昨日は書けなかったので、続きを。そもそもデフレという「期待」なぞ有りはしないのかもしれないんですけれども(単なる言葉のアヤみたいなもの?)、もっと消極的な「インフレ期待」のマイナス(低下)と言った方がいいのかもしれませんね。
期待予測として、物価が「上がる」か「下がる」かを判断する時に、個々の経済主体が色々と判断するのだと思いますが、そうした予測の多い方が優勢となり、結果的に物価下落となってしまうのだろうなと考えています。消費者向けに価格を設定する側の態度の問題も関係すると思います。経済が発達して、普通は消費者側には価格の決定権はないと思いますが、そのかわり「購入」という行動決定によりその態度の傾向が表されると思います。
また例で考えてみましょう。ある商品Xを販売するということを仮定してみますね。販売価格は発売する側が決めています。
ここで、質問事項を用意します。
「商品Xを購入してもよいと考える最大値はいくらまでか?」
結果は、仮に次のような感じになるとしましょう。
100円 4(人)
110円 9
120円 12
130円 20
140円 10
150円 4
160円 1
このような分布であるとします(100円未満と160円超の人は全く存在しなかった)。
価格設定が160円である時には1人しか買わないことになり、このような価格設定は意味がありませんね。
ではどこら辺にその価格設定をするか、ということになりますが、本来的には製造販売にかかるコストが守るべき最低線であって、それ以下で売り続けても損するだけです。上の例では最低100円であれば赤字にはならない水準であるとしましょう。
出来るだけ高い値段で売った方が商品一つあたりの利益を多くできるが、仮に140円だとすると買ってくれる可能性があるのは15人(25%)しか存在せず、それ以下の人々が「買わない」という決定をすることになります。130円まで価格を落とせば、一気に35人(約58%)まで増えるので売れる確率は高くなるでしょう。120円まで落とすと、47人(約78%)が買うかもしれないので有利ではありますが、利益も少なくなってしまいますね。この辺が分かれ目となっていくかもしれませんね。安くすると買いやすくなるかもしれませんが、利益も圧縮されてしまうのですね。120円の価格設定であれば、それ以下の13人(約22%)は「買わない」という行動決定をするでしょう。このようなある種のカットオフ値の設定をどの程度許容するか、というのは経営判断に委ねられると思います。こうした人々の行動決定の分布は、各価格帯における「信号強度」のような意味があるように思います。きっとこのような信号というのは、現実にはもっと細分化され(1円単位とか)多数の人々によって形成されているだろうと思いますね。
更に、消費者が判断・決定する時には、商品価格に対する判断もさることながら、同じ価格の商品やサービスの中から優先順位を定めていき、有限である自分の資金を配分していくことになります。同じ100円のものを買う時にも、より欲望度合いの強いものにその資金を配分していきます。なので、同一価格内での商品・サービスとの競合が存在すると思います。そうした競合に勝てないかもしれないと思われる時(価格設定がそれ程悪くないと思っていたのに、売行きが悪いと考えられる時)には、更に価格を下げて買う可能性のある層を増加させるという戦略はごく普通の考えだろうと思います。先の例で言えば、価格を110円に下げることで購入可能性のある人々が78%から93%程度にアップできるので、結果的には売上増加が見込める可能性が高くなると思います。こう考えると、経営者の立場で言えば、「低価格戦略」は他の商品・サービスとも競合した時にも売れる可能性を増加させようとすることだと思います。例えばヴィトンのバッグのような強い競争力を持つ商品であると、特別な価格戦略は必要ないのかもしれませんが。
かつて、ソニーのプレステが販売された時に、価格が初めは高く設定されていたと思います。競合商品は任天堂のNINTENDOU64だったかな?それまでのファミコンに比して、何倍かの価格設定だったと思います。発売後の売行きは当初予想よりも悪く、ソニーは1万円程度の価格値下げをしたと思います。当時、本体の価格は一切の値引き販売が禁止されていたように記憶しています。こうした価格設定は、売行きがよくなければ値引きする(低価格化)ということに繋がることがある、ということの例であろうかと思います。これに類することは、一般に多く見られるのではなかろうか、と。
