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郵政民営化の考察7

2005年03月12日 18時15分31秒 | 社会全般
日本郵政公社から局ごとの損益が発表されました。結果を見るとやっぱりな、という感じです。今までの検討の中で推測された収益構造と大した違いがないということですね。

結果については、産経新聞(3/12)が分かり易いので、以下に転載します。
Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 赤字郵便局



赤字郵便局 1万4000超 収益力の弱さ浮き彫り 公社試算

日本郵政公社は十一日、平成十五年度の郵便局(簡易郵便局を除く。二万二百四十七局)別の損益試算を初公表した。郵政公社が新たに採用した、経営実態に近い算出方法である「収支相償方式」によると、黒字局が六千九十二局に対し、赤字局は一万四千百五十五局。収益力の弱い郵便局が大半を占めることが改めて浮き彫りになった。郵政民営化になれば、統廃合の判断材料となる可能性もありそうだ。

支社別でみると、利益が出たのは六百三十五億円の大幅黒字となった東京をはじめ関東、東海、南関東、近畿のみ。北海道や東北などでは四百億円超の赤字で、都会と地方の収益力の差が鮮明になった。郵便、貯金、保険の三事業別では郵便事業の格差が最も大きく、都会を中心に千六百四十三局が黒字の一方、大半が赤字だった。今回導入された「収支相償方式」は、これまでの年度決算に依存するやり方と違い、郵便局ごとの人件費、物件費といった費用に着目したのが特徴。すべての郵便局の収益水準を費用と同水準に設定して個別損益を算出できるため、決算によるブレが少ないという。




記事から分る事をまとめてみましょう。

(1)郵便事業は大半(約92%)が赤字

これは、まさに予想通り。配達効率の高い大都市圏だけが黒字も当然で、隣家が散在して配達距離の長い地域(北海道、東北)は、これまた当然の如く赤字である。今後もこの赤字幅は増大するでしょう。しかし、赤字が絶対悪かというと、そうでもない。なぜなら、利益事業として郵便事業が存在する訳ではない面があるからである。非利益事業で公共性の高いものは、国などの公的機関が責任を果たす必要がある場合が多い。しかし、郵政公社はその構造上、十分に効率化が図られているとも言えず、無駄を減らし効率的運営が可能な体制に組み替える必要がある。その手段が民営化と言えよう。郵便事業の慢性的な赤字体質は、運営効率化によって多少改善されるが、本質的には抜け出せないと考えるべきであろう。民営化後の企業努力によって黒字化は可能であると思うが、全国の郵便を維持する義務は残るので、別なドル箱事業を作り上げなければならない(電力会社みたいなものでしょうか)。若しくは、窓口NW会社と郵便会社の連結で黒字化を目指すとか、ですね。


(2)7割の局は赤字で地方に集中

当然の結果ですね。職員一人当たりの利用客数の違いではないでしょうか。当然多い地域(都市部ですね)は黒字となり、少なければ赤字でしょう。地方の局は、民営化後も残されますが、当然赤字幅圧縮の手法が考えられるでしょう。これは、単純に人員削減です。暇な支店に、不必要な人員を雇っておく理由がない。よって、給与水準の訂正、無駄な人員削減でしょう。これを急にやる訳にはいかないので、徐々に退職人員が出ても補充しない、という方向になるでしょう。緩やかな人員削減でも対処可能です。実態がよく分りませんが、利用者がすごく少ないのに、郵便局長と局員雇用(その家族とか?でしょうか)などが行われていたような所は、雇用局員を減らすことになるでしょう。今までのように一家で制度に依存することは出来なくなるかもしれない。また、世襲制度も消滅するでしょう。このような時代ですから、止むを得ないでしょう。田舎の特定郵便局は、窓口NW会社となると思いますから、案外逆に儲けられるような体制に変われるかもしれませんし。コンビニ経営も悪くない所も結構あるかもしれませんよ。あとは、そこの責任者次第、経営努力次第ということですね。もしも余りに酷い営業成績なら降格とか異動もあるかもね。


(3)主に貯金業務の収益に依存

郵便業務の赤字の穴埋めにしているとのこと。そりゃそーだ。分りきった結論ですね。前から検討していたように、総資金量経営によって、見かけ上の利益を生んでいただけですね。340兆円あれば、誰が社長でも利益が出ます。今後は、大規模資金はなくなりますが、郵便事業に利益を回す必要がないので、純粋に銀行としての競争力があればよく、有利な点は現公社職員の方がメガバンクよりも平均給与は低いかもしれないこと。何だかんだ言って、銀行さんは未だに給料がえらく高いですからね。民営化後の平均給与は、今よりも飛びぬけて上がったりしないでしょうから、当初の競争力がそれほど強くなくともいけるかもしれませんよ。また、ATMは他の銀行を圧倒する普及台数でしょうから、手数料収入もある程度は見込めるでしょう。その分経費もかかるけどね。


おバカな反対派自民党議員さん達は、こうした現状をよく勘案して意見を言い給え。分社化によって、非効率部門や収益構造が明確になっているでしょ。「そもそも論」などという馬鹿げた話を持ち出す前に、データをよく見て考えることだな。自分が社長ならどうするか。親会社(政府)が大赤字で、幾つもの連結子会社(政府系機関)が大型投資で合計350兆円くらい借金しているとしたら、普通子会社整理するだろ?それは返済しなければならないお金で、国民のお金なんですから。大幅な不採算事業からは撤退し、絶対必要なものや利益が出ている事業だけ存続でしょ?いつまでも赤字垂れ流す訳にはいかないでしょ。連結子会社が払っている利息は、郵政事業に飲み込まれているんだってば。だから、子会社整理の準備段階として、まずいっぱい飲み込んでいる郵政をきちんとしましょう、郵政が飲まずに政府に戻しましょう、ということでしょ。

