「芳賀ちゃんのオサカナ釣題」…酒、肴、料理、釣り 

元デイリースポーツ記者の日記だよ。

高倉健さんで思い出す仰木彬監督

2014-11-19 17:45:22 | 取材関係や釣行ネタ
各地で高倉健さんの追悼が行われています。伝わってくるエピソードは、どれも心温まるものばかり。

オイラにとって、健さんで思い出されるのは、もちろん、故郷新潟の銭湯の脱衣場にかかっていた総天然色の映画のポスター。幼稚園~小学校低学年のアッシには憧れの銀幕のスターでした。

その健さんが、少し身近な存在と感じたのは、いまから24年ほど前でしょうか。

関西のデイリースポーツに東京から転勤となり、プロ野球オリックスのあと近鉄の番記者をやっていたころ。

近鉄の監督は仰木さん。

オーナーのおひざ元という関係からか、年に1度は新潟の長岡でカードが組まれていたけれど、現地の後援会主催のパーティーだったか、仰木さんを激励する電報が、健さんから届いたんですよね。

健さんは、出身地、福岡の東筑高校の4年先輩。仰木さんはプロ野球の世界に入り、名監督といわれるような存在になると交友も深まったのでしょう、健さんが祝勝会などの席に同席されたこともありました。

アッシが担当記者になった年は、勇退説が飛び交い、実際にオフにはいったん球界を去ることになったわけだけれど、「今年で監督をおやめになるような一部報道もありますが、もうひと花咲かせてほしい」というような健さんの電報が披露されたのを覚えています。

監督という立場から身を引く少し前、シーズンの終わりごろに東京遠征。マネジャーとオイラと仰木さんの3人は、銀座のあるクラブ(貸し切り状態)にいました。

ママは銀巴里にも出ていたことのある元シャンソン歌手(クミコさんの大先輩だね)とかで、確か東筑高校の同級生。そのママらの前でわたし、サントワマミー、熱唱したっけなぁ。

「ママ!どうだい、彼の歌?」

「いいんじゃないのぉ」

お世辞でも元プロ歌手に褒められて、うれしかったっすわ。

健さんについては「野球のことはあまり知らんかったようだけれど、頭のいい、思いやりのある先輩」とおっしゃっていたと記憶してます。

監督は、その後、オリックスの監督に就任し、あの阪神淡路大震災にも遭遇。けれど、「頑張ろう神戸」を合言葉に、イチローの大活躍もあり日本一にも輝きました。

ずいぶん先に旅立たれましたが、健さんと天国で話が弾んでいることでしょうね。

                                           合掌



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1 コメント

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Unknown (ミキータ)
2020-11-18 23:28:53
こんにちは。父が仰木監督の中学、高校の後輩です。その銀座のバーとは、銀座8丁目、かなり新橋に近く、第1ホテルというホテルに近い所ではなかったですか? 父の同級生(仰木監督の2つ下)の方がママで、何度か父と一緒に行ったことがあります。確か、ママは元シャンソン歌手とおっしゃってたような。。。懐かしいです
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