90年代後半では、そもそも日本経済全体の失速が問題であることは当然であると思います。97年には名目GDP512兆円に対して98年には503兆円と大幅に減少しました。家計最終消費支出で見ると、約2.5兆円のマイナスとなりました。4半期毎で見れば、3期連続でのマイナス(97年第4期~98年第2期)となっています。消費者物価で見ると、97年後半を頂点として(約+3%)98年第1期から下落となり、第2期にはほぼ0近傍となっています。そして第3期以降には、概ねマイナスが連続するようになってしまいました(03年には僅かに0を超える時もあるようですが)。GDPギャップはこれに先行して上昇局面と、下降局面があり、97年第2期以降は連続でマイナスとなってしまいました(05年まで続いていますね)。
家計消費支出は賃金低下が起こったとしても急には削減出来ない傾向があり(ラチェット効果、昨年の経済財政白書に出てました)、普通に考えるとそうだろうな、とも思います。住宅ローンの支払いが減る訳ではないし、子供の学校を公立にいきなり転校させる訳にもいかないし、・・・等々といったことがあると思うからですね。生活スタイルを急に変えて、支出を削減するのは結構難しいとは思いますね。そういう家計のラチェット効果があって、消費支出自体をバーンと大幅にカットしているという程ではないにも関わらず、低価格戦略が選択されたのですね。それには何か理由があってもよさそうです。
で、当時のあたりを思い起こしてみれば、消費・生活スタイルの変更ということがあったように思います。それはやっぱり「携帯電話」と「インターネット」だったように思います。我が家でも、仕方なしにISDN回線を導入したり、携帯電話を持つようになったりしましたから。そこへの資金配分というのが、それまでの家計にはなかった「支出」として登場してきたんだろうと思います。もしも家計の収入が変わらないとすれば、そういう「通信費」に投入される分を他から削減しなくてはならないのです。つまり、別な何かへの支出を減らして、そういった携帯電話やインターネット(プロバイダー料金や電話料金などですね)へ振り向けるのですから(パソコンも買わなくっちゃいけないし、その他ストレージ品などもそうかな)。それぞれの普及率の変化は資料を見てないので判りませんが、きっと97年頃では、どちらもまだそれほどでもなかったと思います(多分、今の半分かそれ以下でしょう)。ドコモが儲かって成長していけばいくほど、他の会社の商品とかが売れなくなる、ということですね。しかも、世の中全体のパイはそれまでよりも小さくなってしまったのですから、取り分を巡って競争になったであろうことが予想されます。このような影響は、経済全体にどの程度あったかは不明ですけれども。
続きはまた。
ちょっと追加です。
日本経済の低迷によって多くの企業が赤字に陥り、「勝ち組」「負け組」という企業レッテルが登場するようになりました。そうした時に、企業が「何とか赤字を抜け出そう、利益を上げよう」と思って、「低価格戦略」を選択しがちだったというのは、心情的には十分理解が出来ますね。「商品」固有の魅力としてよりも、低価格によってその不足を補い、競争力を見出そうとしたのだと思います。
例えば、マックがハンバーガーを値下げした戦略には、そういう部分があったろうと思いますね。昼食に210円×2個を食べるくらいなら、「吉牛」を400円で食べた方がお得感がある、という人々が多ければ、当然そういう選択がなされます。ところが、130円×2個だと「吉牛」の65%の投資で食べることが可能になります。一気にお得感が増し、「買ってみようかな」「買ってもよい」と思う層が増加すれば、他商品との競合にも十分対抗可能になると思います。これが85円とか65円などといった低価格であれば、もっとそういう購買層が増加したであろうと思いますね。ひょっとすると、「カップラーメン」市場の一部からさえも、消費者を奪ったかもしれません。同業他社との競合ばかりとは限らないと思いますね。しかし、こうした方法は、上の例で示したような価格帯ごとの「信号強度」が低下価格方向にシフトすると思われ、次第にその低価格に馴れてくるとお得感は減少していくと推測しています。神経ニューロンの仕組みにも似たような現象があって、刺激に馴れてしまったりすることがありますね。これと似たようなものかな、と。
企業の低価格戦略とも関連があるかもしれませんが、所謂「インフレ期待」がどの程度なのか、ということがあります。企業のインフレ期待というのは、家計とはちょっと異なっています。以前書いた記事(経済学は難しい11)に出した日銀のレポートですけれども、これによれば家計の方が「合理的期待形成」が企業に比して優位であり、企業はどちらかと言えば「適応的期待形成」の方が優位である傾向があると考えられているようです。企業経営者達は互いに情報交換などをしながら(恐らく大企業などでは経団連とか同友会とかの各種会合などを通じて)、情勢分析をしたりするのだろう。そういった場所では「オタクはどうですか?」「厳しいですよ」「ウチもなんですよ」などと言ったりしながら、非常に悲観的な見方が定着していくことも有りえるかもしれないですね(笑)。大企業と中小企業で比較しても、大企業の方が「適応的期待形成」が優位だったと思う。中小企業の方がどちらかというと家計に近い期待形成ということで、これは多分「社長」個人の判断に大きな比重があって(まあ、小さい会社になればなるほどそうだろうな、と。家計に近づいていくもんね)、大企業とは異なるということだろう。
