの対策が必要だろう。

京都市から国保の追加徴収の通知が来たので、保険年金課へ問い合わせる。

算定式は、京都情報館のHPで公開していることがわかった。

金額に不服がある場合、異議申し立てを、制度上、行うことができることもわかった。

3つくらいの計算式を積み上げて、最終的に、国保料をはじき出すようだが、その率は、京都市議会が最終的に決めている。

ただ、全国的に、それほど、変動はないという。

だからと言って、その比率に、妥当性や合理性があるとも限らない。

野菜を蒸して食べる実験を繰り返している。きょうは、聖護院大根を蒸した。ほくほくして美味しい。塩とごま油で食す。

妻が言うには、風呂吹きにすると、聖護院大根は、美味なので、蒸しても、味噌だれで食べるといいという。

この発想はなかった。あす、試してみることに。

古着というのは、今まで買ったことがなかったが、京都には古着屋が多い。

倹約もかねて、少し、探訪してみたい。

ひとは、言い換えれば、社会は、外見で人間を判断する。

中身の充実なく、外見だけ整えるのは、愚かだが、中身だけで、外見はどうもいい、というのも賛成しかねる。

外見や、その雰囲気、発散するアウラには、そのとき、その瞬間の、その人間の本質が出ている。

問題は、それを、正しく理解できるかどうかだろう。




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往還日誌(240)






■11月21日、木曜日、晴れ。

母の米寿の誕生日なので、朝、電話。

お祝いの席に行けないので、好物の和菓子を送付。

午後、工事業者が水道のパッキン交換に来る。

千本に移ったら、ウォーキングコースを見つけた方がいいと、有酸素運動の不足を心配した、妻がラインしてきたので、気になってはいたが、今朝、御所で、運動しているとき、岩盤で瞑想した記憶がふいに蘇ってきた。

学生時代、立命館の南の等持院に住んでいたので、千本や北野白梅町、西大路、嵐電沿線、金閣寺、竜安寺など京都西部は、むしろ、自分のエリアだった。

その記憶の中に、岩盤での瞑想の記憶がある。

あれは、どこだったかと調べてみたら、どうも、立命館の北の衣笠山遺跡だったように思う。

40年前から、瞑想はしていたが、形だけの真似事で、その効果は、ほとんどなかった。

40年後、同じ場所で、ヴィパッサナー瞑想をウォーキングと一緒に試みるのはいいアイディアだと思った。

もっとも、山なので、斜面はかなり急である。

午後から、仕事。

夜、加筆作業のため、夕食を作りそこねた。



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往還日誌(239)





■11月19日、火曜日、晴れ、曇り、かなり寒い一日だった。

午前中、北白川上池田町のバプテスト眼科クリニックへ。

視力、眼圧、眼底、視野、診察。

緑内障の定期検査なのだが、現在のところ、問題はない。

今の心身調整・充実の方法論が、大枠、適切であることを示している。

年明けより、寺町から千本へ引っ越すことが決定。

上階の非常識カップルの騒音問題が原因。

建物の構造にも問題あり。

「Delfini House」と命名した建物で、第二次の「一定庵」を、1月から営む。

ここで、「現代の出家」の形態あるいは、「現代の隠棲」の形態を追及する予定。

「現代の」というところがミソ。

兼好にしても、長明にしても、社会から孤立していたわけではなく、今でいう『週刊文春』のような記者のようなスタンスで生きていた。

ヴィパッサナー瞑想・気功・呼吸法・筋トレなどを中心とした心身調整・心身充実を中心として、ライフワークに取り組む。

あとは、語るに任せよ。


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往還日誌(238)






■11月17日、日曜日、曇り、ときどき、雨。

きのうは、夜、40分ほど、ロミーと互いの詩をめぐってミーティング。

ロミーが言うには、門 variation1はパーフェクトだが、variation2は、1に比べると要素が多すぎて全体性や統合性に欠けるという。

cultural foundationが共通でないので、余計にそういう感じを持ったという。

オリジナルの日本語版そのものを見直す必要性を感じた。

英語版を作るのは、欧米において、英語版での出版の機会も模索したいと考えているからだが、このcultural foundationの問題は、かなり難しい問題となる予感がする。

ロミーの詩について、die haut(皮膚)の表現、meine hautとの違いや、光でも翳でもなく、白でも黒でもない、nebel(霧)の存在のありかたの、存在として普遍性など、いくつか、指摘した。

