関東から25日夜、訃報が2つ届きました。
1つは、元漫才師でお笑いタレントの亀山房代(かめやま・ふさよ)さんが23日午前2時57分、心室細動のため神奈川県内の病院で死去していたこと。42歳でした。
房代ちゃんは1986年、吉本総合芸術学院(NSC)の5期生から吉本興業入り。最初はピン芸人でしたけれど、89年にザ・ぼんちを解散した里見まさとさんと漫才コンビ「里見まさと・亀山房代」を結成。95年に上方漫才大賞奨励賞、97年に上方お笑い大賞金賞、98年に上方漫才大賞に輝いてます。
01年にフォトジャーナリスト、今枝弘一氏との結婚を機にコンビを解散し、翌年3月に長女を出産した後はコメンテーターやイベント司会、高校生らの性教育をテーマにした講演を積極的に行っていたそうです。
房代ちゃんはブログをやっていて、その「カメぶっく」には、今月9日に長女を歯医者へ連れていったことが伝えられており、それが最後の更新でした。
オイラがプロ野球オリックス担当記者として東京から神戸に転勤してきたのが90年。んで91年には、房代ちゃんや、当時「ちゃらんぽらん」の大西さんといっしょに、サンテレビの番組「週汗!オリックス」に、約1年間レギュラー出演していますた。
2軍の若手選手に詳しく、オリックスだけではなく、当時の近鉄バファローズにも精通していたな。いろいろ、思い出をありがとうね。
トップ写真に使わせてもらったのは、18年前の番組共演風景です。毎週月曜日の朝9時までには、神戸の名谷から大阪の貸しスタジオまで通い続けました。月曜の夜放送だったよなぁ。
アッシは、サンテレビからスカウトされた形で、編集局長命令で、突然、1年間出演しろと…。房代ちゃんと初めて会ったのは、大阪のスタジオの一室で、深夜0時半すぎ。最初の収録は日の出前までかかったと記憶しています。
明るく元気な突っ込みがウリだった房代ちゃん。
結婚されたあと、昨年にNHKの番組でお顔を拝見したのが最後でした。残された小さな娘さんのことを思うと、胸が痛みます。
もう1つの訃報は、数年前にウチの会社を退職された、東京での元釣り担当、山田勉さん。35年近く前の東京時代から、知っている人で、オイラが7年間、神戸から東京へ戻ってレジャー&芸能担当をしていたときは、長いことトイメンか隣の席でしたね。
オイラも釣りが趣味だったんで、何度か釣行記を書かせてと、お願いして記事にしたことも…。年に1度くらい、東西対抗というか、お互いが逆のホームグラウンドの船に乗り、つまり、アッシは東京の船で釣って、記事を交換しよう!という企画も、ついに実現できなかったね。
持病もあって、退職されたあとも、釣りの記事は書いておられたけど…。なんか、儚いよなぁ。
実家が千葉県の我孫子で、毎年、年賀状だけはいただいていました。自分の畑でとれた枝豆や、那珂川あたりのアユの試し釣り取材に行き、川原で作ったアユの塩焼きをたくさん会社に持ち込んで、アッシもむしゃぶりついた記憶があります。
天国でも、大きなマダイを釣って料理してくださいね。
1つは、元漫才師でお笑いタレントの亀山房代(かめやま・ふさよ)さんが23日午前2時57分、心室細動のため神奈川県内の病院で死去していたこと。42歳でした。
房代ちゃんは1986年、吉本総合芸術学院(NSC)の5期生から吉本興業入り。最初はピン芸人でしたけれど、89年にザ・ぼんちを解散した里見まさとさんと漫才コンビ「里見まさと・亀山房代」を結成。95年に上方漫才大賞奨励賞、97年に上方お笑い大賞金賞、98年に上方漫才大賞に輝いてます。
01年にフォトジャーナリスト、今枝弘一氏との結婚を機にコンビを解散し、翌年3月に長女を出産した後はコメンテーターやイベント司会、高校生らの性教育をテーマにした講演を積極的に行っていたそうです。
房代ちゃんはブログをやっていて、その「カメぶっく」には、今月9日に長女を歯医者へ連れていったことが伝えられており、それが最後の更新でした。
オイラがプロ野球オリックス担当記者として東京から神戸に転勤してきたのが90年。んで91年には、房代ちゃんや、当時「ちゃらんぽらん」の大西さんといっしょに、サンテレビの番組「週汗!オリックス」に、約1年間レギュラー出演していますた。
2軍の若手選手に詳しく、オリックスだけではなく、当時の近鉄バファローズにも精通していたな。いろいろ、思い出をありがとうね。
トップ写真に使わせてもらったのは、18年前の番組共演風景です。毎週月曜日の朝9時までには、神戸の名谷から大阪の貸しスタジオまで通い続けました。月曜の夜放送だったよなぁ。
アッシは、サンテレビからスカウトされた形で、編集局長命令で、突然、1年間出演しろと…。房代ちゃんと初めて会ったのは、大阪のスタジオの一室で、深夜0時半すぎ。最初の収録は日の出前までかかったと記憶しています。
明るく元気な突っ込みがウリだった房代ちゃん。
結婚されたあと、昨年にNHKの番組でお顔を拝見したのが最後でした。残された小さな娘さんのことを思うと、胸が痛みます。
もう1つの訃報は、数年前にウチの会社を退職された、東京での元釣り担当、山田勉さん。35年近く前の東京時代から、知っている人で、オイラが7年間、神戸から東京へ戻ってレジャー&芸能担当をしていたときは、長いことトイメンか隣の席でしたね。
オイラも釣りが趣味だったんで、何度か釣行記を書かせてと、お願いして記事にしたことも…。年に1度くらい、東西対抗というか、お互いが逆のホームグラウンドの船に乗り、つまり、アッシは東京の船で釣って、記事を交換しよう!という企画も、ついに実現できなかったね。
持病もあって、退職されたあとも、釣りの記事は書いておられたけど…。なんか、儚いよなぁ。
実家が千葉県の我孫子で、毎年、年賀状だけはいただいていました。自分の畑でとれた枝豆や、那珂川あたりのアユの試し釣り取材に行き、川原で作ったアユの塩焼きをたくさん会社に持ち込んで、アッシもむしゃぶりついた記憶があります。
天国でも、大きなマダイを釣って料理してくださいね。
最近(御出産されてから)TVではお目にかかりませんでしたが、まさか亡くなられるなんて。