そういう背景があり、家計と企業の「インフレ期待」というのは、家計の方がマイナスが弱く、企業の方がマイナスが強い傾向が見られました。企業のインフレ期待がマイナス(=デフレ期待)であれば、価格決定側でもあるし、やっぱり「低価格戦略」を選択することも不思議ではないように思えます。00年以降の資料ですけれども、これ以前にどうであったかは不明なのですが、恐らく98~99年頃であっても家計よりも企業のインフレ期待の方がマイナスが強かったのではないか、と思います。00年以降で見れば、家計の方は02~03年には底辺に張り付いていますが、それでもー1.0%程度です。CPI が03年に0近辺にあった頃では、家計ではプラスに転じていますね。ところが企業のインフレ期待というのは、家計よりもマイナス幅が大きく、製造業では-1.0%を超えてきたのは回復傾向になってきた03年最後のあたりからです。家計よりも更に悲観的と言えるでしょう(笑)。普通に考えて、企業経営者達が「最悪の事態」も想定しながら、慎重な判断をせざるを得ないということは当然でもあり、家計よりも悲観的(というか甘くない見方?)なインフレ期待なのでしょうね。そういう悲観的な期待形成が、企業経営者達同士の中で伝播していったのかもしれませんね。
情報が伝播される企業経営者達の中にsticky information modelのようなものが存在しているとしたら、デフレ期待が継続的に起こったとしても(ある種の慣性ですね)よさそうな気もします。他人の判断情報を知る事で、自己の判断結果に影響を受けるということがまさに起こってしまいそうですね(笑)。全くのいい加減な適用だと思いますが。
これとは別ですが、製造業のインフレ期待とちょっと似てるのがGDPギャップのグラフです。
GDPギャップと消費者物価の推移
期待インフレ率の推計
この期間だけで見るとやや近い形をしているなー、と思いました。これは単なる偶然だろうと思います。00年は上昇傾向を示して01年頭から下降傾向、丁度02年頭辺りで底となり、その後上昇局面に入っていってますね。ただ04年の形は大分違っていますね。製造業の業績回復は03年辺りから進み、ボーナス額が回復しだしたのもこの辺りと思います。なので、製造業に先に明るさが戻ったので、インフレ期待は上昇を続けたのかもしれません(かなり適当です)。
企業のインフレ期待のマイナス(=デフレ期待)が、家計よりも悲観的となってマイナス幅が広がれば、価格設定側である企業に「低価格戦略」というものが存在したとしても不思議ではないと思える。その契機となったのは、やはり「97年ショック」であったろう。デフレ期待形成には、大企業を中心に悲観的情報が定着したこと、次々と低価格品が登場し浸透していったということ、などが影響していたのではないか。
一応、輸入品の物価への影響を調べてみました。供給サイドの話なので、「そりゃ、違うよ」と言われるかもしれません。その場合にはこの資料の解釈を私が誤ってる、ということだと思いますので、正確な理論を御教示下さればと思います。資料では02年以前がないので、評価としては不十分だと思いますが。中国からの輸入品の影響を見ることもできませんし。ただ、輸入競合要因というのは考えられているのだろう、と思います。
供給サイドの物価への影響
私も色々なご意見を募集したいと思います。
って、ダメかな?(笑)
期待予測として、物価が「上がる」か「下がる」かを判断する時に、個々の経済主体が色々と判断するのだと思いますが、そうした予測の多い方が優勢となり、結果的に物価下落となってしまうのだろうなと考えています。消費者向けに価格を設定する側の態度の問題も関係すると思います。経済が発達して、普通は消費者側には価格の決定権はないと思いますが、そのかわり「購入」という行動決定によりその態度の傾向が表されると思います。
また例で考えてみましょう。ある商品Xを販売するということを仮定してみますね。販売価格は発売する側が決めています。
ここで、質問事項を用意します。
「商品Xを購入してもよいと考える最大値はいくらまでか?」
結果は、仮に次のような感じになるとしましょう。
100円 4(人)
110円 9