ロミーとは国も年齢も性も違うが、ほぼ、親友といった感じになってきており、You are preciousと彼女は言っている。お世辞もあるだろうが、悪い気はしない。

きょうは、朝起きて、予備的な心身調整を行い、深蒸茶を一杯飲んで、即、出発。

まずは、御所で、万歳鶴太郎を30回行い、膝のストレッチを30回行い、一条通りから、堀川へ。

下長者通りから、The Nicoleで「日本一のたまごサンド」。

そのまま、下長者通りを西へ千本通りへ。

ここは、平安時代の朱雀大路であり、千本丸太町の少し北に、大極殿(儀式・外交の中心)があった。千本通りは、当時の平安京の真ん中を通っている。

平安京は、現在の御所よりも西にあり、しかも、丸太町の少し北側に大極殿(千本丸太町交差点の西北に碑がひっそり建っている、写真)があり、それが、平安京の北端になっていた。

したがって、朱雀大路は、平安京の南の門であった応天門から、南に延びていた。幅は、広いところで87メートルもあったという。

このように、広大な空間をコントロールし、空間そのものを自らの身体とすることが、古代の権力主体の大きな特徴となっている。

この巨大な空間統制の前に、被支配者は、幻惑されてしまう。

その後、千本通りを北上して、上七軒の東参道から、北野天満宮へ。

菅公に参拝。

帰りに、堀川商店街で、野菜を買って、御所の乾御門から帰宅。

計、5時間強歩いた。

疲れているが、夜は、遅れているニコに専念の予定。

社会学、とくに知識社会学は、現代の知識社会における最重要の教養の一つと言えるように思う。





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往還日誌(237)







■11月16日、曇り時々雨。

きのう、午前中、画家のMさんと10年ぶりに会った。

ハイデルベルク在住のMさんが、たまたま、所用で京都に立ち寄ったため、平安神宮で会うことができた。

新詩集も渡すことができた。

きょうの午前中は、シリーズ「門」variation 1& 2の英語版作成。

日本語の詩は、難解になってしまい、英訳は無理なので、英語版というふうに割り切って作成。

この作業は、発見があって面白い。

その後、御所で、心身調整。

午後、久しぶりに、柳月堂へ行き、タンスマンの「ギターの為の5つの曲」をリクエスト。

柳月堂では、ロミーが送ってきた10編のドイツ語の詩から3編選んで、コメントを作る。

出町柳商店街で重曹と研磨剤入りのブラシを買って帰宅。ひたすら、蒸し器の焦げ落とし。

夜は、ニコの仕事に専念。






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往還日誌(236)







■11月14日、木曜日、晴れ間ある曇り。

きのうは、立命館大学に近い不動産屋まで歩く。往復2時間。

歩いている途中で、ショルダー・ポーチのベルトを留めてある糸が切れて、ベルトが外れた。

きょう、コインランドリーで洗濯するとき、コインランドリーのカードのチャージが、旧札しか受け付けないので、近くのみずほで旧札に両替をお願いした。

新札への両替は、その準備ができているようなのだが、旧札への両替はニーズがなく、慌てていた。

両替のときに、みずほの口座番号を聞かれ、本人確認を聞かれたが、そういう諸々は、すべて、ショルダー・ポーチに入れてあり、ベルトが切れたため、家に置いてあった。

こうしたものがないと、本来、受け付けはしないという。

困っていると、氏名と住所を書いてと言われ、それで、確認したようだった。

窓口の女性は、今回だけは、これで、確認しますが、次回からは、通帳はお持ちくださいね、と言っていた。

窓口の女性と話している中で、みずほ銀行が、京都には3店舗しかなくなった、と聞いて、驚いた。

整理統合されたという。

リアルの銀行が不要になってきているのは、知っていたが、やはり、実際に聞くと驚く。

それは、リアルマネーが不要になってきている現実と軌を一にしたものだろうし、人口の減少とも、関係するのだろう。

マネーという存在、そもそも、交換価値しかないそのあり方は、物質的な基礎をどんどん離れていく。


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往還日誌(235)






