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「実は傀儡だった」ってー?(追記後)

2006年10月01日 19時00分30秒 | 政治って?
経済財政諮問会議の皆様は役割を終えてホッと一段落したところでしょう。彼らの一定の功績は認めるところでありますが、どうもそれが気に入らない人々もいるようです。

陰謀論の好きな方々にとっては、4人の民間議員たちが「実は操り人形だったんだ!」というガセネタが好まれるのでしょうかね(笑)。自分の手柄にしたがる傾向のある人たちが結構いるのかもしれませんね、行政の中枢には(笑)。無関係な話だが、北朝鮮のミサイル発射騒動後に、某外務省幹部が「オレの手柄だ」とか吹聴して回っていた、という噂があったようですね。自慢するのもいいですが、実際に手柄でもないくせに、他人の功績を我がものとする根性は気に入りませんね。こういうのは霞ヶ関官僚にはありがちなのでしょうか。


話が逸れましたが、普通、諮問会議の議事録等を読んでいくのは大変だし、私も過去の記録を全部を読んできた訳ではないけれども、ブログを書き始めて以降は割と連続で読んだりしていた。その感想としては、一連の流れというか「ストーリー」にはなっているな、と思っていたし、議論のベースは表舞台にあると思っていた。故に、傀儡なんてことはないと確信しているけどね。


前から言ってるが、行政の情報は膨大なのでこれをフォローしていくのは大変だし、労力も必要だし、自分1人で全てを理解していくのは確かに困難です。けれども、時系列に沿って流れをきちんと見ていけば、「どの発言を受けてのものか」とか、誰が何を言ってその結果として次の議論の何処に繋がっているか、といったことが判るはずです。それもせずに、断片情報だけを取り上げて、「あやつり人形」だの何だのと即断するのは違うんじゃないのかな、と思う。まず数年分の議事要旨と説明・配布資料を読んでごらんなさい、と言いたいね。


何故、民間議員のペーパーが、毎回特定官僚(例えば、竹中チームの誰かが書いたもの-最近言われているのは大田さんが専ら書いていたとか・・・)が書いていた内容とは思わないか、その理由を書いておこう。


まず、形式的なことから。

以前、コメントを頂いていくつか議論をさせてもらったLydiaさんという方がおられたのですが、この方に「大学院生か研究者ではないか」とコメントに書いたことがありました。それは、コメントの書き方の特徴として、文末で「。」ではなくて「.」を用いていた為です。きっと「Macを使っていて」なおかつ「研究論文を書く」タイプの人なのではなかろうか、という推測によるものでした。これが本当かどうか確かめようがないのですが、ひょっとしてそうじゃないかな、と。案外とこういう手掛かりは隠れているものなのです。

他には、好みで傾向があったりしますね。箇条書きにする時に、①②のような数字を使うとか、「数字の後にスペース」だけ、「数字の後にピリオド」、カッコ付き数字(両カッコ、片カッコ)、先頭に「・」を付ける、といった傾向があります。私のブログでもいくつか使っていますけれども、全部が同一ではないにしろ、両カッコ数字が少ない、数字+スペースは殆どない(ハズ・・・)、数字+ピリオドも殆どない、という傾向だろうと思います。主に、丸数字、片カッコ、・付き、という感じではないでしょうか。この何が関連があるかと言えば、有識者議員の提出ペーパーの傾向を見れば、明らかに別人が書いたものであれば判るかも、ということです。


書体で明朝かゴシックか、という違いなどもあるかと思いますが、もしも竹中チームの人たちが専門に書いていたり、それこそ「大田氏」が全て書いていたとしたら、「同一の傾向」というのが表れます。特に、文書作成業務を大量にこなす官僚ならば、毎回決まったフォーマットを常用するはずではないかと推測しています。少しでも労力を減らせるし、作業時間を短縮できますよね。でも、必ずしも同一ではないのですよ、これが。これの意味することは、「別な人物が書いている」ということを窺わせるものなのです。明らかに「これは・・・別人だろうな」と判るのは、「数字+ピリオド」ではなく「数字+、」になっちゃってる時とか(これは性格?が出ていると思っています、笑)。竹中チームにも数人いるだろうから、それらの人の中で複数人が書いていた可能性はありますけどね。


<ちょっと寄り道:「数字+、」ですけれど、箇条書きの時に、
1、
2、
という風になっているのは個人的経験から言うと、主に「年配者」「プレゼン資料作成などが不慣れor下手」「(性格的に)気にしないタイプ」ではないか、という印象です。普通は、「1.」「2.」のような表記の方が多く見かけますね。>


4名の連名タイプのペーパーはかなりたくさんありますが、まとめ方は様々です。
書き方というか内容としては、

①民間議員の1人からメモのような「たたき台」を受け取り、それを内閣府の事務局が判りやすく書いたもの
②民間議員(+竹中氏)たちの会話の中から書き起こされたもの
③初めから事務局(竹中チームの官僚?)でテーマを用意して書かれたもの