120円 12
130円 20
140円 10
150円 4
160円 1
このような分布であるとします(100円未満と160円超の人は全く存在しなかった)。
価格設定が160円である時には1人しか買わないことになり、このような価格設定は意味がありませんね。
ではどこら辺にその価格設定をするか、ということになりますが、本来的には製造販売にかかるコストが守るべき最低線であって、それ以下で売り続けても損するだけです。上の例では最低100円であれば赤字にはならない水準であるとしましょう。
出来るだけ高い値段で売った方が商品一つあたりの利益を多くできるが、仮に140円だとすると買ってくれる可能性があるのは15人(25%)しか存在せず、それ以下の人々が「買わない」という決定をすることになります。130円まで価格を落とせば、一気に35人(約58%)まで増えるので売れる確率は高くなるでしょう。120円まで落とすと、47人(約78%)が買うかもしれないので有利ではありますが、利益も少なくなってしまいますね。この辺が分かれ目となっていくかもしれませんね。安くすると買いやすくなるかもしれませんが、利益も圧縮されてしまうのですね。120円の価格設定であれば、それ以下の13人(約22%)は「買わない」という行動決定をするでしょう。このようなある種のカットオフ値の設定をどの程度許容するか、というのは経営判断に委ねられると思います。こうした人々の行動決定の分布は、各価格帯における「信号強度」のような意味があるように思います。きっとこのような信号というのは、現実にはもっと細分化され(1円単位とか)多数の人々によって形成されているだろうと思いますね。
更に、消費者が判断・決定する時には、商品価格に対する判断もさることながら、同じ価格の商品やサービスの中から優先順位を定めていき、有限である自分の資金を配分していくことになります。同じ100円のものを買う時にも、より欲望度合いの強いものにその資金を配分していきます。なので、同一価格内での商品・サービスとの競合が存在すると思います。そうした競合に勝てないかもしれないと思われる時(価格設定がそれ程悪くないと思っていたのに、売行きが悪いと考えられる時)には、更に価格を下げて買う可能性のある層を増加させるという戦略はごく普通の考えだろうと思います。先の例で言えば、価格を110円に下げることで購入可能性のある人々が78%から93%程度にアップできるので、結果的には売上増加が見込める可能性が高くなると思います。こう考えると、経営者の立場で言えば、「低価格戦略」は他の商品・サービスとも競合した時にも売れる可能性を増加させようとすることだと思います。例えばヴィトンのバッグのような強い競争力を持つ商品であると、特別な価格戦略は必要ないのかもしれませんが。
かつて、ソニーのプレステが販売された時に、価格が初めは高く設定されていたと思います。競合商品は任天堂のNINTENDOU64だったかな?それまでのファミコンに比して、何倍かの価格設定だったと思います。発売後の売行きは当初予想よりも悪く、ソニーは1万円程度の価格値下げをしたと思います。当時、本体の価格は一切の値引き販売が禁止されていたように記憶しています。こうした価格設定は、売行きがよくなければ値引きする(低価格化)ということに繋がることがある、ということの例であろうかと思います。これに類することは、一般に多く見られるのではなかろうか、と。
90年代後半では、そもそも日本経済全体の失速が問題であることは当然であると思います。97年には名目GDP512兆円に対して98年には503兆円と大幅に減少しました。家計最終消費支出で見ると、約2.5兆円のマイナスとなりました。4半期毎で見れば、3期連続でのマイナス(97年第4期~98年第2期)となっています。消費者物価で見ると、97年後半を頂点として(約+3%)98年第1期から下落となり、第2期にはほぼ0近傍となっています。そして第3期以降には、概ねマイナスが連続するようになってしまいました(03年には僅かに0を超える時もあるようですが)。GDPギャップはこれに先行して上昇局面と、下降局面があり、97年第2期以降は連続でマイナスとなってしまいました(05年まで続いていますね)。
家計消費支出は賃金低下が起こったとしても急には削減出来ない傾向があり(ラチェット効果、昨年の経済財政白書に出てました)、普通に考えるとそうだろうな、とも思います。住宅ローンの支払いが減る訳ではないし、子供の学校を公立にいきなり転校させる訳にもいかないし、・・・等々といったことがあると思うからですね。生活スタイルを急に変えて、支出を削減するのは結構難しいとは思いますね。そういう家計のラチェット効果があって、消費支出自体をバーンと大幅にカットしているという程ではないにも関わらず、低価格戦略が選択されたのですね。それには何か理由があってもよさそうです。