■11月11日、月曜日、晴れ。

今日は、晴れた。

午后、仕事をいったん中断して、鶴屋吉信へ歩いて行く。

世田谷や太田など、お世話になっている3ヶ所に、秋の和菓子を送付。

その後、堀川通を下って、晴明神社へ。いつも人だかりだが、きょうは、閑散としていたので、参拝する。

安倍晴明というひとは、不思議なひとで、わりと好きである。

さらに南下して、堀川の大垣書店へ。

ついに、第4詩集『二〇の物と五つの場の言葉』が完売した。

今回の京都滞在中に、詩集を置かせてもらっている、一乗寺の恵文社と、京都大学生協、四条の大垣書店本店へ、売れ行き具合を確認の予定。

堀川の大垣書店でスムーズに売れたのは、京都をテーマにした詩が複数入っていることが大きいと思う。

また、詩を読む層が、京都には、まだ確固として、残っているのだろう。

帰りに、堀川商店街のケーキ店「THE NICOLE」で、かつを出汁の効いたたまごサンドを食べようと思ったら、月火は休みやった。

ここのおばちゃんに、わしは、すっかり京都人、思われとる。

我ながら大した化け方やおもうで。演技の才能あるんちゃうか。






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往還日誌(234)






■11月10日、日曜日、曇り。

朝5時に起きて、予備エクササイズ、呼吸法、歩く瞑想、JJRの準備。フランス語のテコ入れの必要を強く感じる。

風呂洗う。ごみ捨てる。

午前中、JJR読書会。

午后、高崎線が遅延との情報があり、普段より1時間早く家を出る。

東京駅経由で京都へ。

車中は、イーフー・トゥアンという中国系アメリカ人の地理学者の『空間の経験』を読む。

本を読むのが遅い私にしては、めずらしく、きょう、初めて読んで京都に着くまでに読了。

もちろん、全部読んでいない。詩の新しいシリーズの制作に必要なところのみ。

参考になった。

たとえば、こんなところ。

経験とは、危機を克服することである。「経験」(experience)という語は、「実験」(experiment)、「熟達者」(expert)、「危険な」(perilous)といった語と共通の語根「per」を持っている。能動的な意味で経験するには、人は思い切って未知のものの中に入っていき、捉えがたいもの、はっきりしないものに関して、実験を試みなければならない。熟達者になるためには、人は新しいものがもたらす危機にあえて直面しなければならない。なぜ、そうしなけければならないのだろうか。人は危機へ駆り立てられて情熱的になるが、情熱は知力のしるしなのである。(『同書』p.23)

英語の「経験」(experience)には、「実験」(experiment)、「熟達者」(expert)、「危険な」(perilous)の3つの要素が入っている。

ドイツ語の「経験」は、Erfahrungであるので、erとfahrenで構成されている。ドイツ語の「Erfahrung」における「Er」は、古いドイツ語やゲルマン語の接頭辞「er-」であり、目的を達成するために何かを「成し遂げる」または「完了する」というニュアンスがある。「fahren」(行く、進む)は、移動を表すので、移動しながら何かを得る、獲得する、のが経験だと一応は言える。これは、まさに、日本語の「旅」であろう。

英語の「経験」には、この移動の契機は薄い。むしろ、未知のものの中で止まっているニュアンスがある。

フランス語で「経験」は expérienceなので、英語と近い要素が入る。

私見では、英語、フランス語の「経験」は、ドイツ語の「経験」において、出会うことになる事柄を、内側から、問題解決の契機として、描いている。

ドイツ語の「経験」は、ロードムービーのように、経験を、外から見ている目がもう一つあるように思える。

いずれにしても、「経験」を形成することが、必要条件だと、改めて思った。

一定庵到着後、郵便物の整理、再配達の手配。睡眠不足のせいか、きょうは、普段以上に疲れた。

スーツケースを開いて、ノートPCをセットして、ライオンキッチンへ。




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往還日誌(233)






■11月8日、金曜日、晴れ。

このところ、多忙で、疲労気味。

トランプが、第47代アメリカ大統領に。

ハリスもトランプもひどいけれど、ウクライナ紛争の終結という点では、ベターだった。

毎日、毎日、ひとが大量に殺戮し合っているのは、ひどく疲れてくる。しかも、ガザの世界公開のホロコーストまであるのだから。

アメリカ人は狂っている、トランプを選ぶなんて、という声もあるが、トランプの強力な支持母体の一つ、CPAC(保守政治活動評議会)の番組のホストで、第一次トランプ政権で戦略上級顧問を務めた、メルセデス・シュラップの選挙総括を読めば、これは、2016年の選挙の反復だとわかる。

