私にはこのような論争は無縁であったのですが、ネット上で散見される典型的な問題であるようです。また、最近の若い人達の中には、ごく普通の現実世界での人間関係の中にも、こうした傾向があるように思えます。中々ユニークな議論であると思えます。どうして「空気」なのか?これについては、山本七平の『空気の研究』という著書があるらしく、かなり以前から十分論じられてきた事柄であるように思います。私は今初めて知ったのですが。読んだことがなかったので。
で、大雑把に言うと、「日本人は空気に支配されやすく、重要な決定でさえも空気による」ということのようです。大和出撃もそうなんだそうです。
Web東奥・長期連載/[よみがえる記憶/第2部 吉田満の遺言]
上の記事中には「空気とは「非常に強固でほぼ絶対的な支配力を持つ判断基準」であり、それに抵抗する者を社会的に葬るほどの力を持つ超能力である-と定義、大和の実例で説く。」と示されていて、現代でも同じようなことが当てはまるだろうな、と思いますね。
こうした「空気」というものが、以前に書いた「雲」の印象に非常に近かったので、面白いと思いました(ネット言論の試練2)。現在でも以前と大きな違いがなく、「空気嫁」ということがコミュニケーションにおいては重要な意味がある、ということなんだろうと思います。社会学的な評価は知らないですが、今の若い世代においては個人の意思を率直にぶつけ合ったり、ある時には喧嘩したり、というような「本音の付き合い」という実体験が減っているということなのかもしれませんし。私が子供の時には、仲の良い友達同士であっても、何かのきっかけで喧嘩したりすることもあった。いつも他人に気遣うことばかりではなくて、本音を言い合ったりしたと思う。今はそういう体験を経ない若者が多くなって、うまく意志を表現できなかったり、衝突を避けることに重点が置かれ過ぎて、結果的にうまくコミュニケーションが成立せずストレスが過大に感じられることも多いのかもしれない。
こうした意志伝達という問題を考えると、不思議な考えが浮かんだ。それは非常に変な発想なので、いつものように下らない内容なのですけれども。これはおいおい書いていきたいと思います。
で、大雑把に言うと、「日本人は空気に支配されやすく、重要な決定でさえも空気による」ということのようです。大和出撃もそうなんだそうです。
Web東奥・長期連載/[よみがえる記憶/第2部 吉田満の遺言]
上の記事中には「空気とは「非常に強固でほぼ絶対的な支配力を持つ判断基準」であり、それに抵抗する者を社会的に葬るほどの力を持つ超能力である-と定義、大和の実例で説く。」と示されていて、現代でも同じようなことが当てはまるだろうな、と思いますね。
こうした「空気」というものが、以前に書いた「雲」の印象に非常に近かったので、面白いと思いました(ネット言論の試練2)。現在でも以前と大きな違いがなく、「空気嫁」ということがコミュニケーションにおいては重要な意味がある、ということなんだろうと思います。社会学的な評価は知らないですが、今の若い世代においては個人の意思を率直にぶつけ合ったり、ある時には喧嘩したり、というような「本音の付き合い」という実体験が減っているということなのかもしれませんし。私が子供の時には、仲の良い友達同士であっても、何かのきっかけで喧嘩したりすることもあった。いつも他人に気遣うことばかりではなくて、本音を言い合ったりしたと思う。今はそういう体験を経ない若者が多くなって、うまく意志を表現できなかったり、衝突を避けることに重点が置かれ過ぎて、結果的にうまくコミュニケーションが成立せずストレスが過大に感じられることも多いのかもしれない。
こうした意志伝達という問題を考えると、不思議な考えが浮かんだ。それは非常に変な発想なので、いつものように下らない内容なのですけれども。これはおいおい書いていきたいと思います。