で、当時のあたりを思い起こしてみれば、消費・生活スタイルの変更ということがあったように思います。それはやっぱり「携帯電話」と「インターネット」だったように思います。我が家でも、仕方なしにISDN回線を導入したり、携帯電話を持つようになったりしましたから。そこへの資金配分というのが、それまでの家計にはなかった「支出」として登場してきたんだろうと思います。もしも家計の収入が変わらないとすれば、そういう「通信費」に投入される分を他から削減しなくてはならないのです。つまり、別な何かへの支出を減らして、そういった携帯電話やインターネット(プロバイダー料金や電話料金などですね)へ振り向けるのですから(パソコンも買わなくっちゃいけないし、その他ストレージ品などもそうかな)。それぞれの普及率の変化は資料を見てないので判りませんが、きっと97年頃では、どちらもまだそれほどでもなかったと思います(多分、今の半分かそれ以下でしょう)。ドコモが儲かって成長していけばいくほど、他の会社の商品とかが売れなくなる、ということですね。しかも、世の中全体のパイはそれまでよりも小さくなってしまったのですから、取り分を巡って競争になったであろうことが予想されます。このような影響は、経済全体にどの程度あったかは不明ですけれども。
続きはまた。
ちょっと追加です。
日本経済の低迷によって多くの企業が赤字に陥り、「勝ち組」「負け組」という企業レッテルが登場するようになりました。そうした時に、企業が「何とか赤字を抜け出そう、利益を上げよう」と思って、「低価格戦略」を選択しがちだったというのは、心情的には十分理解が出来ますね。「商品」固有の魅力としてよりも、低価格によってその不足を補い、競争力を見出そうとしたのだと思います。
例えば、マックがハンバーガーを値下げした戦略には、そういう部分があったろうと思いますね。昼食に210円×2個を食べるくらいなら、「吉牛」を400円で食べた方がお得感がある、という人々が多ければ、当然そういう選択がなされます。ところが、130円×2個だと「吉牛」の65%の投資で食べることが可能になります。一気にお得感が増し、「買ってみようかな」「買ってもよい」と思う層が増加すれば、他商品との競合にも十分対抗可能になると思います。これが85円とか65円などといった低価格であれば、もっとそういう購買層が増加したであろうと思いますね。ひょっとすると、「カップラーメン」市場の一部からさえも、消費者を奪ったかもしれません。同業他社との競合ばかりとは限らないと思いますね。しかし、こうした方法は、上の例で示したような価格帯ごとの「信号強度」が低下価格方向にシフトすると思われ、次第にその低価格に馴れてくるとお得感は減少していくと推測しています。神経ニューロンの仕組みにも似たような現象があって、刺激に馴れてしまったりすることがありますね。これと似たようなものかな、と。
企業の低価格戦略とも関連があるかもしれませんが、所謂「インフレ期待」がどの程度なのか、ということがあります。企業のインフレ期待というのは、家計とはちょっと異なっています。以前書いた記事(経済学は難しい11)に出した日銀のレポートですけれども、これによれば家計の方が「合理的期待形成」が企業に比して優位であり、企業はどちらかと言えば「適応的期待形成」の方が優位である傾向があると考えられているようです。企業経営者達は互いに情報交換などをしながら(恐らく大企業などでは経団連とか同友会とかの各種会合などを通じて)、情勢分析をしたりするのだろう。そういった場所では「オタクはどうですか?」「厳しいですよ」「ウチもなんですよ」などと言ったりしながら、非常に悲観的な見方が定着していくことも有りえるかもしれないですね(笑)。大企業と中小企業で比較しても、大企業の方が「適応的期待形成」が優位だったと思う。中小企業の方がどちらかというと家計に近い期待形成ということで、これは多分「社長」個人の判断に大きな比重があって(まあ、小さい会社になればなるほどそうだろうな、と。家計に近づいていくもんね)、大企業とは異なるということだろう。