というようなものがあると思います。

①については、ウシオさんや奥田さんが小難しいペーパーを用意することは稀でしょうから、主に本間、吉川両先生が自分で書いてきたものが多いかな、と思います。③は骨太の方針や展望ものとか、経済分析もの(経済見通しや景気判断とか)の場合が多いと思われ、これは官僚たちが書いていたのが多かったと思いますね。通常は、それまでの諮問会議での議論をベースにした「取りまとめ」が多いと思います。論点提示は、「内閣府の事務方」が必ずしも用意していたものとは限らないでしょう。②は諮問会議内での発言・議論をベースにしているものもあるし、民間議員たちがミーティング形式で話していた内容から、趣旨を書いたものもあったのではないでしょうか。そうした時の発言内容を官僚が「書いて」も、これは官僚が書いたペーパーという主張なのかもしれませんけれどもね。まあ、事実は確かめられないんですけどね。


分かり易い例で見ることにしましょう。これは官僚が出したものとは思えないので、挙げておこうと思います。

マクロ経済指標管理は万能か


このような論点提示を行うのは、概して「経済分野に強い官僚」などではなく「経営者的視点」ですね(笑)。人生訓に近いものが好きだという点で、そういう推測をしています。このような、松下幸之助やジャック・ウェルチの言葉を引用するというのは、到底官僚の仕業なんかではないと思うわけです。他にも、ちょっと似たような感じのものは、「4つの経験則」のような論点提示があったりしました。こういうのも、資料そのものはパワーポイントを使いたい若手官僚が張り切って作ったりしただろうと思いますが(笑、違うかも、いやいや作らされたのかもしれないけど)、出発点としては本間先生あたりの「経験則」だろうと思うわけです(笑)。これを事務方官僚たちが発案して書いていった、とかっていうのは疑問かな、と思いますね。官僚的思考からは程遠いのではないか、と。


もっと根本的なことを言えば、本間先生や吉川先生の諮問会議参加当初からの「論点」「主張」というのはそれほど大きく変化しておらず、著作や講演会なんかでしゃべっていたことが反映されていたりするんですよね。特別本間先生や吉川先生が官僚たちによって「いいように振付けられた」なんてことは考え難いのです。発足当初の諮問会議が「非常に弱い立場」にあった時から、骨太の方針で掲げていった事柄ということには、大筋で違ってなんかいないのですよ。小泉政権が発足して以降、大きく変更されたことなんてあんまりないと思えます。


郵政民営化法案で自民党と真正面から激突するまでは、諮問会議の重要度というのはそれ程でもなかったでしょう。来年度予算案への「締め付け」とか、「年金改革法案」「税制改正」なんかの影響力はそれなりにあったかもしれませんが、民間議員たちがどんなに頑張って竹中チームも一緒になって結託してみたところで、与党内の「手続き」を無傷で経ることはほぼ困難だったし、党内手続きから出てきて国会に辿りつく頃には、「大きく変貌」を遂げていたことが多かったのは確かでしょうね。それ故、道路公団民営化などの場合にも、厳しい非難を浴びたのですから。


でも、郵政解散で劇的勝利を収めてからは、諮問会議主導という形にはなっていったと思う。それまでは、そんなに影響力が絶大だったとも思えませんね。諮問会議に政治的パワーを与え、息吹を吹き込んだのは選挙で小泉政権を支持した国民なのですよ。「国民の支持」が明確な形で顕れたので、その力を背景に諮問会議の強さが作られたに過ぎないのですよ。力の源泉は、竹中さんでもなければ、官僚でもなかったと思いますよ。


追加です。


これまでにも取り上げた、日本21世紀ビジョンの「人間力」とか、文科省の出した「言葉の力」とか、これらを盛り込むまでには長い時間と検討の場を積み重ねてきたいたのだと思いますよ。行政というのは何かの「慣性の法則」のようなものがあると書いたことがある(格差拡大論争~その2)が、急な方向転換は難しいだろうし、報告書に書き込むまでにはかなり大変な作業を経ていることが多いと思う。なので、昨日今日の議論の中で急に浮上してきたり、単なる「ハヤリ」に合わせて急に出すことも難しいのではないのかな、と思っている。


例えば「人間力」に関しては、諮問会議で取り上げられたのは、はるか昔(H14)であり、スタートは諮問会議内に提案された内容から小泉さんが「人間力は大事だ」というような意見を述べたことから始まったのですよね。それを受けて、内閣府に検討チームのような有識者会議が設けられ、その後報告書なんかの取りまとめを経て、最終的には「日本21世紀ビジョン」の中に盛り込まれるに至ったのです。2~3年がかりなんですよね。フリーター対策も同じようなものですね。長い時間かけてきているんですよ。


