きょう16日午後9時から、いよいよオンエアですね。
先日、触れた、関西テレビ(フジ系)土曜プレミアム「神戸新聞の7日間」。2時間番組です。
嵐の櫻井翔さん主演のドキュメンタリードラマ。オイラは、試写を見たわけではありませんけれど、瓦礫の中から立ち上がる記者たちの姿、なんとか新聞を発行し続けたい、新聞人というより、人間の本能みたいなものが描かれているのではないかと期待しています。
櫻井さんへのインタビュー記事や、このドラマのこと、デイリースポーツのことなどは、本日16日発売の本紙の中面カラー見開きで特集されておりやすんで、読んでくださいね。
アッシは、そのときプロ野球担当を終えて、紙面レイアウトや見出しをつける整理部へ配属となり、須磨区名谷のアパートに住んでおりました。アパートそのものは、幸いにもほとんど被害はありませんでした。しかし、南に向かって、地下鉄の駅で2つ先の、山を越えた板宿周辺から、長田にかけては無残でした。
神戸新聞と、デイリースポーツは労働組合も賃金体系もいっしょ。この、3月に、デイリーは神戸新聞社に、吸収合併されますが、もともと一心同体みたいなものです。
あの地震の当日も、オイラは、神戸新聞編集局と、まったく同じフロアにある、デイリー編集局に、仲間3人とたどり着いていました。
ドラマでは、当時のフロアの惨状を完全再現したということです。
アッシも、あのとき、その場所に、いたんです。
神戸新聞の整理部と、オイラのデイリー整理部の席は、背中合わせですからね。ドラマに実名で登場する神戸新聞の首藤整理部長とは、しょっちゅう顔をあわせておりやした。ものすごいヘビースモーカーだったですね。
隣の席の女性整理記者は禁煙派で、「迷惑喫煙反対」とかの、確か、張り紙を自分の机の前に貼り、首藤さんは机の境界線に、タバコ(ハイライトだったかな)の箱を積み上げて、バリケードを作っておられますた(爆)。ユニークでしょ。実話です。
その仕事場は、すぐに「ビルがねじれて危険」なため、立ち入り禁止となった、JR三宮駅前の神戸新聞会館。ワープロはすべて破壊され、窓ガラスは吹き飛び、足の踏み場もないような感じでした。
これが被災直後の本社ビルです。現在「ミント神戸」が建っている場所です。
映画館、レストランなどのテナントも入って、神戸のシンボル的な建物でした。
神戸新聞と、デイリースポーツは、様々な人たちの温かい協力により、新聞発行を続けました。
デイリーの場合、東京・木場の日本経済新聞の印刷所にお世話になり、東京→大阪、最後の大阪→神戸はバイク便で、印刷する新聞紙面のフィルムが届いたのは、翌18日午前1時すぎだったと聞いています。
モノクロ12ページ。1面トップの大見出しは「助けて!!」。
神戸新聞が中心ですが、こうした私たち新聞人の闘いの模様は、地震発生の1995年1月17日から、約9カ月後の秋に、プレジデント社から発刊された「神戸新聞の100日」(神戸新聞社著)というドキュメント本に、かなり詳細に書かれておりやす。ぜひ、書店で探して、買って読んでみて下さい。
アッシの先輩後輩、顔見知りが、あちらこちらに、実名で登場しています。
まぁ、重い話はやめて…どんな出来になっているのか、テレビドラマを見ましょう。
※って、オイラは、ほとんど眠らずに、17日朝5時までには、福井県小浜の港へ移動っす。「天輝丸」から念願のメダイ釣り取材に行くことが決定しやした。あの時間には、船の上で黙祷をささげたいと思います。
先日、触れた、関西テレビ(フジ系)土曜プレミアム「神戸新聞の7日間」。2時間番組です。
嵐の櫻井翔さん主演のドキュメンタリードラマ。オイラは、試写を見たわけではありませんけれど、瓦礫の中から立ち上がる記者たちの姿、なんとか新聞を発行し続けたい、新聞人というより、人間の本能みたいなものが描かれているのではないかと期待しています。
櫻井さんへのインタビュー記事や、このドラマのこと、デイリースポーツのことなどは、本日16日発売の本紙の中面カラー見開きで特集されておりやすんで、読んでくださいね。
アッシは、そのときプロ野球担当を終えて、紙面レイアウトや見出しをつける整理部へ配属となり、須磨区名谷のアパートに住んでおりました。アパートそのものは、幸いにもほとんど被害はありませんでした。しかし、南に向かって、地下鉄の駅で2つ先の、山を越えた板宿周辺から、長田にかけては無残でした。
神戸新聞と、デイリースポーツは労働組合も賃金体系もいっしょ。この、3月に、デイリーは神戸新聞社に、吸収合併されますが、もともと一心同体みたいなものです。
あの地震の当日も、オイラは、神戸新聞編集局と、まったく同じフロアにある、デイリー編集局に、仲間3人とたどり着いていました。
ドラマでは、当時のフロアの惨状を完全再現したということです。
アッシも、あのとき、その場所に、いたんです。
神戸新聞の整理部と、オイラのデイリー整理部の席は、背中合わせですからね。ドラマに実名で登場する神戸新聞の首藤整理部長とは、しょっちゅう顔をあわせておりやした。ものすごいヘビースモーカーだったですね。
隣の席の女性整理記者は禁煙派で、「迷惑喫煙反対」とかの、確か、張り紙を自分の机の前に貼り、首藤さんは机の境界線に、タバコ(ハイライトだったかな)の箱を積み上げて、バリケードを作っておられますた(爆)。ユニークでしょ。実話です。
その仕事場は、すぐに「ビルがねじれて危険」なため、立ち入り禁止となった、JR三宮駅前の神戸新聞会館。ワープロはすべて破壊され、窓ガラスは吹き飛び、足の踏み場もないような感じでした。
これが被災直後の本社ビルです。現在「ミント神戸」が建っている場所です。
映画館、レストランなどのテナントも入って、神戸のシンボル的な建物でした。
神戸新聞と、デイリースポーツは、様々な人たちの温かい協力により、新聞発行を続けました。
デイリーの場合、東京・木場の日本経済新聞の印刷所にお世話になり、東京→大阪、最後の大阪→神戸はバイク便で、印刷する新聞紙面のフィルムが届いたのは、翌18日午前1時すぎだったと聞いています。
モノクロ12ページ。1面トップの大見出しは「助けて!!」。
神戸新聞が中心ですが、こうした私たち新聞人の闘いの模様は、地震発生の1995年1月17日から、約9カ月後の秋に、プレジデント社から発刊された「神戸新聞の100日」(神戸新聞社著)というドキュメント本に、かなり詳細に書かれておりやす。ぜひ、書店で探して、買って読んでみて下さい。
アッシの先輩後輩、顔見知りが、あちらこちらに、実名で登場しています。
まぁ、重い話はやめて…どんな出来になっているのか、テレビドラマを見ましょう。
※って、オイラは、ほとんど眠らずに、17日朝5時までには、福井県小浜の港へ移動っす。「天輝丸」から念願のメダイ釣り取材に行くことが決定しやした。あの時間には、船の上で黙祷をささげたいと思います。
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