そういう背景があり、家計と企業の「インフレ期待」というのは、家計の方がマイナスが弱く、企業の方がマイナスが強い傾向が見られました。企業のインフレ期待がマイナス(=デフレ期待)であれば、価格決定側でもあるし、やっぱり「低価格戦略」を選択することも不思議ではないように思えます。00年以降の資料ですけれども、これ以前にどうであったかは不明なのですが、恐らく98~99年頃であっても家計よりも企業のインフレ期待の方がマイナスが強かったのではないか、と思います。00年以降で見れば、家計の方は02~03年には底辺に張り付いていますが、それでもー1.0%程度です。CPI が03年に0近辺にあった頃では、家計ではプラスに転じていますね。ところが企業のインフレ期待というのは、家計よりもマイナス幅が大きく、製造業では-1.0%を超えてきたのは回復傾向になってきた03年最後のあたりからです。家計よりも更に悲観的と言えるでしょう(笑)。普通に考えて、企業経営者達が「最悪の事態」も想定しながら、慎重な判断をせざるを得ないということは当然でもあり、家計よりも悲観的(というか甘くない見方?)なインフレ期待なのでしょうね。そういう悲観的な期待形成が、企業経営者達同士の中で伝播していったのかもしれませんね。
情報が伝播される企業経営者達の中にsticky information modelのようなものが存在しているとしたら、デフレ期待が継続的に起こったとしても(ある種の慣性ですね)よさそうな気もします。他人の判断情報を知る事で、自己の判断結果に影響を受けるということがまさに起こってしまいそうですね(笑)。全くのいい加減な適用だと思いますが。
これとは別ですが、製造業のインフレ期待とちょっと似てるのがGDPギャップのグラフです。
GDPギャップと消費者物価の推移
期待インフレ率の推計
この期間だけで見るとやや近い形をしているなー、と思いました。これは単なる偶然だろうと思います。00年は上昇傾向を示して01年頭から下降傾向、丁度02年頭辺りで底となり、その後上昇局面に入っていってますね。ただ04年の形は大分違っていますね。製造業の業績回復は03年辺りから進み、ボーナス額が回復しだしたのもこの辺りと思います。なので、製造業に先に明るさが戻ったので、インフレ期待は上昇を続けたのかもしれません(かなり適当です)。
企業のインフレ期待のマイナス(=デフレ期待)が、家計よりも悲観的となってマイナス幅が広がれば、価格設定側である企業に「低価格戦略」というものが存在したとしても不思議ではないと思える。その契機となったのは、やはり「97年ショック」であったろう。デフレ期待形成には、大企業を中心に悲観的情報が定着したこと、次々と低価格品が登場し浸透していったということ、などが影響していたのではないか。
一応、輸入品の物価への影響を調べてみました。供給サイドの話なので、「そりゃ、違うよ」と言われるかもしれません。その場合にはこの資料の解釈を私が誤ってる、ということだと思いますので、正確な理論を御教示下さればと思います。資料では02年以前がないので、評価としては不十分だと思いますが。中国からの輸入品の影響を見ることもできませんし。ただ、輸入競合要因というのは考えられているのだろう、と思います。
供給サイドの物価への影響
私も色々なご意見を募集したいと思います。
って、ダメかな?(笑)
マスコミのネタを拾ってきては、高飛車的な知識を振りまき、結局結論はうやむや。
そうかと言えば、構造改革狂信なので、小泉マンセー。
支離滅裂のきわみですね。
何が、怒りなんですかね。大本営の新聞以下ですね。
さて、高名な「まさくに」さまにお聞きします。
・今年のこのブログのキーワードを二つ揚げて下さい。(ここ数年で日本がもっとも失っているものですが・・)
怒りと言う以上は、何かテーマはあるんでしょ?
熟慮したお答えを期待しています。
拙ブログは04年10月より始めまして、この時のネーミングのままでございますが、その当時には06年1月時点の「怒りとは何か?」ということを正確に知っていた訳ではありませんので、「今のブログの何処に怒りがあるのか」というのは中々難しい問題かと思いますね。当時の私のセンスが悪かったのでしょう(笑)。
もしよろしければ、始めの方からお読み下されば幸いです。
多分研究されてるでしょう。ERIのpaperでも探ってみて下さい。
そこから推測されるに、期待インフレ率は「おそらく」逆の立場である大きな債権主体である資産家の消費活動にも影響を与えるはずです。
債権の規模、債務の規模別に期待インフレ率をX軸、投資、消費をY軸に取れば債権債務の規模の大きな経済主体程、急な傾きを持つグラフになるでしょう。
家計の方が企業と比較し個々の規模は小さいので、期待インフレ率が経済活動に効き難いと言うのはリーズナブルだと思います。
そして、この説明は「何故、企業の投資活動が家計の消費活動に先立つのか?」という疑問の1つの理由にもなってると思います。
家計の消費支出規模はGDPの約6割程度なので、かなりのインパクトがあるのではないかと考えておりましたが、実際には家計のデフレ期待(マイナスのインフレ期待)はそんなに強くないので、やはり企業の期待形成に色濃く影響を受けているような気がします。