私が諮問会議の議事要旨を読むようになってからは、麻生親分とかが谷垣くんと激しいバトルを繰り広げていたりしていたし、郵政民営化関連では竹中さんと麻生親分がやりあっていた。昔の分はあんまり詳しく見てないかったけれども、ブログを書き始めてからは割と毎回読んでいたから、財務省と総務省の総力戦とか、財務省と厚労省のしのぎあいとか、そういうのは議事録を読んでいれば十分伝わってきていた。担当大臣が議論をぶつけ合ったり、民間議員から(時には福井総裁あたりから)の意見が出されたりしながら、相手を「押し返す」だけの資料や反論を用意していかなければ、「敗北」を受け入れざるを得なかったからですよね。小泉さんのフトした時に発せられる、「~はどうなんだ?」とか「~はやらなきゃダメだ」というような意見は、結構な重さがあったしね。多くは予算削減が求められる風潮だったので、新たなテーマとして諮問会議のテーブルに載せてもらえることができて、「来年度予算の方針」みたいなのに記述が盛り込まれることができれば予算としては確保される、といったような傾向はあったかもしれない。


昔は、諮問会議の民間議員たちを支えていたのは、多分小泉さんの「思い切ってやっていい」という暗黙のバックアップと、「骨太の方針」なんかが「閣議決定された」ということだけだったろうと思う。心の拠り所としては、かなり寂しいのですけどね。「決めたんだから、早くやってくれ、ちゃんとやって行こうよ」と思うのが当然だったけれど、それだけの推進力は諮問会議には与えられていなかった。それでも、小泉さんの英断によって自民党内に要求を通そうとしてはいただろう。大抵は途中で書き換えられたり、曖昧な記述に変えられたりしていったのだろうけど。


「政府系金融機関の改革」ということも、かねてからの論点(諮問会議発足当初から?)であったわけですが、それまでは激しい抵抗にあって(笑)着手すらできなかったのですね。ところが、郵政解散後には「諮問会議」主導で進められることが可能となり、議題に取り上げられてから「ヒアリング」開始までは、それまでには考えられないようなスピードで進んでいくことができましたよね。これも仮に、竹中チームがどれほど頑張ろうが、民間議員たちが陰謀に加担していたとしても、それまでは着手の兆しさえ見えなかったことなのですよね。諮問会議での多数派工作がどうだの、民間議員のペーパーを官僚だか他の誰が書いただの、無関係ですよね。細かいことを言えば、「一つにする」か「複数残す」か、国際部門はどうするか、といったような議論では、竹中包囲網のような雰囲気があったことはあったと思う。この時は、竹中さんはまだ総務大臣になる前だったから、内閣府でペーパー類を書いていたハズだよね。


以前にブログで取り上げた「成長率論争」もあって、財政一派は財務省が中心には違いないけれど、「財政審」からの援護射撃という素人でも思いつく手を使ったりして(笑)、竹中さんへの反撃はあったと思う。本間・吉川先生も当然このバトルには参加していたし、与謝野さんが仕切るようになってから、財政一派の巻き返しは強まったと思う。竹中さんは内閣府に長かったので、自分が離れた後で財務省の一派に反撃されたのが「面白くなかった」というのはあっただろう。

竹中さんが財務省が書いてる云々とか文句を言ったのは、総務相になってからの名目成長率と長期金利の論争があって、将来見通しの「シミュレーション」とかで財務省が上げてきた資料を使ってきたのが不満だった、ということでしょう。諮問会議の前にオレにも読ませてくれ、とかも言ってたし。竹中さんは、反論の一つの根拠にマンキューのペーパーを引っ張ってきたりしていたからね。小泉さんにとっては、言葉をそのまま借りれば「経済学の授業」とか「神学論争」といった類の評価(笑)であったことは確かでしょう。

参考記事:
竹中大臣の要望

平ちゃんと洋ちゃんの議論(追記後)

名目成長率と長期金利



振り返ってみれば、「郵政選挙」を境にして大きく変っていったのですよね、諮問会議も。自民党に諮問会議側から「要求を突き付ける」という形から、自民党が受け入れるのが自然ということになった。更に、事前調整が進んでいくようになって、党主導に軸足が移っていったかもしれない。過去の諮問会議の苦労が結実したのは、昨年10月~今年春くらいまでの短い期間だったのかもしれない。今後はどのような機能・役割を果たしていくのかは、まだよく判らないのですけれども。




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1 コメント

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竹中氏の申し送り (hironagano)
2006-10-02 11:45:52
お久しぶりです。こ難しい話が続いてコメントもしませんでしたが(笑)

平ちゃんの退場の弁というのが、週間東洋経済にでてます。すっきりしていますね。この辞め方で彼なりの姿勢を示したのと、今後の活動に期待が持てると思います。



ポリシーウッチャーをやるそうです。
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