郵政公社のままで不採算部門(郵便事業や特定郵便局など)に漫然とお金をつぎ込み続けるわけにもいかないでしょうが。全体としての非効率部分が大きすぎる。これを何とかしましょうね、っていうことが理解出来ないのかね?持株会社に4千人という計画一つとって見ても、管理部門の人間がどれほど多く余っていて、いかに無駄が多いか想像がつくでしょう。こんなこともわからないような、頓珍漢が反対派の正体ですね。「はじめに増益ありきだ」というのは分らなくもないですが、増益にならないとね、本当に大変なことになりますから。公社にどっぷり好きなだけ飲ませてもね、政府は苦しむだけですから。たらふく飲むのは、逮捕されたハレンチ(破廉恥)なセクハラ議員ぐらいにしてくれよ。いつまでも酔っ払いみたいに絡んでないで、反対派議員は目を覚ませ!






教育を考える7

2005年03月12日 13時29分56秒 | 教育問題
昨日家族である番組を見た。これはどうしても観たいという要望があり、「えーっ」と反対したのは私だけだったからです(ライブドアの会見とか解説を見ようと思っていたので、ニュースが観たかった)。普段はチャンネル権の第一シードは私なのですが、多数決に従いました。


その番組は、日本テレビ系の「世界で一番受けたい授業」(だったと思う)で、乙武さんが出ている特集番組でした。私は途中から見ましたが、家族の評価は、とてもよい番組だと好評でした。私も最初から見ておればよかった、と思いました。これは教育に関する番組で、外国の例を取材しておりました。日本人は、割と当然のように学校へ行き、勉強できるのが当たり前のようになっておりますが、そうした幸せを享受するのが困難な国も当然あります。それを思えば、今の日本の恵まれた環境というのは、天国のようです。だが、享受することが簡単だと、これが当たり前すぎて感謝できないのかもしれない。


ウチの子と話したのは、番組のこともそうですが、概ね次のような話をしました。
私立学校(中学・高校・大学)に行く人は国から多くの補助金を貰い学校が運営されているから、その受けた利益は卒業したら社会に還元する義務がある。そして、国公立の学校に行く人も、当然学校の運営資金は多額の税金が使われているのだから、同じように社会に還元しなければならない。大学に行きたくとも行けない人はいるし、全員均等に利益を受けられる訳ではないから、大学に行くような人は、そういうことを感じて、社会に貢献すること、恩返しすることが必要だ、というような内容でした。

私達は、およそ学校へ行けることがどれ程貴重なことかを忘れがちです。生きていくのが精一杯で、学校へは行けないという環境に比べたら、勉強で苦しむことぐらい大したことないように思います。そういう感覚が失われてしまったのではないでしょうか。番組を見て、そう感じました。


また番組では、日本の学校の例も出ていました。和歌山(だったかな)の「きのくに小学校」というユニークな学校でした。クラスが4つしかなく、1~6年生が一緒のクラスなのです。また、作業グループに分かれた編成となっており、大雑把に「農作業」「料理」「大工」「羊飼育」のような感じだったと思います。それぞれの作業を通じて、勉強していくというものです。教科書がなく、授業の半分以上は作業に当てられますが、子供達は自分達で様々な計画を立てたり、調べものをしたり、農作物価格の決定をしたり、という、実践的なものが多いのですね。「かずとことば」(だったかな?)という授業はありますが、一般的な学校の算数や国語の授業に近いのは、この時間だけです。こんな学校があるんだな、と本当に驚きました。


感じとしては、すごく昔の日本の農村に見られた家族像が、そこにはあるような気がしました。兄弟姉妹が多い、必ず仕事として作業が割り当てられている、自然や動植物に直かに接する環境、というような感じでしょうか。擬似的にこれに近い環境を作り出しているかのようです。勉強も大切ですが、こうした作業などを通じて学び、考える環境というのも必要かな、と思います。


全ての学校にこれと同じ事を求めるのは難しいと思いますが、選択肢の一つとしては優れた取り組みであると思います。本来家庭や地域社会で、これらに近い環境を作り出せればよいでしょうが、大都市部では特に難しいでしょう。それでも、家庭で作業や手伝いなどをさせるなどは可能であると思います。ゆとり教育の目指していたものが何処なのか、これははっきりとは分りませんが、もしもこうした勉強以外の体験などを通じて得られる学びの姿勢や生活力を養うというものであるならば、それなりに意義があるのかな、とも思います。むしろ、授業に完全に「振り切られる」子供達、家庭や学校の「生活意欲を失う」子供達、という方が、将来の問題が大きいような気がします。例え微分や積分が出来なくとも生活していけますが、「自立して生きていけない」という問題は、大人になってから解決が困難な問題であろうと思うからです。これは、部分的にニートの問題に関係するかもしれません。


先ごろ発表された文部科学白書では、家庭や地域の「教育力」低下や、自然・社会との関わる機会が減少している、基本的生活習慣が身についていない、などの問題点が指摘されている。これは家庭教育に大きな問題があることを示しており、これらについても学校教育と同時に改善策を考えていかなければならないのである。また、学校で不審者侵入や殺人などの重大犯罪が起こっている状況も、学校だけでは対処しきれない大きな問題となってしまった。教育ばかりではなく、こうした安全面を考える上でも、白書が示す通り、家庭・地域社会・学校の連携・協力が不可欠となってきている。多くの国民が関心を持った今こそ、行政政策も含めて真剣に取り組まねばならないと思う。