かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

淡路島出土の銅鐸が、弥生時代の常識的理解を大きく揺さぶっているようです。

2018-06-28 20:07:54 | Weblog
 今日の奈良市アメダスの最低気温は25.3℃、昼の最高気温は33.7℃、五條市アメダスの最低気温は26.5℃、最高気温は31.3℃でした。昨夜は夜10時でも27,8℃はある(奈良市アメダス)という大変寝苦しい夜になったため、夏用の冷感竹シートを布団に敷いて寝ました。一応半分に折ってシート部分と通常の布団部分を作っておいたのですが、あまりに暑い夜だったためかずっと竹シーツの上で寝てしまったようで、朝目覚めた時、ちょうどクーラーをかけっぱなしで寝てしまったときのような強いだるさを覚えて起きるのに難儀しました。身体が冷えすぎたのでしょうが、ヒンヤリ冷たい竹の肌触りが暑い夜にはこの上なく甘美なものになるので、この誘惑を逃れるのはかなり難しいです。そのために半分にしたのですが、今夜からはもう少し狭くしてみるしかないか、と考えています。

 さて、2015年に兵庫県の淡路島で見つかった弥生時代の銅鐸「松帆銅鐸(まつほどうたく)」について、その金属の組成や産地推定などが試みられた結果、紀元前4ー3世紀、弥生時代中期前半の我が国で最古の銅鐸と同じ特徴を持つことが確認されたとのことです。この銅鐸は、何らかの理由があって土の中に人為的に埋められたという来歴を持つもので、今までこのような土中埋設銅鐸は紀元後2世紀後半から3世紀半ば、とされていたのが、この銅鐸により、一気に紀元前に遡る可能性が出てきました。
 調査方法は、強い電気エネルギーで蒸発・気化した励起状態の原子が発する光をプリズムで分光し、その光の特徴や強さから元素の種類や含有量が判るという発光分光分析(Inductively coupled plasma:ICP分析)で金属の内容を決定し、更に鉛の同位体の比率で産地を推定する方法で分析がなされました。その結果、紀元前3世紀以前の銅鐸に使われていた朝鮮半島産の鉛が検出され、この銅鐸が、その時代のものである可能性が高まったということでした。更にこの銅鐸については、出土の際付着していた植物残渣について放射性炭素年代測定が試みられ、紀元前4~前2世紀ごろの可能性の高いことが昨年の時点で判っており、今回の結果はそれを更に強く裏付ける補強材料になると見られています。
 そもそも吊るして音を鳴らすために作られた銅鐸が何故土に埋められるのか、その理由についてはまだはっきりと分かっていないようですが、吊るせないくらいに巨大化していったことも含め、弥生人達の何らかの文化的な理由がそこにはあるのでしょう。実に浪漫溢れる今回の発見ですが、いずれそのうちそれらが解き明かされるときが来るのかどうか、考古学者の皆さんの健闘に期待したいです。
 それにしても、いつの間にか弥生時代って随分古い時代まで広がったみたいです。私が習った頃はこの辺りは縄文時代だったんじゃないかと思ったのですが、この辺の歴史については、気になるのなら一度改めて調べ直しておかないと、昔の知識ではとてもついていけそうにないです。

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