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人権擁護法案擁護論への疑問2

2005年03月18日 03時46分50秒 | 法関係
前の続きです。

2)行政指導について

人権擁護法案の勧告と公開についてですが、勧告は行政指導という解釈のようです。
通常行政指導には強制力もなければ、不利益処分もない。an accused さんが「勧告」及び「公表」について司法判断は及ぶか、という点に疑問を述べられて、私もよく解らなかったのであるが、行政不服審査法の適用にはならない、という見方のようです。コメントには、行政手続法による規定で、「聴聞」と「不利益処分」への行政訴訟と書いてしまったのですが、聴聞は誤りでした。これは行政手続法の規定によるもので、正しくは「弁明の機会」の附与ということになります。bewaad さんの記事を読んで、「ああ、そうか」と得心が行きました。さすがに現役官僚(法務官僚ではないでしょうが、どこかの法規課の方なのかな?)の方だなと感心し、行政法に明るいなと思いました(当然と言われるかもしれませんが)。また、「不利益処分」についてですが、「公表」そのものは行政側の行為としては処分に該当せず、「公表」によって第三者から受ける「不利益」に過ぎないので、行政手続法に規定される「不利益処分」にも該当しない、ということのようです。


従来の一般的な行政の態度を考えてみます。通常、行政が企業や個人に対して行政上の命令を下す場合、ある段階を経ていると思います。それは、informal な権力行使の形をとることが多いでしょう。それが一般的にいう行政指導です。特に、許認可権がある場合には、殆どの場合にこの形をとることが多いと思います。まずは指導によって、「正しく業務を行って下さいね」という意思表示をする。勿論この時に行政側の意見に従わなくともよいのですが、現実には相当の実効性を持ってほぼ「強制的に」認めさせることが多いと思います。行政指導に従わなければ、その後にformal な権力行使が待ち構えているからです。何がしかの行政処分や許認可の取り消し処分(これは滅多にはないでしょうが、重い処分としては存在しますね。シティバンクの時とか、医療機関・介護事業者の処分とか、入札指定取消とか…所謂伝家の宝刀です)が行われれば、大きな打撃となることが多いでしょう。これをいきなり行うことは少なく、明らかな犯罪があった場合とかは別として、普通では指導を行って改善を図り、それでも効果が十分ではないとか従わないような場合には、正式な処分が発動されますね。

昨年の放火事件によって死亡者が出たドンキホーテの例がこれに近いものでありましょう。事件の以前に、消防当局が立入検査を行い行政指導を行っていたと思います。この最初の立入検査は消防法に基づく強制的な命令が発動された訳ではなく、単なる指導であり「改善して下さいね」というお願いに過ぎませんが、事件後緊急立入検査が行われ、会社に対して改善命令が出されたかもしれません(もしくは、命令ではなく再び行政指導であったのかもしれませんが)。これを聞き入れず従わない場合には、強制的な改善命令を出した上で、さらに強制的に営業停止などの処分を下すことになっていくでしょう。


また一般に、行政指導の内容や指導した企業等の公表を行うかと言えば、それは行われず、行政処分を受けた場合にのみ処分内容と対象となった企業等が公表されます。例えば、三菱重工の指名停止処分とか、富士見産婦人科に見られたような医療機関の保険医療機関取消処分とか、医師の免許取消処分や医業停止処分などですね。こうした処分は、「公表」という形がとられるわけですが、人権擁護法案の「勧告」という行政指導に従わないものについて、「公表」という、あたかも「行政処分」を受けたかのような形が取られるわけです。もしも、一律に行政指導に従って改善していない(意図するかしないかに関係なく)ものについて全て公表するということであるならば、まだ理解できうるかもしれませんが、今までそのようなことは行われていないわけです。金融庁が金融機関に行った行政指導の結果、改善が不十分として毎回公表していたら、相当多くの金融機関が公表の対象となるのではないでしょうか(実際にはよくわかりませんが)。


行政指導は、行政の権力行使の中でも大きな地位を占めており、法的には単なる「お願いに過ぎない」といっても、これがなんら規制や強制力が発揮されないなどということは有り得ない、と思われます。法律は、そんな行政の実態までは面倒を見ない、ということでしょう。この行政指導の形をとった権力行使は、通知・通達の実効的強制力発揮と併せて、様々な企業、組織や個人に行政庁の意向を押し付けているものです。通知や通達が如何に「法律ではないから従う必要がない」などと言ってみても、これに逆らうことは許されないのと同じです。銀行がなぜ簡明な銀行法によってのみ行政の監督を受けているわけではないかは、行政庁から大量に発せられた通知通達に縛られていることを見れば明らかでしょう(実態がどうなのかは正確に知らないので推測です)。個人であっても、法的責任を生じさせられる、ということは、今までも記事に書きました(市立札幌病院事件1市立札幌病院事件5)。法律が規定せずとも、行政庁が法解釈して、その解釈を強制することが出来る、ということは確かでしょう。ですから、法的な手続き上は「行政指導に過ぎない」ということをいくら説明されても、「そうですか、弱い力なので安心です」などとは考えられないのです。


また、ドンキホーテの例だけではなく、薬事法違反容疑で立入調査を受けた健康食品会社の倒産(確か小倉先生の記事で読んだように記憶しています)などを考えあわせても、個人または団体に、「人権委員会の立入調査を受けたこと」また「公表」という実質的な「制裁」が発動されることは、大きなリスクとして存在することは確かです。このような処分を回避するような安全弁的仕組みが法案には存在しないばかりか、司法判断を仰ごうにも、「勧告」は処分でもなく「公表」も不利益処分でもなく、行政訴訟の対象ともなり得ないとするならば、国民側には対抗できる手段や判断の過誤を審問する機会すらないことになってしまいます。唯一の方法は、「公表」によって受けた不利益の損害について賠償を求めるしかない、という、何だか本末転倒のような事態が生じてしまう法律というのは、果たして信じられるのか、とも思います。このことは、an accused さんも危惧されておられます。


私のような「法律」や「法学」に疎い人間は、間違えた解釈や知識不足による誤認などがあるかもしれません。しかしながら、法律の運用が如何に人間に依存するか、行政庁は如何に都合よく法を適用するか、権力行使への対抗手段を持たない国民が如何に弱い立場か、ということが過去の経験や実例から感じられてしまうのです。その不安が払拭されない限り、単純に「いい法律ですね、大賛成」とは考えられないものなのです。


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