そして、この2017年から2021年までの第一次トランプ政権こそが、欧州極右の震源であり、EUやNATOを推進する欧州のエリートの進める偽善的で理念先行の、民主主義をファンタジーの看板にして、その実、軍産複合体や資源産業の利益を極大化する、エリートのための利権政治の、米国カウンターパートが、民主党にほからない。

この2つの勢力(リベラル対極右)が、大西洋を挟んで、相争っているというのが、現在の欧米の権力構造である。

したがって、欧米「リベラル」による「反動」と巻き返しは、すでに始まっていると見るのが現実的だろう。

この争いが、顕在化するのが、直近の人事だろう。

まずは、イーロン・マスクの入閣が問題化するのではないか。

浮動票が大量にトランプに流れたのは、スイング・ステートの登録有権者に対し、毎日100万ドルが当たる抽選を実施したことが大きいだろう。

トランプは、彼を「スターだ」と持ち上げている。

権力を強化するのも、弱体化するのも、ネットワークのプログラムとネットワークのスイッチに規定される、というマニュエル・カステルの命題に従えば、マスクは、ネットワークのプログラムに、種を仕込んだことになる。

この仕込みの適法性が、繰り返し、争われる。

ここは、今は、権力を強化したように見えるが、今後の展開次第では、弱体化の種にもなり得る。

ネットワークのスイッチ、という点で言えば、これほど、ひどい、見たこともない反トランプのプロパガンダが行われたのは、なかったのではないか。

民主党の権力のネットワークが、傘下のメディアネットワークをフル動員したからだ。

この傘下のメディア・ネットワークというのが、困ったことに、世間では、一流とされているNYTやWaPo、CNNなどで、日本の国家利権村の記者クラブメディアは、こともなく、そのキャスターも含めて、それらに絡めとられている。

自分が、どの勢力の代理人を「果たしてしまっている」のか、見当識がない。

哀れというのではなく、いったい、今まで何を勉強してきたんですか、ということである。

ウクライナ紛争の報道でも繰り返されていることである。

自分の社会哲学を持てないジャーナリストは、特定勢力のチンドン屋かパペットになる。

繰り返しになるが、バイデンーハリス、さらに言えば、オバマも、媒介された悪党であり、その分、「いい子」になれる。トランプは非媒介的な悪党であり、あけすけに悪が見える。

両者ともに、とんでもないのだ。

「ひとは、見かけで判断したらアカン」とは、映画『ゲロッパ』の山本太郎演じる(私は名演だと思う)、羽原組の組員である太郎の名言であるが、これが、いかに、現実世界で実現しないかの見本でもあるだろう。



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往還日誌(232)






■11月4日、月曜日、晴れ。

あすは、米国大統領選挙。

東部標準時(EST)の州では、日本時間の11月5日午後9時から11月6日午前10時までが投票時間。

西部標準時(PST)の州では、日本時間の11月6日午前1時から午後4時までが投票時間。

どうなるのか。

きのう、仕事の合間を縫って、家族の夕食に、鶏むね肉のステーキを作った。

作りたての評判は良かったのだが、量が多く翌日に残し、一日経って、朝食べてみると、味が染みてしまって、たれの甘さが際立ってきてきた。

料理は作りたてが一番旨いが、そうも言っていられないときもある。

みりんと、はちみつで甘みを出したらどうか、という妻の意見を次回試すことに。

毎日、行っている心身調整に、「バンザイ鶴太郎」と「首のマッサージ」を加えることに。

団体口座の確認書類投函。団体実績などは、有り余るほどあり、ゆうちょも驚くはずである。

ニコの仕事を急ぎたい。佳境に入ってきた。非常に重要なテクスト。

知識社会学的に、民主主義を考える試みは、日本にはほとんどない。

「門」variation1~9まで、推敲。ほぼ完成した。

第4詩集『二〇の物と五つの場の言葉』における「場の言葉」のパートから、意識して、新しい詩の文体を作り出すことに努めてきた。

次のシリーズは、「水」を考えており、variationは全部で13と決めている。

このままの文体で行くか、さらに、新しい文体を作るかは、「水」という存在に依存する。

野村喜和夫さんが、第4詩集『二〇の物と五つの場の言葉』の書評を書いてくださった。

この詩集の本質を余すところなく、伝えており、感謝である。




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